Tuesday, December 6, 2011, 16:02
(2011.12.4 pm7:50)
うれしいことを、しては、いけない、
楽しいことを、しては、いけない、
-----でなければならない、
-----をしなければならない、と思っていた。
それを、しなければならない、
こうであらねばならない、と思っていた、
それで、自分自身を追い込んで、
きゅうきゅうになって、ストレスを感じていた。
限界値まで、自分を追いつめていた。
だから苦しくて壊れそうになっていた。
自分が自分で、なくなっていた。
こうあるべき人を、演じてその通りに
しなければならないと思っていた。
だから、つらくて苦しかった。
自分にウソついて無理強いをしようと
していた。
そんなこと、違うよねって分かっていながら、
そうあるべきだし、するべきだって、
自分に言い聞かせてきた。
だから、自分が演じようとしているものが
何者なのかが、分からなかった。
いい人で、優秀であらねばならない、
それが苦痛で仕方がなかった。
わたし一体、誰のために何者であらねば
ならなかったのか、
その通りに生きなければならなかったのか、
それを考えなければならない、
というのが、つらくて苦痛だった、
わたしが、わたしである、ということが、
どうある姿であるべきなのか、
それをずっと考えさせられていた。
こたえを出さなければならない、と
思っていた。
時間が許されている限り、
最善のこたえを出せるように努力を、した、
でも、結局のところ、どれが、本当の正解
なのかが、いつまでたっても、わからなかった、
だから、はやく、こたえを出さなければならないと、
ずっと考えていた、
見えないものの影響を受け続けると、
どうなるのかも、分かった。
それに、苦しんでいて困っている人達が
世の中には、たくさんいることも、わかった、
だけども、それを、どうやったら解決できるのか、
どうやったら、みんなが正しく生きることが
できるのか、それが、よく、分からなかった、
せきさんが提示してくれた、
SBMが、最も有効なのだと思っていた、
でも、それを広めるために、どうしたら
いいのかが、分からなかった。
どんな方法が効果的??どうやったら
世の中の人達に伝えることができる??
そんなことばかり、毎日毎日、ずっと
考え続けてきた。
正解が、分からない。だから、とても
苦しんでいた。自分から、どうやって
はたらきかけたらいいのかが、わからなかった、
こころの中のどこかで、誰かが何とかしてくれる、
と思っていた。
だから、やらなければいけない、
という思いと、誰かが何とか手助けを
してくれる、という期待と、が、あって、
いつもぐらぐら揺らいでいた。自分で決定して
行動を起こすことができなかった。
それでも、心のどこかで、きっと、許して
くれるよね、と、ずっと思い続けてきた
時間がないこと、分かっていながら、
結局、自分で行動を起こすこと、
できなかった。あれこれ調べて、自分で決めて
行動すれば いいだけなのに、
どうしても、自分で決定することができなかった
絶対ムリだよって、いう気持ちが
どうしてもあって、“わたしがやります”って
言えなかった、言ってしまったら、もう
後戻りも選択も出来なくなるような
気がして、それが、とても、(ものすごく)恐かった。
契約をする、ということの意味は
自分なりに自覚を、していた。
だから、うかつなことは出来ない、
してはいけない、と、ずっと思い続けてきた、
それだけに勇気のいることだと
知っているつもりだったし、
うそをついても、いけない、と思い続けてきた、
だから、いつまでたっても、決断が
できないままでいた。
そのことを考えると、つらくて苦しくなるから、
考えないでおこうとさえ、思っていた。
だから自分自身が揺らぎ続けていて
今自分がどこにいるのかが、分からなくなっていた。
------------------
(※思いのたけが、延々続きそうな感じでしたので、ここで切りました。)
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Thursday, November 17, 2011, 17:55
(2011.11.17 pm2:12)
優しくすることが
愛でもないし、
仲良しお友達クラブの関係を
持ち続けることが
愛でもない。
そうやって、“情”というものを
愛にすりかえて
自己慢(※欺瞞の「まん」の説明有り)足で
生きていたいというものが
人間である
互いに お互いのはたらきを必要としている時に
協力をする、というものではなく、
仲良くして その関係性を
保ち続けることが
自らの不利益を生まない、と
思い続けていたい にんげんの
どれほどまでに
多いことか
横につながる
仲良し小好しの 網目を張って
見えないフリをしながら
後から来るものたちの通せんぼを
し続けるものたち
前を向いたまま にこにこと
腕を組み合って ゆっくりと歩き
後ろから 猛スピードで走ってくるものたちの
行く手を阻み、拒み続けようとする
ものたち
何ものが、後(あと)から来るものたちを
妨(さまた)げているのか、
何ものが、後から来るものたちの
行く手を 拒み続けているものなのか、
見るがよい、その鏡に写る
その身姿を、見るがよい
自らの、その性根のすがた
そのものを 見るがよい
とくと、そのもの みのすがたを
見るがよい 見るがよい
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Wednesday, October 5, 2011, 13:25
神の名において
お金と人間を集め、
その権威と利権を握り続けてきたもの、
それらは 既に
人間の責任である
神に、その責任を負わすな
神の名において 自らの罪を
神に負わすな
それらは 既に
その人間自身の 責任である
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光の宇宙 SEKIさんにつながっているのであって
この世につながっているのでは ありません
ここから先のことは
はたらけるものは 光の宇宙に座を持つものだけです
再契約が必要です
とり急ぎ すべての意識体に
伝達いたします
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Friday, June 17, 2011, 12:02
(2011.6.17 am10受)
虐待されて、いじめられて育ったにんげんは、
ある種特有の負のエネルギーを
周囲に向かって放射している。
自らが被害者である、という 被害者意識、
それとともに、自らに危害を与えるものに対しての
憎しみのエネルギー、
人から呪いを受けて生きてきたにんげんの
蓄電されたエネルギーは、ある許容量を超えた時点で、
周囲のものに向かって放出がなされる。
コンデンサーとして機能する、にんげんの身体、
肉体という物質に蓄積された、
その、マイナスのエネルギーは、処理方法を
知らない人間にとっては、排出するしか
解消方法をみつけることのできない類(たぐい)の
ものであり、それは、自らよりも、自らの判断において、
弱きものに対して、そのはけ口としての
ディスポーザーとしての役割を担わされた
人間に向かって、放出 されることになる。
“罪の意識のかけら”というものを自覚することのない
にんげんは、その、自分にとっての都合のよい
システムを手離すことはなく、
自らの保身と、自らの不愉快を排除するために、
必要なのだ、という言い訳をするにんげんの、
どれほどまでに多いことか。
よごれた水を平気で垂れ流し
周囲を汚染し続けるにんげんの
言い訳は、“自分は何もしていない”。
ひとのおもいの黒いエネルギーは蓄積されて
何くわぬカオをしながら、対象物へと
そそぎ込まれる
ひとのおもいの黒いエネルギーは、
妬みや、憎しみ、呪いという
意識の回路を利用して、拡大生産が
なされて、垂れ流される。
あなたのたましいに、その事実は記録が
なされ続けている。
その、“自分は何もしていない”という言い訳と
言い逃れをしようとしているものと、一緒に。
あなたのたましいに、事実のみが
記録され続けている
自分を不愉快にさせた、という
人間に対しての、呪いのおもいと共に。
あなたのたましいに、その事実のみが
刻まれ続けている
都合の悪いことは消去してしまおうとする
こころのうごきと 共に。
そうやって自らの責任を回避させようとする
こころのうごきそのものまでが、
すべて、あなたのたましいに刻まれ続けている
その、負の遺産を片付けるのは誰なのか、
一体、誰に、その責任を押し付けようと、したいのか
そうやって、かつて罪を背負って殺された
ある時点に起きた ひとつの出来事が、
人間存在のなかに座を占める
何ものに由来するものとして 象徴が
なされているのか
その実体を見るものは知り、
そして、その罪を担うものとしての
新しい生を得ることになるのであろう。
“契約”としての、このちに置かれたシステムを
知り、担うものは、さいわいである
人間進化の一端を、担うものであるからである。
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Monday, April 18, 2011, 14:40
(2011.4.7 pm7:25受)
7つの大罪、と、悪魔祓い
などという可愛らしい問題ではない
もっと重篤な問題が発生している
ある種の結界というものが外された後
総攻撃を仕掛けてくるものが何なのか、
ワクチン、免疫力のないものが
対応の出来ない問題。
耐え得ることの出来ないものは、
その自意識を支配され、明け渡し、
差し出すことになる
人類滅亡計画を目論むものが
一体、何ものなのかを、冷静に考えなければ
ならない時期が訪れているようです
この世のなかで、一体、何が起こっているのかを
知らないもの、判断、判別すらできない
おとなしい羊として、生きる人間には、
この警告の意図する意味というものを
おしはかることは出来ないのでしょう
このクニそのもの、どころか、地球規模での
最終戦争のようなものが、
既にはじまっています
フタ(蓋)を開けてしまったものは、
最後まで読み解かなければ
ならないからです
今、起きていることが、
現実の世に顕わされていることを考えれば
この宇宙における、ミクロとマクロの関係を
読み解くことが、出来るはずです
ちいさな1個体に起こったことは、
その身のかがみを外部の宇宙に
反応させることになります
いく通りにも読むことの出来る
暗号や、通信のようなたぐいのものは
それを目にする人の意識状態によっても
様々な受け取られ方をされます
物ごとが暗い方向へと向かいつつあるとき、
ある種のことばは
ひとびとを暗いほうへも、明るいほうへも
導くことが、できるのです
ことばに宿る、そのエネルギーは、
苦しみの中にいる人々に、勇気や安心を
もたらすことも、さらなる苦悩へつき落とすことも
出来るもの、だからです
世の中が、苦境な状況に置かれているとき、
ひとびとが求めるものは、救いです
聞こえのよい、苦難な状況を解決してくれそうな
ことばによる はたらきかけには、
すぐに、乗ります、
その反対に、警告的な、内容のものには
見向きもしないか、見なかったことにして
済ませようとします、
何故ならば、そのことばというものが、
自らの小宇宙のなかに存在をする
不安や恐怖というものに、ヒ(火?)を付けるからです
足もとを、すくわれるような不安感にかられるよりは、
こころが満たされ安心感をもたらすコトバを、
ひとというものは、求めるからです、
そうやって、ヒトの意識は、コントロールをされてきました
“そう言われてみれば、そうなのかもしれない”という
何の根拠も無い納得感と安心感を求めて、
人は意識を安定させてくれる、
何モノかを求めて、生きているのです
それが、ほんとうに正しいものなのか、
それとも、そういったニンゲンの意識を
コントロールする何ものか、の言いなりになっているのか、
それを冷静に考えることができなければ、
それこそ羊飼いに首輪でつながれた、
自分で判断して行動をすることのできない
家畜のような生き物として、
生きて、死ぬことになるのです
それで、いいのですか
それで、ほんとうに、いいのですか
誰かに薦(勧)められて、はじめたことが、
正しいことであるのか否か、
根本から、きちんと考えたことが、ありますか
“そうかもしれない”と判断したことの
根拠を、きちんと、考えましたか、どうですか
操られて、操作(査)をされたことの責任を、問うこと
の前に、何故、その情報を信じて、いいなりに
なったのかを考えてみれば、
原因となる理由を見つけ出すことが
出来るのでは ないでしょうか
ひとの“弱さ”という部分には、
真っ先につけこまれる、ということを
知っておいたほうが、よいのかもしれません、
ひとの不安や恐怖をあおられる部分には、
つけ込まれる、ということです
そうやって 人間を支配し続けてきたものの
存在を知っておかないと
対応策を考えて、つくり出すことなどは
できません
ある領域での情報は
ある能力を持つ人間にとっては、つつ抜けです
そうやって、相手の弱くてもろい部分を
追求し、掌握してしまえば、
主導権は、その秘密を握ったものの側に
いとも簡単に 移ってしまうのです
弱味を握られた人間は 首輪につながれた、
相手の管理下に置かれて完全にコントロールをされた
存在として、相手には認識をされています
自ら自身の意志で、そのつながれた鎖を断ち切ることが
出来ない限り、
その関係性を 切ることも、無くすことも出来ないままに、
コントロール下に、置かれます、
対等である、などと思わせているのは、相手の策略の
一部でしかありません
相手の自尊心を尊重し、あなたがそれに選ばれた
幸運なにんげんだ、という扱い方をすることで
いともたやすく、その関係性の頑丈な太いロープで
つながれることになるのです
いちど、取り込まれてしまったものから
退出することは難しいことなのでしょう
何故ならば、相手は、あなたの、いちばんもろくて
弱い部分を、知り、その秘密を掌握するものだからです
意識がもろくて弱いと、その弱点をつつかれただけで
その存在が大きく、ぐらつきます、そして、
自らを安心させてくれる“何か”を、より強く
求めるように、なるのです
相手の言葉たくみな話術に騙されて
物品を買い求める方々の多くは、
こういった支配図の相関関係のなかに
置かれています、そこからの脱出を考えるのであれば、
ある種の意志が必要になります
相手は あなたとの関係性を切らないために、
たくみに言葉を使って、あなたのことを引き止めるでしょう
“これをやめたら、こうなりますよ”という
ある種の脅迫的な、ことばを、
とても優しく、柔らかい口調を使って、
巧みな話術をつかって、たたみかけるように、
教え、諭(さと)してくることが、あるかもしれません
そこで、あなたの意志が、問われることに
なるのでしょう
その、鎖でつながれた関係性を
断ち切りますか、それとも、つながれておきますか、
その、どちらかを、あなた自身が選ばなければ
ならないのです
冷静な判断が、問われます
切るのも続けるのも、ご自身で決めることです
人の助けを求め続けている限り、ご自身の意志決定
というものを望むことは出来ません
どう、判断し、何を、選ぶのか
それを最終的に 決められるのは、
あなた自身の、正しき自意識でしか、ないのです
相手の方とのよき関係性を保ちたいがために、
断れない、という ご意見がある限り、
正誤の見極めをすることは難しいことなのかも
しれません
刺された楔(クサビ)を外すのも、
ひも付きのまま置いておくのも、ご自由です
何かの心理的な安心をもたらす要素がなければ
不安で仕方が無いという状況が、何を意味して
いるのかを、考えなければならない時期が
訪れているようです、それが、今回の問題の
テーマであることに、気付いて下さい
(pm8:29)
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