Thursday, March 12, 2015, 16:59
(2015.3.11 pm7:50)
世の中には、もっと不幸で、かわいそうな人が
沢山いるの。
自分の今の状況が、どれだけ苦しいか、
という主張を、し続けていたいうちは、
世のため人のためには
はたらけません。
何故なら、自分のことが 一番大事だから。
“人様のために、自分をはたらかせて下さい”、
と、祈ることの出来る人には、
ある領域へと、つながることが出来るの。
それが、何故か。
そこには、利己的な(自分のための)
主張というものが、一切、介在していないから。
“何で、わたし、こんなに苦しいんですか?”
という疑問を持っている人は、
自分ではない 他者からの解答というものを
死ぬまで求め続けている人。
あなた方の能力が高まると、
当然のことながら、他人からの闇のエネルギーが
入ってくるようになります。
そこには、あなた方が これまでの人生において
関与してきた、英語圏由来の悪魔的エネルギーも
当然含まれてきます。
自らの存在のうちに焼き捨て、始末をするという
覚悟が無い限り、
それらの悪魔的存在は、あなた方のうちに
棲み家を得ることになります。
自らのうちに、それらを排除し、始末する
という、決定的な意志が 存在をしていない限り、
誰かに、あるいは何ものかに、
それらの始末や処理を、お願いし、
自分以外のものに、何とかしてもらおうとする
思いのようなものが、沸き出てきます。
それこそが、キリスト教が、この二千年に
わたって、つくり出してきた、
「自分以外の救世主」というものなのです。
『最終知識』が、指し示していることは、
自らの存在のたましいの救世主は、
“自分自身である”、ということなのです。
キリスト教圏の方々は、この二千年の
呪縛というものに縛られ、
その意識領域から、逃れることが
できません。
先人達が伝え続けてきたことが
正しいと信じて疑わないからです。
たった1人の発起人が立ち上がり、
何かの、あるいは、何ものかによる宣言を成すことが、
ひとつの小さな変化の、きっかけと成り得ることが
出来るのです。
ただし、その時に試されるのは、勇気です。
自らが筆頭となり、選手宣誓のような
ことをして、
これから先、たった1人になってでも、
たたかい続ける勇気があるのかどうかが、
試されることになるのでしょう。
やるのもやらないのも 自由。
“すべては、人の子に委ねられている”、と、
お伝えしていることの意味を、
ほんの少しでも読み取ることができるのなら、
何故、わざわざ、英語圏のエネルギー領域に
関与し、携わることになったのかを、
考えてみることです。
知るものであるからこそ、出来る事があり、
知らざるを得なかったからこそ、
その苦しみというものを、自ら自身が既に、
現実のこの世において、体験をされているはずです。
何を選び、自らがどのように行動をして、
この先の 人生をまっとうするのか、
それを、お決めになるのは、
ご自身でしかない、ということなのです。
人の子は自由であり、何をどのようにしてゆくのかも、
全てはご自身の意志と選択に
委ねられているということです。
これで解答になりましたでしょうか。
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Tuesday, February 17, 2015, 14:48
(2015.2.10 pm9)
“一番問題なのは、
宗教的概念を持っている人達”。
どこぞの何かのカミさんが、
自分のために、どうにかしてくださる。と、
死ぬまで思い続けていたいかた達だから。
一生懸命お願いをして、お祈りをしてさえすれば
どうにかしてくださると、信じて疑わない
ひと達だから。
自らの意志と判断で行動し、
未来を切り開いていくひとたちとは、
対極にある、ということ。
自らの責任をカミに(背)負わすことが平気なかた達は、
自分にとっての都合のよいカミさま、というものを
常に自分の意識のなかに持ち続けていたいひと達のこと。
そのような方達には、残念ながら
次の時代のこのクニの未来をつくるための
エントリーは、なされていません。
自らのつくり出した 幻想の お話のなかに、
去って行かれる かた達なのでしょう。
宗教の時代を終わらせるということと、
次の時代の未来づくりへのエントリー
ということは、イコール同義で、おなじことなのです。
ある種のエネルギー関係でソウサされた
システムというものを終わらせるために、
あたらしい未来づくりのルールのもとに、
エントリーをされるのですか、それとも、
古いルールのエネルギー層のなかに、
とどまり続けていたいのですか、
ということなのです。
上下の関係を、わざわざつくり、
自らが上位に立ちたいという立ち位置で
存在の確認をし続けていたい方達にとっては、
これから先の未来づくりのために
エントリーをすることは難しいことなのでしょう。
時代の変わり目を認識し、
方向転換をして新しいルールの中での
生き方を模索する方にとっては
とてもよいチャンスなのかもしれません。
混沌とした、今のこの時代の世の中のなかで、
自らの軸足を、どちらの方向へ、向けるのか
ということなのです。
他人を支配し抑圧して、気分のよいと思われる
かた達にとっては、
とてもではありませんが
新しい時代のルールにおける
はたらきの場、というものは
用意は、されていないことなのでしょう
他人の苦しみを知り、受けとめてあげることの
できる能力を持つものにしか、
次の時代への参加は、できないからです。
自らの傲慢さを、誰かの、あるいは何ものかの
せいにして、自身の正当性を声高に主張を
し続けるものに
次の時代へのこのクニづくりへのエントリーは
記録されてはいないから(ためだから)です。
どのような おこないや
どのような はたらきかけが
このクニの、ひいてはこの地球の
未来を変えてゆくことが
できるのでしょうか
そのことについて 真剣に考え、
行動を起こしてゆくものたちが、
このクニの未来を、
あるいは この地球の姿かたちというものを
変えてゆくことのできるものたち
なのです
知識は すでに このちに(地球に)置かれています
そのことの意味を よく、考えてみて下さい。
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Tuesday, February 17, 2015, 14:47
(2015.2.7 pm10:)
「死に方の責任」
よく生きるということと、よく死ぬということは同義です、
よく生きたものは、道を汚(けが)さずに去ることを望み、
あとから来るもの達のために、道を整えながら、去ってゆくもの。
人間は、生まれてこの世に生を受けた瞬間から、
死に向かっての時間を刻み続けてゆく生き物であるということ。
あなた方に課せられた重荷について考えるとき、
どのようなこたえが最良のものであるのかについて、と
問われるのであるならば、それは、「知識は既に、このちに
置かれているのです」という解答しか、ありません。
“何故ゆえに”と、問い、そのこたえを探すための思索をする
ということが求められているということに既に、お気付きに
なられているはずです。
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Friday, December 5, 2014, 18:47
(2014.12.1 pm11:57)
“よくよく、あなたがたに、言っておく”
と、伝え続けてきたことの意味を、
自らは、知らないものである、という
認識を、ほんの少しでも持つことが
出来るものであるのならば、
何ものが、聖書の時代の終わりを、
もたらそうとしているのかを、
いちどでよいから、
考えてみることです。
“あなたがたに 残された、
時間は少ない、”と、お伝えしていることの
意味について、ほんの少しでも
耳を傾けていただけるのなら、
ご自身の、その、生き様、と言われるものが、
どのような、ありよう(様?)であったのかを、
いちど、振り返ってみて、下さい。
残りの人生の時間を、
どのような目的のために、燃やすのか、
ということです。
自らの正当性を主張しながら、
何ものかを犠牲にして、
ぬくぬくとした場所で
高見の見物をしていたいものなのか、
それらの最終的な決断の時期が、
そろそろ、せまって来ているということ
なのです。
目的が何のために、
残りの人生を生きるのかを、
よく、考えることです
つまり、自らの生存の、存在の、
基盤や基軸を、
何に置くのか、ということなのです。
からだがある時間内に、
どのような目的のために、
その時間を費やすのか、ということなのです。
義のために、生き抜いた、
ものなのか、
あるいは、利己的な、目的のために
自らを納得させながら、
生存時間を過ごしてきたものなのか、
最後の最後になって、
“これで本当に、良かったのだろうか”、
と、後悔をしないために、
あなたは、あなたの、生命の、
残存時間を、
どのような目的のために、
燃やし尽くすのか、
ということ、なのです。
同じことは、もう、
何度も何度も お伝えしました。
あとは、あなた自身が、
お決めになることなのです。
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Friday, December 5, 2014, 18:45
(2014.12.1 pm2:20)
“能力のないものほど、ご神業もどきのことを、したがり、
余計なことをして、邪魔をしてくれる。”
何ものかの手先となっている、という
その状況にさえ 気付かないものたちが、
このクニの歩みの足を
止めてくれている。
それらのものたちの行動原理の
もととなっているものが、
“自分の利”、である、ということ。
“オカネが欲しい、彼氏(彼女)が欲しい
超能力者になりたい”、という
自分に対しての利益というものにしか
目が向いていないから。
その行動原理のもとに、自分の人生を
生きているから。
少なくとも、このクニには、
ひと昔前には「志(こころざし」というものを
持つ人間が存在し、
世のため、人のために 生き抜く覚悟を
持つものが 大勢存在をしていた。
自らの生き抜く生の意味について
まともに考えることの出来る人間が、
いったい、この世に どれだけ存在を
していると、いうのか
それらのことを 考えさせないために、
あるいは 目をそらさせて
楽しく快適な人生を送りたいと思わせるために、
どのような情報操作が、成されてきたのか。
知らなかった、と言いながら、
言い訳をしながら 死んでゆくものたちの
お決まり文句というものが、
“自らには何も罪はない”、といった類(たぐい)のもの。
その、おかしな状況に対して疑問を抱かずに
考えることもなく、日々の自分の楽しい生活だけを
考えて、自分のつくり出した、おとぎ話の天国のような場所へと、
去ることが出来るとでも思っているのか。
“耳のあるものは聞きなさい”、と、
言われ続けてきたことの意について、
自らの頭で考えたことでもあるというのか、
あなたがたの 頭の中でつくり出したお話が、
あなたがたの外部の物質宇宙へ反映される
ことの意味について、
考えたことが おありなのか
自らの内側を、きれいに掃除をすることが、
まず、一番はじめに成すべきことです。
自らの内側が、まっ黒な人間が、
一体どのようにして 世の中の問題点を
解決してゆくことが出来るというのか、
能力のないものほど、
ご神業もどきの ことを したがり、
担う責任さえ持とうとしないものほど、
あちこち 出掛けて 神さま事をしようとする、
自らのおこないによって、世の中を変えることが
出来たのだ、という自己満足が欲しくて
そのような おこないをするものたちが、
あちこちに おかしなエネルギーをばら撒いている、
ということ。
その、根拠は、一体 何なのですか
その、ご自身特有の根拠は、一体、何なのですか、
その、正体というものが、
あなたのなかで“神になりたい”、といい続けて
いるものの、本性なのではないのか、
“神になりたい”、“神になりたい” “ 〃 ”……
神になって、
一体、あなたは、何をしたい方なのですか。
人様の信頼を得て、祝福されたい、人なのか、
崇め奉られ、人から大事にされたい、方なのか、
どちらにしても、求めているものの
根本原理というものが、最初から間違っているとは、
これっぽっちも認識をしたことなどはない、
という方でしか、ない、ということ。
相手にしては、ならない。そのような方々が、
まともに前を見て未来を考える人間の
足止めをするもの、ということに、
いい加減に気が付いて下さい。 おしまい。
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