通信-15年2月7日 
Tuesday, February 17, 2015, 14:47
(2015.2.7 pm10:)

「死に方の責任」

よく生きるということと、よく死ぬということは同義です、
よく生きたものは、道を汚(けが)さずに去ることを望み、
あとから来るもの達のために、道を整えながら、去ってゆくもの。
人間は、生まれてこの世に生を受けた瞬間から、
死に向かっての時間を刻み続けてゆく生き物であるということ。
あなた方に課せられた重荷について考えるとき、
どのようなこたえが最良のものであるのかについて、と
問われるのであるならば、それは、「知識は既に、このちに
置かれているのです」という解答しか、ありません。
“何故ゆえに”と、問い、そのこたえを探すための思索をする
ということが求められているということに既に、お気付きに
なられているはずです。



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通信-14年12月1日-2 
Friday, December 5, 2014, 18:47
(2014.12.1 pm11:57)

“よくよく、あなたがたに、言っておく”
と、伝え続けてきたことの意味を、
自らは、知らないものである、という
認識を、ほんの少しでも持つことが
出来るものであるのならば、
何ものが、聖書の時代の終わりを、
もたらそうとしているのかを、
いちどでよいから、
考えてみることです。
“あなたがたに 残された、
時間は少ない、”と、お伝えしていることの
意味について、ほんの少しでも
耳を傾けていただけるのなら、
ご自身の、その、生き様、と言われるものが、
どのような、ありよう(様?)であったのかを、
いちど、振り返ってみて、下さい。
残りの人生の時間を、
どのような目的のために、燃やすのか、
ということです。
自らの正当性を主張しながら、
何ものかを犠牲にして、
ぬくぬくとした場所で
高見の見物をしていたいものなのか、
それらの最終的な決断の時期が、
そろそろ、せまって来ているということ
なのです。
目的が何のために、
残りの人生を生きるのかを、
よく、考えることです
つまり、自らの生存の、存在の、
基盤や基軸を、
何に置くのか、ということなのです。
からだがある時間内に、
どのような目的のために、
その時間を費やすのか、ということなのです。
義のために、生き抜いた、
ものなのか、
あるいは、利己的な、目的のために
自らを納得させながら、
生存時間を過ごしてきたものなのか、
最後の最後になって、
“これで本当に、良かったのだろうか”、
と、後悔をしないために、
あなたは、あなたの、生命の、
残存時間を、
どのような目的のために、
燃やし尽くすのか、
ということ、なのです。
同じことは、もう、
何度も何度も お伝えしました。
あとは、あなた自身が、
お決めになることなのです。


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通信-14年12月1日-1 
Friday, December 5, 2014, 18:45
(2014.12.1 pm2:20)

“能力のないものほど、ご神業もどきのことを、したがり、
余計なことをして、邪魔をしてくれる。”
何ものかの手先となっている、という
その状況にさえ 気付かないものたちが、
このクニの歩みの足を
止めてくれている。
それらのものたちの行動原理の
もととなっているものが、
“自分の利”、である、ということ。
“オカネが欲しい、彼氏(彼女)が欲しい
超能力者になりたい”、という
自分に対しての利益というものにしか
目が向いていないから。
その行動原理のもとに、自分の人生を
生きているから。
少なくとも、このクニには、
ひと昔前には「志(こころざし」というものを
持つ人間が存在し、
世のため、人のために 生き抜く覚悟を
持つものが 大勢存在をしていた。
自らの生き抜く生の意味について
まともに考えることの出来る人間が、
いったい、この世に どれだけ存在を
していると、いうのか
それらのことを 考えさせないために、
あるいは 目をそらさせて
楽しく快適な人生を送りたいと思わせるために、
どのような情報操作が、成されてきたのか。
知らなかった、と言いながら、
言い訳をしながら 死んでゆくものたちの
お決まり文句というものが、
“自らには何も罪はない”、といった類(たぐい)のもの。
その、おかしな状況に対して疑問を抱かずに
考えることもなく、日々の自分の楽しい生活だけを
考えて、自分のつくり出した、おとぎ話の天国のような場所へと、
去ることが出来るとでも思っているのか。
“耳のあるものは聞きなさい”、と、
言われ続けてきたことの意について、
自らの頭で考えたことでもあるというのか、
あなたがたの 頭の中でつくり出したお話が、
あなたがたの外部の物質宇宙へ反映される
ことの意味について、
考えたことが おありなのか
自らの内側を、きれいに掃除をすることが、
まず、一番はじめに成すべきことです。
自らの内側が、まっ黒な人間が、
一体どのようにして 世の中の問題点を
解決してゆくことが出来るというのか、
能力のないものほど、
ご神業もどきの ことを したがり、
担う責任さえ持とうとしないものほど、
あちこち 出掛けて 神さま事をしようとする、
自らのおこないによって、世の中を変えることが
出来たのだ、という自己満足が欲しくて
そのような おこないをするものたちが、
あちこちに おかしなエネルギーをばら撒いている、
ということ。
その、根拠は、一体 何なのですか
その、ご自身特有の根拠は、一体、何なのですか、
その、正体というものが、
あなたのなかで“神になりたい”、といい続けて
いるものの、本性なのではないのか、
“神になりたい”、“神になりたい” “  〃  ”……
神になって、
一体、あなたは、何をしたい方なのですか。
人様の信頼を得て、祝福されたい、人なのか、
崇め奉られ、人から大事にされたい、方なのか、
どちらにしても、求めているものの
根本原理というものが、最初から間違っているとは、
これっぽっちも認識をしたことなどはない、
という方でしか、ない、ということ。
相手にしては、ならない。そのような方々が、
まともに前を見て未来を考える人間の
足止めをするもの、ということに、
いい加減に気が付いて下さい。 おしまい。


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通信-14年11月27日 
Thursday, November 27, 2014, 14:34
(2014.11.27 am8:45)

“オカネ!オカネ!”と言って目の色を変えている
人間ほど、
貧乏神が 憑いている。
何故なら自分の人生の中で、それ(おカネ)が
一番重要なものだと思っているから。
それが目減りして 減ってゆくことに
恐怖すら感じていて、自分の手元から
絶対に手離したくないと思っているから。
オカネがあったら、欲しいものが手に入る、
オカネがあったら、おいしいものを食べられる、
オカネがあったら、いい暮らしが出来る、
オカネ、オカネ、オカネ………
人間が生きる上で、一番大切なものが何なのか
死んでから、はじめて気が付く、
という道を歩み続けているということに、
近(特に)現代の人間は気が付かない。
死んだら終わりと信じていたいものが
つくり上げた、まっ赤な嘘のお話を、
それが あたかも本当のことであるかのように
信じ込まされてきた事実を、
どれだけの人間が 認識をしているのか、
社会の仕組み、経済の仕組み、
それに、このクニの、これまでの政治の仕組み、
日米地位協定によって何が
取り決められ、どのようなものの管理下に置かれて
コントロールが、成されてきたのか、
“自分は、それを知らないものである”、
ということを認めることすら出来ないものが、
このクニのこれまでの仕組みについて
意見をすることが出来るとでも言うのか、
自分の身のまわりの小さなことに こだわり、
ああでもない、こうでもないと言いながら
他者を妬み、潰そうとするもの、
この世の中の仕組みや、どのようにして
改善をしてゆかなければならないのかを
考え続ける人間の足止めをし、
何ものかの手先となって、
せっせと はたらき続ける人間、
すべては学びに過ぎない、と言い続けている
ことの全体像を理解することすら
出来ないものである、という自覚が、
もし ご自身の存在のかたちのなかに、
かけらほどでも あるのなら、
ご自身が、今、何を学ばなくてはならないのか、
ということを、まず、考えるということです。
何を学ばなくてはならないから、
あなたは今、人間をしているのか、ということです。
持つものを妬み、他人を羨んでいるヒマが
あるのなら、
「自分のたましいを、自分で、磨け。」
ということなのです
他人を羨ましい、と 思い続けている限り、
ご自身のことも、このちの全体像のことも、
見えては、いません。
観点、視点というものが、全く違う、別もので
あるから、なのです。
自らが生きていく上で、重要なものが、一体、何なのか、
それが、ブレない基軸を持つために
絶対的に必要なものなのです。
それを教えているものが、
精神学というものの 基本です。(おしまい)



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通信-14年11月11日 
Thursday, November 27, 2014, 14:33
(2014.11.11 am11:22)

行くのは、勝手。
どこかに出掛けて、
何かをするのも勝手。
ただ、出掛けた先で拾ってきたものは
自らの責任において処理をしなさい。
自らのおこないの結果物を、
他人に、押し付けるな、ということ、
何ものかに操作され、あちこちに行かされて、
使われるもの、として その人生を終えたものが、
かつての宗教者(ご神業者?)と言われた人達。
それらの方々が、何か、人々の生活に役立つことや
ものを、残したのですか?
ということです。
そうやって 正しき本来の人としての人生を
まっとう出来なかったもの達が、
自らのおもいのエネルギーとして、
生きている人達に とり憑き、
意識を操作して
操る、ということ。
それが、使われるもの、ということなのです



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