通信-14年12月1日-1 
Friday, December 5, 2014, 18:45
(2014.12.1 pm2:20)

“能力のないものほど、ご神業もどきのことを、したがり、
余計なことをして、邪魔をしてくれる。”
何ものかの手先となっている、という
その状況にさえ 気付かないものたちが、
このクニの歩みの足を
止めてくれている。
それらのものたちの行動原理の
もととなっているものが、
“自分の利”、である、ということ。
“オカネが欲しい、彼氏(彼女)が欲しい
超能力者になりたい”、という
自分に対しての利益というものにしか
目が向いていないから。
その行動原理のもとに、自分の人生を
生きているから。
少なくとも、このクニには、
ひと昔前には「志(こころざし」というものを
持つ人間が存在し、
世のため、人のために 生き抜く覚悟を
持つものが 大勢存在をしていた。
自らの生き抜く生の意味について
まともに考えることの出来る人間が、
いったい、この世に どれだけ存在を
していると、いうのか
それらのことを 考えさせないために、
あるいは 目をそらさせて
楽しく快適な人生を送りたいと思わせるために、
どのような情報操作が、成されてきたのか。
知らなかった、と言いながら、
言い訳をしながら 死んでゆくものたちの
お決まり文句というものが、
“自らには何も罪はない”、といった類(たぐい)のもの。
その、おかしな状況に対して疑問を抱かずに
考えることもなく、日々の自分の楽しい生活だけを
考えて、自分のつくり出した、おとぎ話の天国のような場所へと、
去ることが出来るとでも思っているのか。
“耳のあるものは聞きなさい”、と、
言われ続けてきたことの意について、
自らの頭で考えたことでもあるというのか、
あなたがたの 頭の中でつくり出したお話が、
あなたがたの外部の物質宇宙へ反映される
ことの意味について、
考えたことが おありなのか
自らの内側を、きれいに掃除をすることが、
まず、一番はじめに成すべきことです。
自らの内側が、まっ黒な人間が、
一体どのようにして 世の中の問題点を
解決してゆくことが出来るというのか、
能力のないものほど、
ご神業もどきの ことを したがり、
担う責任さえ持とうとしないものほど、
あちこち 出掛けて 神さま事をしようとする、
自らのおこないによって、世の中を変えることが
出来たのだ、という自己満足が欲しくて
そのような おこないをするものたちが、
あちこちに おかしなエネルギーをばら撒いている、
ということ。
その、根拠は、一体 何なのですか
その、ご自身特有の根拠は、一体、何なのですか、
その、正体というものが、
あなたのなかで“神になりたい”、といい続けて
いるものの、本性なのではないのか、
“神になりたい”、“神になりたい” “  〃  ”……
神になって、
一体、あなたは、何をしたい方なのですか。
人様の信頼を得て、祝福されたい、人なのか、
崇め奉られ、人から大事にされたい、方なのか、
どちらにしても、求めているものの
根本原理というものが、最初から間違っているとは、
これっぽっちも認識をしたことなどはない、
という方でしか、ない、ということ。
相手にしては、ならない。そのような方々が、
まともに前を見て未来を考える人間の
足止めをするもの、ということに、
いい加減に気が付いて下さい。 おしまい。


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通信-14年11月27日 
Thursday, November 27, 2014, 14:34
(2014.11.27 am8:45)

“オカネ!オカネ!”と言って目の色を変えている
人間ほど、
貧乏神が 憑いている。
何故なら自分の人生の中で、それ(おカネ)が
一番重要なものだと思っているから。
それが目減りして 減ってゆくことに
恐怖すら感じていて、自分の手元から
絶対に手離したくないと思っているから。
オカネがあったら、欲しいものが手に入る、
オカネがあったら、おいしいものを食べられる、
オカネがあったら、いい暮らしが出来る、
オカネ、オカネ、オカネ………
人間が生きる上で、一番大切なものが何なのか
死んでから、はじめて気が付く、
という道を歩み続けているということに、
近(特に)現代の人間は気が付かない。
死んだら終わりと信じていたいものが
つくり上げた、まっ赤な嘘のお話を、
それが あたかも本当のことであるかのように
信じ込まされてきた事実を、
どれだけの人間が 認識をしているのか、
社会の仕組み、経済の仕組み、
それに、このクニの、これまでの政治の仕組み、
日米地位協定によって何が
取り決められ、どのようなものの管理下に置かれて
コントロールが、成されてきたのか、
“自分は、それを知らないものである”、
ということを認めることすら出来ないものが、
このクニのこれまでの仕組みについて
意見をすることが出来るとでも言うのか、
自分の身のまわりの小さなことに こだわり、
ああでもない、こうでもないと言いながら
他者を妬み、潰そうとするもの、
この世の中の仕組みや、どのようにして
改善をしてゆかなければならないのかを
考え続ける人間の足止めをし、
何ものかの手先となって、
せっせと はたらき続ける人間、
すべては学びに過ぎない、と言い続けている
ことの全体像を理解することすら
出来ないものである、という自覚が、
もし ご自身の存在のかたちのなかに、
かけらほどでも あるのなら、
ご自身が、今、何を学ばなくてはならないのか、
ということを、まず、考えるということです。
何を学ばなくてはならないから、
あなたは今、人間をしているのか、ということです。
持つものを妬み、他人を羨んでいるヒマが
あるのなら、
「自分のたましいを、自分で、磨け。」
ということなのです
他人を羨ましい、と 思い続けている限り、
ご自身のことも、このちの全体像のことも、
見えては、いません。
観点、視点というものが、全く違う、別もので
あるから、なのです。
自らが生きていく上で、重要なものが、一体、何なのか、
それが、ブレない基軸を持つために
絶対的に必要なものなのです。
それを教えているものが、
精神学というものの 基本です。(おしまい)



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通信-14年11月11日 
Thursday, November 27, 2014, 14:33
(2014.11.11 am11:22)

行くのは、勝手。
どこかに出掛けて、
何かをするのも勝手。
ただ、出掛けた先で拾ってきたものは
自らの責任において処理をしなさい。
自らのおこないの結果物を、
他人に、押し付けるな、ということ、
何ものかに操作され、あちこちに行かされて、
使われるもの、として その人生を終えたものが、
かつての宗教者(ご神業者?)と言われた人達。
それらの方々が、何か、人々の生活に役立つことや
ものを、残したのですか?
ということです。
そうやって 正しき本来の人としての人生を
まっとう出来なかったもの達が、
自らのおもいのエネルギーとして、
生きている人達に とり憑き、
意識を操作して
操る、ということ。
それが、使われるもの、ということなのです



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通信-14年9月1日 
Monday, September 1, 2014, 15:17
(2014.9.1 am10:40)

たにんのために
身を粉(こ)にして はたらけますか
自らの損得無しに
相手のかたのために はたらけますか
ひととして 誠実であれ、ということが
何を指し示しているのか
おわかりですか

スピリチュアル というものに興味を持ち
何らかの能力を得たいと思うかたは
この世に 沢山います
それらの方々が 求めている能力
というものが
何を現しているのか
おわかりでしょうか
世のため 人のために
役立てる、と、言いながら
自己の顕示欲や 支配欲というものを
手に入れるために、
意識的であれ 無意識的であれ
それらの ちから(力)を手に入れたいと
思い、やまない方々は
このちに 大勢 存在をしています
目的が どのような ものであれ
他者を支配し 動かそうとする
ちから  とは
操り、操作をする能力を
手に入れようとする 人間にとっては
のどから 手が出るほどに
手に入れたいと 願い続けている
ある種の 超能力の ようなものです
ひとを コントロールし、自らの思いのままに
操ろうとする ちから というものは
ある種のビジネスであれ、宗教的なものであれ、
あるいは、“スピリチュアル”というものが
好きなかた達にとっては
この上なく 魅力的なものに思えて
やまないからです

“欲する” ということが
何らかの人間的な欲望というものに
直接つながり、それが
自らの欲望達成というものを
最終目標として、
それを手に入れるために
心血を 注ぐことになるのです

話を もとに戻します
人として 誠実であれ、ということが
どのようなことであるのかが
理解できる方達にとっては、
自らの今回のその生命のあり方を
自らが 現実的な社会において
体現をすることの 出来る方達なのでしょう

たにんの利益を得るために
みずからが、はたらく、ということ
そうやって、他者のためにはたらく方達が
増えれば、
そうじをした後に、ちりが残されていないように
明るく きれいな場へと
この世は このちは 変貌を 遂げることでしょう
自らの 利の ためではなく
他人が 利益を 得るために、
努力し 努めるかた達 というものが、
ある意志を 自らが 体現をする
という かた達なのです
ひとが喜ぶことを、自らが努力をして
現実社会で 体現をする ということが
正しい経済活動として きちんと
結びついた時に
これまでの このちにおける失敗のもととなった
エネルギー的階層のしくみ、
もしくは システム というものは
無効になります
立て替え 立て直し と
伝えられ続けてきたことの意味は
資本主義的世界の時代の終わりを告げ、
あたらしい 次の時代への扉を
開く ということを 意味します
ひとが、ある、意志のようなものを、
身体を持って存在をしている間に
体現をし、外的世界へと 向けられたその時に
“ある意志を 自らが顕わす”
ということ なのです、
からだを持って 存在をしている
その生存の期間内に
どのようなものの うつしみとして
人間社会で 働き
行動を 起こすのか、
そのことが ひとりひとりの人間に
問われている ということに 気が付けば
自らが ある役割を 担い
それを 現実社会で 体現するために
わざわざ この時代を選んで
生まれてきたもの、という真実に
向き合うことが 出来るはずです
自らの意志で 学び、用意をし、
用意の出来たものから 送り出される、という
手順を ふまえ
現実社会の場で はたらくことの意味に
気が付かれたかたは
時が来たら、送り出されることに
なるのでしょう
自らの たましいの存在の目的と意味をしり、
学び用意をして、
用意の出来たものから 送り出される
ということ、
人間社会での はたらく場と、
自らの立ち位置というものを 自覚し、
それを 現実社会において 自らの行動として
現わすということ
お祈りをし、こうなりますように、と
願うのではなく、
意志を体現して、自らが、現実社会で
はたらく、ということなのです、
ご理解をして いただけましたでしょうか


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通信-14年8月8日 
Friday, August 8, 2014, 12:11
(2014.8.8 am8:30)

自らのした、おこないが、
自らのところへ、帰って来る、ということ

他人をばかにして、罵り、
見下すような おこないを
周囲に向かって放射をし続けてきた
にんげんは、
それ相応の人生の終わり方を
迎える、ということであり、
自らのおこないの結果を
その人生の最後に 受け取る ということである
周囲の方々のために つくし、
その身をもって はたらいたものは、
自らのした おこないの結果を
最後に 受け取るということ
生き様 イコール 死に方
という 完全なる 理屈(理ことわり)であり
それが 正しき ルールである
ということ
言い訳を し続けていたいもの達は
それ相応の場へ
行くことになる ということ
生きて からだがあるうちに
はたらいたものは
その身をもって 証(あかし)とし
その生を 証明するものと
なるということ
たにんの人生に関与し
操作を したものは
その自らの罪を問われ
それ相応の場へと送られることになる
ということ
相手を改変させようとして
操作をする ということの誤ちに
まだ 気が付きませんか
自らの行き先は
ご当人 自らが選び 選択をするものです
違う 道へと 歩みを進めているものを
呼び止めては ならない
何故なら
その人間が 選んだ 選択でしか
ないから
なのです
自らの意志と選択で 決めて選び取る
というおこないには
当然のことながら
「自己責任」というものが 置かれています
誰かの 何かに どうにか 言われたから、
と 主張を したがるものたちは、
そこには 自分のせいではない
誰それが、こう言ったからだ、
という言い訳を、
いつまでたっても し続けていたい
かた達なのです
相手にしていては いけない
時間や労力を奪われるだけで
無駄なことであることに
はやく 気付いて下さい
自らが 助かりたい かた達は
あたかも、重りのように
まとわり付いて来るようになります
それが、足かせ、手かせになる
ということに
はやく、気付いて下さい
“救世主”ということばが つくり出した
大きな、巨大な虚構に
はやく、気付いて下さい
自ら以外の 何ものかに
助けてもらおうとすることの罪に
はやく、気付いて下さい
時間がないと言い続けていることの
意味に
はやく 気付いて下さい
あなた方 おひとりおひとりの
自らの決断 と 意志 というものが
問われているだけに 過ぎません
何ものかが つくり出した
「救世主」というものが 好きな方達にとっては
その場の層を離れるということを
したくは ないという事実に
気が付いて 下さい
相手にしては ならないということに
気が付いて下さい
全ては 理(ことわり)にすぎない
と お伝えしていることの意味に
気が付いて 下さい
時間は もう 残されては
いないのです


(2014.8.8 am7:30)

自分でつくり上げた罪を
他人に背負わすな。
---------------------------------
何故、その親を選んで
生まれて来たのか、という理由を、
自分の頭で考えよ
(他人に、こたえを求めるな)
---------------------------------
誰かに、何かを、どうにかしてもらおう、
という行動原理を捨てることが
出来ない限り、
何ものかの奴隷であり続ける
ということである。


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