Wednesday, October 27, 2010, 19:01
(2010.10.27 pm2:24〜受)
帰りぎわに見てごらん
自分の性格、人間性そのものを
よく、よく見てごらん
相手の闇に反応をして
それに影響を受けているようでは
乗っとられてしまいかねないことに
気付いて下さい
今や大勢の人々、人達から
すさまじいまでの 闇の、マイナスの、
エネルギーが噴出し出しています
しくみを知らないものたちは
自らのなかで そのマイナスのエネルギーを
増幅し、拡大再生産をしたものを
自らの外部へと向かって
放出をしはじめています
それらのしくみは加速度を増し
かつてとは比べものにならないほどのスピードで
このクニそのものを 飲み込もうとし始めています
崩壊のしくみのなかから
新しく 生まれ出ずるものの存在と、
その、しくみ。
自らの状況を客観的に見つめ続け
どのような状況下に置かれているのかを
冷静に判断することが出来なければ
呑み込まれます
光のある間に歩き、
闇に追いつかれないようにしなさい
という そのことばが
自ら自身のたましいに向けて伝えられていることに
気付いて下さい
足もとの一寸先は闇です
冷静な判断と対処が出来なくなれば
あっという間に闇の中に呑み込まれます
その世界で 生きることを 希望するものには
その世界でのルールに基づく 生き方をして
その生を終えることに なるのでしょう
どうするべきか、何を為すべきかの判断を
するのは あなたがた自身です
自分が、何を、どうするべきなのかを
考え、判断をするのは
あなたがた自身である、と、
お伝えをしているのです
自分が どう判断をし、どう動くのかを
最終決定するのは、
ご自身である、と、お伝えをしているのです
人に 頼り続けている限り、
いつまでたっても 自分を信頼、信用することが
出来ないままに、その判断を他者に
委ね続けることに なるのです
他人に 指示を あおいだ、から、
結果的に 良い結果を 手に入れることが
出来なかったとして、
その指示をした人間の責任に
することが出来ると 思い続けていたいからです
つまり、あの人が、こうしたら、と言ったから
結果、こうなった、だから、あの人の責任であり
自分は指示通りに 動いただけだ、
という 言い訳、言い分というものが、通用すると
思い続けていたいからです。
自らの責任において、自らの正しき判断のもとに、
動き、実行をする、ということ、
そして、その責任は、全て自らの範疇(はんちゅう)の
ものであるということの
自覚をした上で、動いて下さい
人を頼って、その人の意見を求め続けて
動いている限り
自らの自主的な行動、その行動のもととなる
存在基盤というものは 望めないのでしょう
自らに自信がない、だから、人を頼り、
人に依存を、する
求めていた結果を得られなかった、として
それは そのアドバイスをした人間の
責任であるから、自分のせいではない、
その、ものごとの考え方のなかに
自分自身がいることに気付かない限り、
いつまでたっても 自信が無く、他者の意見を
求め続けるものとして 存在をすることになるのです
何を、求めて 学びを得ましたか
羊も、羊飼いも、要らない
それが必要な時代は終わりました、
と、伝え続けているのです
自らの頭で考え、正しく判断をし、
行動を、する、“ひと”と、なりなさい、と、
お伝えをしているのです
崩壊をし続けてゆく、これまでの社会の
あり方の仕組みのなかで、
どのような未来を自らの手でつくり出してゆかなければ
ならないのかを、考え、実際に動き、
行動をしなければ、意味は、ないのです
身体を持ち、意識を持つことの真のイを
お伝えし続けているものとは、
何なのでしょうか、
どのような、あり方が、つぎの時代に
求められていると、思われますか
どのような 人間のあり方が、
どのような 社会のあり方が、
求められ、そして問われていると、お考えですか
未来に対する ビジョンを、クリエイトしてゆくために、
何を、どのようにしてゆくことが 求められているのでしょう
自分自身と、その周囲の環境が、
良いものであれば、そして ご自身が生きてこの世に
存在をしている 時間軸の一区間の間だけ
楽しく幸せなのであれば、それでよいのですか
志 こころざし、と呼ばれるものが、高いほど
そのヴィジョンは 大きなものになります
そして そのビジョンを現実化させるために
必要なものが何なのかを 考えはじめます
どのような準備が
必要とされているのかを計画的に考え、
実現化に向けての現実面でのプロセスを考え
行動をします
何に対して、どのようなビジョンを持つのか、
それを現実のものとしてクリエイトをするために、
何が必要なのか
それを考え実際に行動を起こすのは
あなた自身でしか、ないのです
つまり、判断と行動は、あなた自身に委ねられているのです
ご理解をしていただけましたでしょうか
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Thursday, October 7, 2010, 14:26
(2010.10.6 pm3:06〜受)
遠まきに 見ておるぞ
いつやるのんかと
見ておるぞ
とっかかり
目には見えない とっかかり
重い しり 動かねば
事態は 何にも 変わらんぞ
飛び込んだ さきに
何が 待っているのかは
飛び込んでみてからにしか
わからない
早とちり してみて わかる
きどう(軌道)の 違い
きどうは 修正できるもの
それは自らの はたらきでしか
ないため だから
見落とした 部分 とは
見落としてみて はじめて 気付く
それ、あとのこと
落とすの こわくて 一歩も 動けない
でも、そうしている間に
人生の残り時間は
どんどん 少なくなってゆく
後悔をしてみたところで
時間は一方方向にしか 進まない
おいてきぼりを くった、と
思い込んでいる その間にも、
自ら自身が じっとそこに
突っ立ったままであるという事実にさえ
気付かぬままに
時間は どんどん 過ぎてゆく
自らの 足で歩こうとしないかたに
費やす じかんは ないのです
あたまのなかで 考えていても
実際に うごき 行動をしなければ
意味は ないのです
そのために、身体を持っていることに
気が付かないと、
意識と身体を持ち合わせて
人間社会のなかで はたらくという
基本的なことにさえ
気付かなく なってしまうのです
正しく行動をするために
正しき方向性を持った意識を
キープする、ということ
そのために 浄化と上昇というシステムの
用意が なされている
きほん です
健全な 意識を キープする、
保持をするということです
そして 揺らがないこと です
意識が 散漫になり
不安や 恐怖心を 抱くと
次に やって来るのは 疑心感です
ひとつのタネを 何百倍にも
何千倍にも ふくらませて
次に やって来るのは 不信感です
そうやって 意識は
不明瞭な 状況に 陥ってゆくのです
ひとが ひととして 正しく生きるべき
ある種の方向性のようなもの
中心軸といわれる
まっすぐな 柱のようなものが
まったく見えない状況に
陥ってしまうのです
何を、するために、
今回 にんげんとしての 生を得たのかが、
わからなくなると
基軸を 失う、という事態が
発生します
ご主人さまが お留守になると
そこには 別のものが
居座ることに なるのです
その、居座ったものの 意向を実行するために、
あなたは 残りの人生を 費やすのですか
じぶんが じぶんで あるために、
主人格である 本人の 自意識が目覚め
確立が なされていないと
入ってきたものの言うことを聞いてしまうことに
なりかねません
まるで 別人格が しゃべっているような
状態に陥る ということは
何らかの阻害因子が
そのかたのなかに含まれている
ということなのでしょう
目つきや 顔付き 表情の変化
というものは、 顕著に あらわれます
取り除いてあげることが 出来るのであれば
そのかたの負荷を軽減させることは
出来るのかも しれませんが、
また 復活してくる 場合もあれば
ご当人が わざわざ 呼び戻しているという
場合も、あります
ご当人が そのことを自覚することが
できたときに
問題は解決することなのかもしれません
ただし、決して 上から目線で
伝えることだけは しては ならない
ということを、常に 気を付けておいて下さい
そうやって 相手のデータを読む能力を
持った人間が 多くの宗教集団のなかには
必ず置かれ、その人間との関係性を
縄のようなもので、つないでおくために
利用がなされてきた という事実を知っておいて下さい
支配、被支配の関係性というものが、
生まれてしまう 危険性を はらんでいるためだからです
してあげる、ということばのなかには
ある種の意味が込められていることに
気付いてください
じぶんが、やって、あげたから
相手の状況が改善した、というおもいがあると、
相手と自分との間には
目には見えない糸のような関係性が
生まれます。
その 糸に乗って 様々な 情報やデータ
もしくは ある種のエネルギーは
ダイレクトに つながります
それが、人間関係、といわれているものの
実体であり 正体です
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Tuesday, October 5, 2010, 12:17
(2010.10.4 pm3:10〜受)
そろそろ こらぼ(コラボ?)が
必要なんと ちがうかい
うし3(み)つどきの こえを 聴くのは
もう たくさん、 と 言いたいところじゃろうが
それが そなたの はたらきのゆえ
いたしかた あるまい
いそがしいときは 仕方あるまい
それどころと、ちがう、いうて
シャットアウト しておったのは
知っておった わい
---(←あるかたのお名前)も そろそろ 限界値まで
達しておる ゆえ
そなたも きく耳
そろそろ 使うては くれぬか
何せ はたらく ものが
足りなさ すぎ じゃ
もうちっと 数が 揃うてくれんと
つぶそうとする やからが
わんさと おるもので
困っておる
---(←別のかたのお名前)も 使うて と
言いたいところ じゃが
ちと たまに 暴走するゆえに
まだ 先の ようじゃ
日常の生活を まっとうさせながら
とらわれることなく
きく耳 持てるものが 少ない
それが すべてに なると
そうさされてしまう 可能性と
危険性と 常に 隣合わせ
浄化力が足りないと
ただの 乗り物に なってしまう
その危険性を 多く含んだものが
いるゆえ
回路のつなぎ方、間違うと
はいってきたものの いうこと
まに受け あちこちに あんぎゃ(行脚)
することになる
そのとき その人間の自意識は
どこかへ去ったまま
あやつり人形のように うごきまわることに
なりかねない だから、キケン
日常生活をしながら 社会と
かかわり合いながら でないと
かつてあった 死も発狂も、
の世界に 足踏み込むことになる
乗り物になり そうさされると
自意識が お留守になる可能性があり、
その責任が問えなくなる
操作された、うごいた、それ、誰の責任、
ということになる危険性が、ある
そなた、それ経験したことがあるから 知っている、
だから、出掛ける前に、それ、ほんとうに
正しいものが伝えてきているものなのか、
一歩 立ち止まって考えることができる、
うっかり きき入れて
あちこちに行きかねない、こと
知っている、から。
何の為に、そこに行かなければならないのかを、
冷静に 問い続ける視点を持たないと、
いいように あちこち めぐらされるだけ。
何ものかに とり付(憑)かれたまま
アタマのなかで しゃべるものの おもい
とげさせられるために
動かされる はめになる
それ、ひととして 不毛なことであることに
気付かないと、
そうさをされる乗り物になってしまう
そうやって 今まで
多くの狂者をつくってきた
だから その危険性を知った上で
正しく知識につながっている必要性が ある
そのこと ずっと伝え続けてきていることなのに
じぶんにとっての都合の悪い
聞きたくない話には
かかわりたくは ない らしい
自己の 責任 と 世の中で
人とかかわること、それと
スピリチュアルには 危険が伴なうこと
常に自覚をしておかないと
じぶんが 操作をされていることに
気が付かないまま
行動をすることになる、
何ものが 関与をしてきたとしても
正しく そのエネルギーを処理するのは
その にんげんの 責任、
だから、その にんげんの 人間性が
最終的には 問われる、と
ずっと いい続けている
最終知識のなかに すべてのこたえは
はじめから 置かれている、と、
いい続けている
じぶんが どう考え どう行動を起こすかは
じぶん自身で 決めるしかない
そこには 常に 責任が問われていることを
認識をしておかないと
知ったものには 常に、担い
はたらくという意味が 問われていることを
忘れては ならない
聞いて 出力することと
エネルギーの処理は ワンセット
それが 知り 担うものの 基礎的なルール
できるものと できないものの差は
それらのルールを認識しているか
否かの 差。
できるものには しょわ(背負わ)されて
できないものには ちょっとだけ
うつわ(器)の大きさと、キャパシティと、
処理能力とは、常に 拮抗している
無いものほど、それ欲しがって
有るものは、遠慮する
つぎつぎに やって来るのを
知っているから
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Tuesday, October 5, 2010, 12:13
(2010.10.3 pm4:35〜受)
ヤコブのはかに
そなえ、たむける花は
巡礼のちを まわり めぐるものに
その いぶきを 与え
ひとの つくりた その 歴史をも
多くの にんげんの その根幹にある
みずからが 神の子であり その先を
目指すものとしての 刻印を
その意識上に あげ
ひとの ゆき すすむべき
みち (道、身地) を なぞらえる
その意識の根幹にある
埋め込まれた 暗号と 刻印を 読み解かない限り
おなじ 誤ちを くり返すものとしての生を
送らなければならない ということに
気付かねばならない
巡礼の地と 呼ばれているものが
ある種の データ保存の場としての
役割を 閉じるとき
人は そこに 集う 必要は ない
いにしえより守られてきた
その 地のデータというものは
鍵を開けられて 封印を解かれた時に
その 役割を 終える
ある種の奇跡が 顕れた場所
その場に起きた何らかの現象を求め
ひとは その地に 集うことを 続ける
開印(?)された それらのデータは
ある時 ある目的のために
開示がなされ
それを読み解くことのできるもののもとへと
届けられることになる
ある種の秘蹟がなされた場所は
このようにして 人々の心をとらえ
その地、地場に
ある種の目的意識を 持ったにんげんの
こころのエネルギーの
集積場としての役割を果たすことになる
“知りたい”というその興味のもととなる
そのこころのエネルギーといわれるものが
地、地場に、それらのもとにあったデータとは別の
エネルギー集積の 機能をはたす
磁力のような 場に 変動をする
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Friday, July 23, 2010, 14:38
(2010.7.23 am9:45受)
“それは、依存し
甘えているだけである”
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