Friday, January 4, 2008, 17:58
(2008.1.2 pm1受)
お金のために自分のたましいを
売った人間は、たましいのない、
身体が留守の状況の存在に、
なる。
その、空っぽになってしまった、からだに、
住み家を得たかのように居座るものが
何なのか、
生きているひとの、思いのかたまりや、
既に、この世の生を終えたものの、
消えることのない思いのかたまり。
それらの目には見えることのない
ある種のエネルギーに、
自らの意識や身体の領域を
占領されてしまっていることに
気付くものは少ない
まるで多重人格者のように瞬時に
人格が入れ替わる
他者に対して攻撃的になる
それらは、
本来あるべき姿としての、ひととしての
正しい姿であると、いえるのか
存在すべきではないものに支配された
そのかたちが、危機的信号を発していることに
気付くものは少ない
自分自身の存在を乗っ取られないためには、
浄化力を高めるしか方法は、ない
あるいは、自らのたましいの存在のあり方を、
認識するしか方法は、ない
もしくは、どのようなエネルギーの
影響を受けているのかを、自らが認識し、
処理する方法を自らが見つけ出すしかない。
様々なタイプのエネルギーを受けたその存在は、
明らかに、わかるカタチで
表へと顕れることになる。
からだに顕れるか、あるいは意識に
顕れるか。
他者からの闇のエネルギーを
まともに受け続けた人間は、
わかりやすいカタチで病気となり顕れるか、
もしくは処理することが出来ずに
うつ状態になり、心身を病むことになるのか、
たまり続けた、その闇のエネルギーは、
限界値を超えると、
逆流をし、おう吐をするように、
自分より、より低い立場のもの、
自分より、より小さなものへと
吐き出されることになる。
自らが汚染され、さらに、自分より
下のものへと汚染を、する。
その責任は、自らが取らされることに、
なる。
見えぬフリ、聞こえぬフリを
するのも結構だが、
たましいは、下へ落ちるか、上へ上がるかの、
2つしか選択肢は与えられてはいない。
その事実を知らなければならない。
どちらへ向かうのかは
自らが決めなければならない
からである。
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Thursday, January 3, 2008, 13:28
(2007.12.23 pm11:20受)
その本は
はじまりでもあり
おわりでも ある
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Thursday, December 27, 2007, 14:44
(2007.12.25 pm10:20受)
振りかえる うしろさえも
なき ものが
ゆくべき しびとの ゆくすえ
さえも
しるよしなどは なかろうに
とっておきの ショーを
見るがよい
うろたえること なかれ
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Thursday, December 6, 2007, 15:48
(2006.12.8 pm1:03受)
輪廻転生
地獄の世
何かの助けを求めつつ
お祈り おすがりしてみても
助けを授かるはずはない
脱出したくば
見るがよい
浄化し上昇し
おのれの姿を
見るがよい
自らのたましいに
何が書き込みされているのかを
自らの目で
確かめてみるがよい
自分が求めていたものが
自分を助ける何かだと
けがれた汚れを抱いたまま
自らの希望する
夢物語の世界へと
去れるとでも
思っているのか
暗闇の中に置かれているものは
引き出され
自らが明るきところと
思い込んでいるものは
暗闇の下に ある
そこに閉じ込められていることに
気づきさえもしないものが
行くべき所など
あるわけがない
何かが自分を明るき所へと
連れて行ってくれるものという
甚だしいほどの勘違いをしているもの
自らの意志を持ち
たたかう勇気さえ持つことさえも
出来ぬもの
自らの生の時間が終わりさえすれば
完結すると思い込んでいるもの
自分以外の人間の問題点ばかりに
目を向け
自らの解決すべき問題点という
大きな岩山の かけらにさえも
目を向けぬもの
あなたがたは皆 嘘をついている
ぎまんや高まん
口から出てくる
そねみのことばは
全て自分へと帰ってくることになる
ことばは出したら 消えるもの
そのようなルールなど
存在はしない
厳然たるルールの中で
真理(審理)という絶対的な規律に
よってのみ
記録は今も され続けている
こころの中に渦巻く思い
自分以外の 何ものかに対して
発せられる
脅威的なエネルギーは
瞬時に対象物となるものへと
届けられる
知らない、などという言い訳は
もう通用しない
その事実について記された書が
世に出るからである
その書を手に取るも取らぬも
自由である
全ては本人の意志にゆだねられる
その書に記載されている
決定的な真理を知った者から
その人間の意識の
コペルニクス的転換は
はじまるはずである
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Thursday, November 15, 2007, 11:29
※精神学協会の会員のかたが
一人歩きできるようになったようなので、
昨年届いていた<ひつくのかみ>のことばをお伝えします。
(2006.11.27 pm11:17受)
せきさんは
いつも にこにこしながら
ひとのために
はたらいている
ちっとも じぶんの
おかねに ならないのに
それでも
それでも 相手のために
はたらいて いる
こんなひと
よそには きっと
おらんじゃろ
なんの ために はたらくか
だれの ために はたらくか
かんがえて みたことが
あるじゃろか
だれかの、
なにかの、
ためという
それ だけの ために
身を 粉(こ)にして
はたらいて いなさる
頼って 助言を 求めていては
おもりを 持たせる
ことになる
いつまでも 補助輪をつけた
自転車に 乗っていては
いけない
自分の意志で
外(はず)して 自分の足で
こぎながら
バランスを 取って
ゆくのじゃよ
それが じぶんの 人生を
生きてゆく という
ことなのじゃ
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