通信-12年4月20日 
Monday, May 7, 2012, 17:11
(2012.4.20 pm10:45〜)

見えたものしか信じない偽善者たち、
それが、今の、この時代の象徴とも
言えるものたちなのでしょう、
与えられた報道のみを信じ、
それを信じて疑わないものたち
それが何の意図を持って操作されたものであるのかを、
自分の頭で考えたことが
あるのですか
利用されているという立場を自覚することが
出来ない限り、
永遠の使われる羊であり続けることに
そろそろ気が付いた方がよいのかもしれません
見えているものにしか 信憑性がないと、
言い切れるものたち、
その、根拠となるものとは、一体、何なのですか
あなた方に示唆された
その告知内容について、お考えになられたことが
ありますか、
人の世の中で、図象として示された、
あらかじめに告知がなされていたことが
何なのであるのかを、
真剣に、考えてみたことが、ありますか
あらかじめ、告知が、
なされているのです
よいですか、
あらかじめに、告知が、
なされて、いるのです
まがいもの、その他、いかがわしい、つくりもの
それらの区別 と、仕分けをすることが
出来なければ、
操作をされて、支配をされ、
そして、家畜のように飼い殺しにされて
この世を去ることになるだけなのです
いかがわしい、つくりもの、と、判断をされるもの
それに対して、あらかじめ
予告がなされて、告知が既に
この地に預けられたもの
どちらが 気違いじみていて、
どちらが、あらかじめ予告がなされて
告知をされていたものか、
その判断をする技量というものを
あなたは持ち合わせているのですか
否(いな)ですか
自らの芯となるべきものに問うてみること
なのでしょう、自らの芯となるべく
あなた方の存在の中に置かれているもので
あるのなら
その回答というべきものを、
あなたの意識下にもたらしてくれている
はずのことだからです
それが偽りのものであるのか、
あるいは 真(シン)なるものであるのかは、
正しき回路につながっているのであれば、
その意識下に、きちんと届けられるはずの
ものであるからです。
見てみなさい、それらの事実を露呈するものが、
既にこの世に、幾人も
生まれつつある、という事実を。
歴史上に置かれている記実が、
何をあらわ(顕、現)し、何を、先に伝えていたことで
あるのかを。
あらかじめに告知は、なされ、
あらかじめに、伝達は、なされていた、
それを、検証をし、人知として
認識の基(もと)に置くことが
出来る人間が この世に顕れるのか
否かを、今の時代において
検証がなされている、ということが
正しい、こたえ、なのでしょう
知るものは、知り、
そして、そして知ろうとしなかったものは
知り得ることが 出来なかった、
それだけの 話でしか、ありません。
意図されていた それらの筋書き
そして、予告内容を、読み解けるのか
否なのか、まがいものと、シンなるものの
見分けと区別が、出来るものであるのか
否か、
その判別能力を持ち得ているものであるのか
否か、
今、この時代のこのちにおいて、
生き抜き、そして学びを得ることが
出来るのか、否か、
それらの選択は すべて
ひとりひとりのにんげんに 委ねられて
いることの意図を知り、
次のステージへと進むのか 否か
それらの選択権は全て、
ひとりひとりの意志に委ねられている
ということの 意味を 知り得たもの達から
次のステージへの扉というものは
用意がなされているものなのであろう、
知り、そして、そこで学びを得たものから
用意がなされ、
次へと進むことの意味を知り得たものたちから、
次のステージへの扉は開かれることに
なるのであろう、
あなた方に与えられた選択権というものが
何を意図し、何を示唆されているもので
あるのかを、
いち早く学び取ったものたちから、
次の時代への駒を進めるものと
なるのであろう、
チャンスを与えられていることの意味を知り
それに気付いて実行をしはじめたものたちが、
次の時代への選択を選び取り、
そして、その次の時代のもの達へと
引き継いでゆく役目を担うことになるのであろう、
問い、その正しき解答を得るために
問い続けることになるその対象は、
あらかじめ、あなた方のもとに与えられ、
そして、委ねられているのです
自らの生きる目的を発見することが出来たものは、
自ら自身の存在する意味を発見し、
それを次へとつなげることの出来るもので
あるからである。 意図する“目的”というものを
見つけられましたでしょうか、


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通信-12年3月13日 
Tuesday, March 13, 2012, 15:40
(2012.3.13 am10〜)

“お願い”、“ご依頼”、
“不平”、“不満”、“文句”、“愚痴”、
いつまで、
あなた方に 耐えておられようか、
いつまで、
あなた方のそばで
これらの 口汚ない ののしりを
聞き続けなければ ならないのか
はじめから 与えられている こたえに
目を向けようともせずに
自らの 見たいものにしか
目を向けようとしないものたち
一体 いつまで あなた方に
耐え得ることが できるのであろうか
自らの選択と、
参加をすることの意味を
よく よく 考えてみて下さい
“やらされている”、
“自分だけが 不遇な目に 遭わされている”、
その おもいの かたまりの エネルギーが
一体、どこから生産されているものなのですか
あなた方に残された時間は少ない
いつまでも いつまでも
親離れの出来ない 子供のような にんげんが
どうやって 世のため 人のために
はたらけるものに なることが できるというのか
自分で決めて判断をし
行動に移すことの出来る にんげんが
あまりにも少ない
“やらされている”という その不満のおもいのエネルギーが、
どこに向けられているのですか
自らが被害者である限り
自らは加害者ではない、という言い訳は、
一体どこから沸き出て来ているものなのですか
あれほどまでに
自らで処理をすることの意味を
語り続けているのに、
あなた方には、まだ
わからないとでも いうのですか
“ひとりひとりの にんげんが
審判の容器になる”、といい続けていることの意味を
よく、よく考えてみて下さい
それでも まだ、わからない、というのであれば、
この場を 立ち去ったほうが
あなたの 身の安全は、はかれる、
ということなのでしょう、
はたらき手を 必要としているのであって、
足を引っぱる存在は
必要とされては いないからなのです
ご理解をして いただけましたでしょうか

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通信-12年1月27日 
Friday, January 27, 2012, 14:33
(2012.1.27 am11〜)

わたしは あなたがたを
助けに来たのでは ない
あなたがたの中に
火を 投げ込みに来たものである
火を投げ込まれた 小宇宙には
内部に含まれるものが
あぶり出され
それらは 意識上の 小宇宙の中に
投影されて
噴出をしてくる ものである
炎上し 燃え尽くされた
その小宇宙の中に 最後に残るものが
何なのか
焼き尽くされた 炎が消えて
その後に 最後に残るものが
何なのか
進行中のこと それらは全て
物語宇宙における プロセスに過ぎない
焼き尽された その小宇宙の中に
最後の最後に 残るもの
それでも なお あなたは
あなたが 目指すものが 何なのかを
それを 自らが 知ることに なるのであろう
その ベクトルとでも 言うべき
進化の方向性のようなもの
それが 物語宇宙の 在るべき
本来の様相 有様で あり
物質宇宙と共に存在をする
個々の小宇宙の 進化の法則性といわれるものである
見えぬ 聞こえぬの
その暗闇の中で
必死に助けを求めて もがくのか
あるいは 自己の小宇宙の根の根の底まで
見尽くして
その正体が 何に由来をしているものであるのかを
見極めるのか 否か
選択をする ということである
火が投げ込まれて
炎上をした 小宇宙に
映し出されるものが 何なのか
それらを じっと見据え 見極めることを
完遂しない限り
次のステージへの用意は なされていない
ということである
駆逐をしたものには
駆逐が なされ
虐げたものには
虐げが 待っている
その罪と報復の連鎖を
断ち切りたいのか 否か
終わらせるのか 否か
それらを あなたが
あなたが 決めなさい、
ということが 問われているのである

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通信-11年12月4日 
Tuesday, December 6, 2011, 16:02
(2011.12.4 pm7:50)

うれしいことを、しては、いけない、
楽しいことを、しては、いけない、
-----でなければならない、
-----をしなければならない、と思っていた。
それを、しなければならない、
こうであらねばならない、と思っていた、
それで、自分自身を追い込んで、
きゅうきゅうになって、ストレスを感じていた。
限界値まで、自分を追いつめていた。
だから苦しくて壊れそうになっていた。
自分が自分で、なくなっていた。
こうあるべき人を、演じてその通りに
しなければならないと思っていた。
だから、つらくて苦しかった。
自分にウソついて無理強いをしようと
していた。
そんなこと、違うよねって分かっていながら、
そうあるべきだし、するべきだって、
自分に言い聞かせてきた。
だから、自分が演じようとしているものが
何者なのかが、分からなかった。
いい人で、優秀であらねばならない、
それが苦痛で仕方がなかった。
わたし一体、誰のために何者であらねば
ならなかったのか、
その通りに生きなければならなかったのか、
それを考えなければならない、
というのが、つらくて苦痛だった、
わたしが、わたしである、ということが、
どうある姿であるべきなのか、
それをずっと考えさせられていた。
こたえを出さなければならない、と
思っていた。
時間が許されている限り、
最善のこたえを出せるように努力を、した、
でも、結局のところ、どれが、本当の正解
なのかが、いつまでたっても、わからなかった、
だから、はやく、こたえを出さなければならないと、
ずっと考えていた、
見えないものの影響を受け続けると、
どうなるのかも、分かった。
それに、苦しんでいて困っている人達が
世の中には、たくさんいることも、わかった、
だけども、それを、どうやったら解決できるのか、
どうやったら、みんなが正しく生きることが
できるのか、それが、よく、分からなかった、
せきさんが提示してくれた、
SBMが、最も有効なのだと思っていた、
でも、それを広めるために、どうしたら
いいのかが、分からなかった。
どんな方法が効果的??どうやったら
世の中の人達に伝えることができる??
そんなことばかり、毎日毎日、ずっと
考え続けてきた。
正解が、分からない。だから、とても
苦しんでいた。自分から、どうやって
はたらきかけたらいいのかが、わからなかった、
こころの中のどこかで、誰かが何とかしてくれる、
と思っていた。
だから、やらなければいけない、
という思いと、誰かが何とか手助けを
してくれる、という期待と、が、あって、
いつもぐらぐら揺らいでいた。自分で決定して
行動を起こすことができなかった。
それでも、心のどこかで、きっと、許して
くれるよね、と、ずっと思い続けてきた
時間がないこと、分かっていながら、
結局、自分で行動を起こすこと、
できなかった。あれこれ調べて、自分で決めて
行動すれば いいだけなのに、
どうしても、自分で決定することができなかった
絶対ムリだよって、いう気持ちが
どうしてもあって、“わたしがやります”って
言えなかった、言ってしまったら、もう
後戻りも選択も出来なくなるような
気がして、それが、とても、(ものすごく)恐かった。
契約をする、ということの意味は
自分なりに自覚を、していた。
だから、うかつなことは出来ない、
してはいけない、と、ずっと思い続けてきた、
それだけに勇気のいることだと
知っているつもりだったし、
うそをついても、いけない、と思い続けてきた、
だから、いつまでたっても、決断が
できないままでいた。
そのことを考えると、つらくて苦しくなるから、
考えないでおこうとさえ、思っていた。
だから自分自身が揺らぎ続けていて
今自分がどこにいるのかが、分からなくなっていた。
------------------

(※思いのたけが、延々続きそうな感じでしたので、ここで切りました。)

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通信-11年11月17日 
Thursday, November 17, 2011, 17:55
(2011.11.17 pm2:12)

優しくすることが
愛でもないし、
仲良しお友達クラブの関係を
持ち続けることが
愛でもない。
そうやって、“情”というものを
愛にすりかえて
自己慢(※欺瞞の「まん」の説明有り)足で
生きていたいというものが
人間である
互いに お互いのはたらきを必要としている時に
協力をする、というものではなく、
仲良くして その関係性を
保ち続けることが
自らの不利益を生まない、と
思い続けていたい にんげんの
どれほどまでに
多いことか
横につながる
仲良し小好しの 網目を張って
見えないフリをしながら
後から来るものたちの通せんぼを
し続けるものたち
前を向いたまま にこにこと
腕を組み合って ゆっくりと歩き
後ろから 猛スピードで走ってくるものたちの
行く手を阻み、拒み続けようとする
ものたち
何ものが、後(あと)から来るものたちを
妨(さまた)げているのか、
何ものが、後から来るものたちの
行く手を 拒み続けているものなのか、
見るがよい、その鏡に写る
その身姿を、見るがよい
自らの、その性根のすがた
そのものを 見るがよい
とくと、そのもの みのすがたを
見るがよい 見るがよい

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