通信-20年8月15日 
Tuesday, August 18, 2020, 11:57
(2020.8.15 am10〜受) 

“刷新しなくてはならない”
これまでの古いやり方を捨てて
全て新しくしなければならない。
これまでのやり方で通っていたはずのもの、事、が
これからは全く通用しない時代が来ている(はじまった?)
このままでは これから先の時代に生きてはゆけない、
という危機感を抱いているものは、出来る限り、
早いうちから準備をすすめておいたほうがよい、ということ。
可能な限り、引き継がせておきたい、もの、事については
今のうちから整理をして、全て準備を整えておかなければ、
これから先の「来る」時代において、用意を始めておかないと、
もう、間に合わなくなるというおそれもある。
ただちに引き上げることが難しいもの、事に関しては、
出来るだけ早いうちから用意をしておかなくてはならない。
信号を受け取る事が出来たもの達は、ただちに、その用意を
はじめておきなさい、ということなのです。
ぼんやりと無気力に毎日を過ごしている間にも、
時間はどんどん経過をしてゆく、ということであり、
後のものが先になるという、そのことば通りの事が、
既にこの世においては もう始まっているということである。
“早く、用意をしなさい”、と、言い続けていても、
現実の世の中での行動を起こそうとしないものたちは、
「自らの意志と行動力」というものが、
はなから存在をしていないから(していないためだから)であり、
言われたこと、指示、指図をされたことにしか
行動が伴なわないもの達であるからに、ほかならない。
何の意図が、そこに起因しているのかを、自らの頭で考え 調べ、
どのようなものの操作が、このクニの上に生きる人間達の頭の中を
つくり変えてきたのかを知らない人間に、
原因と結果、その事による弊害、といった事実を知り得る事などは
不可能に近いということである。
今の自分の生活さえ平穏であればよい、自らの一族のみが平和で安寧に
暮らす事が出来ればよい、と信じて疑わない人間達に、
このクニの問題点を見つけ出し改変(編)してゆこうといった、
義と行動力といったものは、伴なうことは無い。
それぞれの個のにんげんの小宇宙の中に存在をする
“ある何ものか”、が、それを考えるということを、拒み続けているからである。
まともな思考能力を持つものの、足を引っ張るもの達が、
どの人間の小宇宙の中にも存在し、それぞれの存在が
自らの正当性というものを頭の中で主張し続けるということであり、
“それらを始末し処分をする”という行動を起こさないもの達は、
自らの正当性を主張し、思いつく限りの言い訳というものを編み出しては、
できない(やらない)理由というものを
産出(算出)し続けている、ということ。
正しくはたらくもの達の、足を引きたくないと思うのなら、
正しい知識と現実の史実というものを、
自らの努力において学ぶという事であり、知力や努力のない人間ほど、
思いつくままに言い訳や、愚痴や文句といった類のものを、
口から頭から身体から、排出をし続けているということである。
自らの意志と努力と判断、行動力といった基礎的なものが伴わないものたちは、
このようにして 後から猛スピードで走って来るものたちの弊害となり、
足を引くものとして 邪魔をしているという事に気が付かない振りをして、
障害物になる(なっている)という事である。
後から来る次の走者達に、たすきを渡すことの出来ないもの、とは、
このようなもの達のことであり、その弊害について、当然のことながら
自らの頭で考えることはない。
足手まといになりたくないのであれば、歴史の事実を調べて学ぶことであり、
正しい歴史として頭に植え付けられてきた内容が、
事実とは異なるものであるとしたら、その背後にどのような意図(糸)が
張り巡らされていたのかを、知る事である。
ここまで伝えてもなお、知らぬ存ぜぬというもの達の主張に耳を傾けるもの達は、
自らのおこないと、それに起因する何らかの教え、更には、そういった教えを
撒き続けた何ものか達の策略とともに、ひとまとまりのものとして、みなされ、
ある領域へと封印されることになるのであろう。
問題点が、何なのか、そこに、どういった策略が張り巡らされたのか、
何も調べずに、何も考える事もなく、その問題解決法を
考えることすら、しない(出来ない、やろうともしない)人間達に、
ここから先の未来について、考える事など、出来ないからである。
                               〜am11:10

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通信-20年5月6日 
Monday, May 11, 2020, 17:38
(2020.5.6 pm8:44〜受) 

やるべきことが、あったから、
わざわざ、生まれてきたんだよね?
何か、しなくてはならないことが
あったから、わざわざ、今、
この時代に、おいて、
生まれてきたんだよね?
自分の担当の係、というものを、
早く発見することが出来たもの達から、
そのつど、その、あるべき場所へ
送り出されることになる、
ということなのです
ひとりひとりの役割は違い、
異なるものなので、
他の人と、自分を、比較することなど、
もっぱら、それは
不要なことなのです。
自分自身の、得意なことを生かし、
適任となるような任務を、まっとうし、
遂行をすれば良い、
ということなのです。
それぞれの得意分野を
活かして、それを活用すればよい、
という、お話なのであって、
“あなたが、あなたであるために”
異なる分野の業種のことに
手を出す必要など、はなから
存在をしていないのです
“これをしている時が幸せだ”
という分野のことを、活かしなさい、
という、とても、簡単で、
シンプルなお話でしか、ないのです。
他人の情報を見聞きして、
それを、“うらやましい”と
思っている限りにおいては、
あなたご自身の本来の
はたらきというものについて
道を見い出すことは、
難しいものと、なるのでしょう。
“裁きを、天に委ねよ”、という
ことばの意味を理解すると、
それまでの人間的人生とは異なった、
ものの見方が、出来るようになります。
自らの意識上における
様々な情報を、特に、冷静になって
よく、よく、見続ける、ということなのです
ご理解をして
いただけましたでしょうか、



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通信-20年3月13日 
Friday, March 13, 2020, 12:04
(2020.3.13 am9:15〜受) 

(コロナウイルスが原因で)
世の中の人々が、殺気立っていて、
「不安や恐怖」というものに
その意識が占有されている。

思考停止のような状況に
近しいもので、
“未来のために、何かをクリエイトする”
という発想が
存在していない(皆無)という
状況下に、その意識活動が
置かれている、という状態。

判断力や、決断力の低下というものが、
この地球上に蔓延しており、
当然、このクニの状態が、
それを物語っている。

思考回路が開放型ではなく
閉鎖的状況下に置かれていて、
問題解決の為の最良策が何なのかの、
判断が出来ないという、
あるものの意図した通りの
世界的情勢のなかに置かれている
という事実に
気が付く事が出来ない。

外部から、この地球的な状況を
俯瞰して眺めることが出来ない限り、
我を忘れて、右往左往するだけの
時間的経過の中で、
人生という時間を費やすことになるという事に
気が付くことが出来ない限り
客観的な視点で、
この世界情勢を、冷静に見つめることは
不可能に近い。

あなた方に残された時間は短いと、
くり返し伝え続けている事の意味を
自らの頭で(脳で)考え続けない限り
解決の糸口を見つける事などは
難しいであろう、ということなのです
ご理解をして頂けましたでしょうか



(2020.3.13 am10受) 

他人に依存をして
何かを、どうにかしてもらおうとする前に
今、自分が、
何をするべきなのかを、
考えなさい、ということです




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通信-20年2月10日 
Friday, March 13, 2020, 12:02
(2020.2.10 am8〜受) 

人間は、邪悪で残酷で
儚く、もろい。
“自分は正しく生きてきた” という
主張をするものほど、いとも簡単に
その存在の場を、明け渡してくれるというもの。
犯罪者のように、罪人のように、
ひどい過ちは犯してはきませんでした、
という主張を するものの心のどこかに、
自分は正しく生きてきたという主張を
死んでも手離したくない何ものかが
棲み憑いているということである
敬虔な信仰者、と言われているもの達ほど
簡単に、操作をされて
操られるということであり。
“その、指摘をされている事は、
まさか自分のことではあるまい”という、
ある種の自己肯定論を主張する
何ものかが、
その敬虔な信仰心を持っていると
(死ぬまで)思いたがっている何ものかの
心の隙間に、潜んでいるということである。
自分が正しく生きてきた、
自分は罪人ではない、
(むしろ被害者だ)という心の叫びを
手離したくはない何ものかが、
その人間存在のなかに居場所を持ち、
決してそこから離れようとはしないということに気が付けば、
何ものが、その人間の口を使用して、
その自己の正当性を主張しているのかを
冷静に判断をすることが
可能なはずである。
悪魔は人間の姿をしており、
いい人間のふりをしている
その人間存在の心の隙間に、得た棲み家を、
手離すことは無い、ということである。
悪魔の手先をするものは、自らが悪魔の手先として、
せっせとはたらいているという事に気付くこともなく、
その人物の生存期間の生存エネルギーを利用して
目的達成のために、
宿主の意識と身体を利用し続けるということであり
使われ利用をされたその人物が
その事実を知るよしもない
宿主として利用をされていた人間の主張は、
こうである
“何ものかに操作され動かされたのだから
自分は悪くはない”
というものである、この自分は悪くはないという主張を、
し続けていたい、というのが、
人間の性(さが)というものであり、
そのたましいが火にくべられる日が来るまで、
自分に時間は与えられていると
信じたがっている。
自らの暗黒面の淵を、
覗いて見ることをしたくはないもの達が
このような、ワナに、いとも簡単に引っかかり、
明け渡してくれる、ということである
“人の姿をしている”という事の、
解説の意味を、
ご理解して頂けましたでしょうか。



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通信-19年12月18日 
Wednesday, December 18, 2019, 17:51
(2019.12.18 am9〜受) 

(自分のところに)入ってきたものを、
“自分の意志で、始末をする”ことを
しない限り、“永遠の被害者”という意識が
その意識領域内において
占有することに、なります。
入ってきた、何ものかにとらわれ、自らの健全な意識が、
そのエネルギーによって、そがれ、
自らの不幸のもとが、「誰かの」「何かの」せいである
という主張をし始めるものが、
その意識の中で、頭をもたげることになるのです。
たたかうべき相手、というものを、
自分の外部に設定し、その、見えない敵との
たたかいに疲れ果て、人間は、その健全な意識領域を、
何ものかのために、あけ渡してしまう、という事が起こるのです
たたかい続けて 疲れ果て、
自らを起爆させるためのスイッチを押した時、
人間は生きる屍としての人生を選択したことになります
冷静に観察をし続け、分析し、どのような手段や方法が、
その問題点の解決につながるのかを、
考え、考察するという事が、必要であり、
我を忘れて 危機感を抱き、パニック的症状下にある状況下では、
冷静な判断や解決への糸口のようなものを見つける事は、
とても難しいものとなることでしょう。
人間が、自らを、被害者の立場に置き、自分の不幸の原因を、
外部の何ものかに見い出そうとする限り、
そこには必ず、「自分は悪くはない」という主張が存在し、
その自らの意識領域のなかで、
犯人探しのような事をし始めようとする何ものかが、
居座り続けることになるのです。
主戦場は、ひとりひとりの人間の小宇宙内であることに
気が付いたものから、
自らのうちで始末をするという意志が、
その物語たる主人公になり得ることが出来るのです。
“やられっ放しで、被害者だ”という不平や不満が
まっ先に、その口をついて出て来る限り、
正しき 義のために、たたかい続けるものになる事は、
難しいことなのでしょう。
本当に強い意志を持ち続けることが可能であるならば、
不平や、不満、愚痴や文句といった類のことは、
その口をついて出てくるものではないからです。



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