通信-10年10月4日 
Tuesday, October 5, 2010, 12:17
(2010.10.4 pm3:10〜受)

そろそろ こらぼ(コラボ?)が
必要なんと ちがうかい
うし3(み)つどきの こえを 聴くのは
もう たくさん、 と 言いたいところじゃろうが
それが そなたの はたらきのゆえ
いたしかた あるまい
いそがしいときは 仕方あるまい
それどころと、ちがう、いうて
シャットアウト しておったのは
知っておった わい
---(←あるかたのお名前)も そろそろ 限界値まで
達しておる ゆえ
そなたも きく耳
そろそろ 使うては くれぬか
何せ はたらく ものが
足りなさ すぎ じゃ
もうちっと 数が 揃うてくれんと
つぶそうとする やからが
わんさと おるもので
困っておる
---(←別のかたのお名前)も 使うて と
言いたいところ じゃが
ちと たまに 暴走するゆえに
まだ 先の ようじゃ
日常の生活を まっとうさせながら
とらわれることなく
きく耳 持てるものが 少ない
それが すべてに なると
そうさされてしまう 可能性と
危険性と 常に 隣合わせ
浄化力が足りないと
ただの 乗り物に なってしまう
その危険性を 多く含んだものが
いるゆえ
回路のつなぎ方、間違うと
はいってきたものの いうこと
まに受け あちこちに あんぎゃ(行脚)
することになる
そのとき その人間の自意識は
どこかへ去ったまま
あやつり人形のように うごきまわることに
なりかねない だから、キケン
日常生活をしながら 社会と
かかわり合いながら でないと
かつてあった 死も発狂も、
の世界に 足踏み込むことになる
乗り物になり そうさされると
自意識が お留守になる可能性があり、
その責任が問えなくなる
操作された、うごいた、それ、誰の責任、
ということになる危険性が、ある
そなた、それ経験したことがあるから 知っている、
だから、出掛ける前に、それ、ほんとうに
正しいものが伝えてきているものなのか、
一歩 立ち止まって考えることができる、
うっかり きき入れて
あちこちに行きかねない、こと
知っている、から。
何の為に、そこに行かなければならないのかを、
冷静に 問い続ける視点を持たないと、
いいように あちこち めぐらされるだけ。
何ものかに とり付(憑)かれたまま
アタマのなかで しゃべるものの おもい
とげさせられるために
動かされる はめになる
それ、ひととして 不毛なことであることに
気付かないと、
そうさをされる乗り物になってしまう
そうやって 今まで
多くの狂者をつくってきた
だから その危険性を知った上で
正しく知識につながっている必要性が ある
そのこと ずっと伝え続けてきていることなのに
じぶんにとっての都合の悪い
聞きたくない話には
かかわりたくは ない らしい
自己の 責任 と 世の中で
人とかかわること、それと
スピリチュアルには 危険が伴なうこと
常に自覚をしておかないと
じぶんが 操作をされていることに
気が付かないまま
行動をすることになる、
何ものが 関与をしてきたとしても
正しく そのエネルギーを処理するのは
その にんげんの 責任、
だから、その にんげんの 人間性が
最終的には 問われる、と
ずっと いい続けている
最終知識のなかに すべてのこたえは
はじめから 置かれている、と、
いい続けている
じぶんが どう考え どう行動を起こすかは
じぶん自身で 決めるしかない
そこには 常に 責任が問われていることを
認識をしておかないと
知ったものには 常に、担い
はたらくという意味が 問われていることを
忘れては ならない
聞いて 出力することと
エネルギーの処理は ワンセット
それが 知り 担うものの 基礎的なルール
できるものと できないものの差は
それらのルールを認識しているか
否かの 差。
できるものには しょわ(背負わ)されて
できないものには ちょっとだけ
うつわ(器)の大きさと、キャパシティと、
処理能力とは、常に 拮抗している
無いものほど、それ欲しがって
有るものは、遠慮する
つぎつぎに やって来るのを
知っているから

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通信-10年10月3日 
Tuesday, October 5, 2010, 12:13
(2010.10.3 pm4:35〜受)

ヤコブのはかに
そなえ、たむける花は
巡礼のちを まわり めぐるものに
その いぶきを 与え
ひとの つくりた その 歴史をも
多くの にんげんの その根幹にある
みずからが 神の子であり その先を
目指すものとしての 刻印を
その意識上に あげ
ひとの ゆき すすむべき
みち (道、身地) を なぞらえる
その意識の根幹にある
埋め込まれた 暗号と 刻印を 読み解かない限り
おなじ 誤ちを くり返すものとしての生を
送らなければならない ということに
気付かねばならない
巡礼の地と 呼ばれているものが
ある種の データ保存の場としての
役割を 閉じるとき
人は そこに 集う 必要は ない
いにしえより守られてきた
その 地のデータというものは
鍵を開けられて 封印を解かれた時に
その 役割を 終える
ある種の奇跡が 顕れた場所
その場に起きた何らかの現象を求め
ひとは その地に 集うことを 続ける
開印(?)された それらのデータは
ある時 ある目的のために
開示がなされ
それを読み解くことのできるもののもとへと
届けられることになる
ある種の秘蹟がなされた場所は
このようにして 人々の心をとらえ
その地、地場に
ある種の目的意識を 持ったにんげんの
こころのエネルギーの
集積場としての役割を果たすことになる
“知りたい”というその興味のもととなる
そのこころのエネルギーといわれるものが
地、地場に、それらのもとにあったデータとは別の
エネルギー集積の 機能をはたす
磁力のような 場に 変動をする

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通信-10年7月23日 
Friday, July 23, 2010, 14:38
(2010.7.23 am9:45受)

“それは、依存し
  甘えているだけである”

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通信-10年7月20日 
Friday, July 23, 2010, 14:37
(2010.7.20 am9:45〜受)

できない理由を見つけることは簡単である
このような原因が あったから
望んでいた結果を得ることが出来なかったのだ
という言い訳が通用するものであると
思い続けていたいからである
ひとつの理由をタネに
次々と 次の理由を見つけては
結果を得ることを、
結果を出すことを、出来なかった
という主張の正当性を
抱え続けていたいからである
その自らの手元に抱え込んでおきたい
正当性の主張というものを持ち続けている限り
自らに落度はなく、間違ってはいなかった、という主張が
通用するものだと思い続けていたいからである
できなかった、というその結果について
それまでに 自らが一体どれだけの
自助努力を続けてきたのか
一体どれだけの策を練り、それを実行してきたのか
動き実際に行動をしてみて
うまくゆかない点が あるのなら、
なぜそれがうまくゆかないのか
あるいは どのような点を改善すれば
問題がクリアできるのか
その方策を考えることで どのような点が
解決への糸口を見つけることが出来るのか、
それを 考え 実際に行動に移したのか
ということが
問われているのです
“できなかった” “こういう理由があったから”
という主張をしているようですが
“やりたくなかった” から、
という事実が その奥底に存在していることを
見えないふりをしているだけなのでは
ないのですが
楽しく機嫌よく 毎日暮らしてゆくことに
人生の目的を置いている限り
どうやって他者のために
はたらくことが 出来るといえるのですか
やろうとしました 努力をしました
ならば 何故 結果が出ないのですか
ものごとは 理屈です 理(ことわり)でしか
ありません
できない理由を 見つけることは簡単です
こういった原因があったから
結果が出なかった という、その原因を
一番前に持ってくることで
本当は、やりたくはなかったのだ、という
真の理由を、奥深くに埋め隠しておくことが
出来ると思い続けていたいからです
やりますか、やりませんか、
それは自分で決めることなのです
自分で考え、自らで実践し、それが
うまくゆかなければ、何が問題で
どこをどう改善すれば 状況が改善されて
ゆくのかを、考えるのは
あなた自身でしか、ないのです
中途半端な気持で続けている限り
状況を改善させることは難しいことなのでしょう
何故 あなたがたのはたらきが必要とされているのかを
ご自身が認識出来ていない限り
いつまでたっても状況が改善されることはないのでしょう
指示待ち、周囲の状況が変わること待ちで、
自身の自発的な行動や計画が無い限り、
誰かの何かの後をてくてくと歩いてゆくことしか
出来ない人間として存在をすることになります。
判断に迷った時、信頼できる人間に
相談するのは正しいでしょう
ですが、人に指示されたことしか
出来ない人間は、
自分の足で立って歩くことが難しいということに
気が付いてください
未来のために 何が必要とされているのか
そのために ご自身が 何をどのように
行動することが重要なのかを
考えていただく必要があります。
どこかに何かのおもいを飛ばすのではありません、
考えるのです、
考えてください、
最終的な目標があったとして、
それを実現させるためには
何が必要で、どういった手続きが必要なのか、
それらの手順を調べて実際に行動するのは
あなた自身でしかないのです
どこかの何ものかが自分の代わりにやってくれる
という意識を持ち続けている限り
慣れあいのヨコの鎖を断ち切ることは
難しいのかもしれません
上へとつながるべきであり、
必要なときに 必要な協力者とともに
はたらくことは重要ですが、
ヨコのつながりが重要なことではないことに
早く気付いて下さい
そうすることで ご自身が本来の正しく実践するべき
人生を歩むことができるのかもしれません
視野は外部に、未来に向けて
広い視野を持つために
何が必要とされているのかを
いちど考えてみて下さい

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解説通信-10年6月22日 
Wednesday, June 23, 2010, 22:05
(2010.6.22 am10〜受)

浄化力=情報解析能力

光のルールでは、常に光50%闇50%で、
拮抗している。
つまり、下図のように、正しい光のルールにおける限り、



A=A´、B=B´ となり、処理能力の拡大に伴ない
上下の振幅が大きくなる(激しくなる)
ただ、これは、あくまでも “正しき光のルールに則っている”
場合においてのみ、あてはまるものであり、
落ちたまま、本来の正しきルールから外れた
場(=ある種の魔境、魔界といったエリア)に、
その人間のたましいが属している場合、
当人は、自分(のたましい)が、どの場に存在しているのかという状況が、
全く、見えない状態に陥る。
結果、一種のアナザーワールド的世界に落とされている
理由(正確に言えば、自らで足を踏み込んだにすぎない)が
わからないため、その責任の所在を、自分以外の
外部に見つけ出そうとするようになる。
客観的に自ら自身のたましいの存在基盤を観察することが
出来得るものである限り、
そういった迷界的魔境に陥ることはない。
自らの苦境な状況を呪い、自分以外の何ものかを
断罪しようとする意識が、その人間存在のなかに生まれる。
堕ちた人間には、客観的に見ると当たり前のように判断出来るはずのことが、
全く見えないという状況に陥ることになる。
その人間のなかには、そこから自らを救い出して
くれるものこそが神であるという、あきらかな魔界の
思いのエネルギーに自ら自身が支配をされることになる。
何故状況が改善しないのかという問題に対して、
責任の所在を自ら以外のものに求めるようになる。
その行動原理、あるいは思いの領域のなかに
自ら自身が捕らえられているという状況に気が付かない限り、
その人間は、その人間の内部の魔境という場からの
退出、脱出をすることは限りなく不可能に近い。
自らの不幸や不遇の原因を外部の何らかの問題に
求めようとする方向性を捨てない限り、
その、自らのつくり出したに過ぎない魔境からの
脱出、退出は不可能であるということがいえる。
たとえ他者から投入された闇的エネルギーが
自らの小宇宙に含まれていたとしても、そしてそれが、
一方的に送り込まれてきたものであったとしても、
自らの意志で正しき契約をしたものであるという
認識を持ち続けているものであるならば
それらの処理が自らの役割であることに、
当然のことながら気が付いているはずである。
そこに自ら自身の不満や不服、不条理さの主張をし、
言い訳や不平、不満の思いを抱き、それを
口にするものに、自らのその存在の場を知り得ることは、
限りなく難しいことであり、
それが 自らのたましいの存在の場が、どこなのかが
わからない、という状況をもたらすことになる。
その苦境な状況からの脱出を、自分以外の
何らかの存在に求め続けている限り
当然のことながら自らの求めていた解答に
たどり着くことは、甚だ不可能に近いことである。

あなたが主宰する小宇宙の様相を
決めるのは あなた自身であり
つまり あなたが あなたという人間存在の
主人として存在をしていない限り
何らかの自分以外の 存在に
その主人格を明け渡すことになるのである。
自らの小宇宙の主宰者が、健全な意識を持ち得た
人間としての自分自身でない限り
外部から入ってきたものの影響を受け続け
のっとられて操作をされ続けることに気が付かないと
人間存在の意味を喪失した状況で生きなければならない
という未来が待っていることになる。
そのしくみは既に書のなかに知識として
置かれているものであり
何の為に それが このちに置かれているのかを
冷静に考え判断することが出来るものであるならば
自ら自身で その重きくびきを外し
あたらしき未来を切り開いてゆくものとしての
一生を、つくり出してゆくことが出来るものとしての、
“ひと”としての人生を 全うすることができるのであろう
自ら自身が そのことに気付くことができたとき、
それが、あなたのたましいにスイッチが入る
ということなのかもしれません


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