通信-06年8月17日 
Wednesday, September 5, 2007, 16:36
(2006.8.17 pm2:08受)

南無阿弥陀仏のことばの意味を
知っているものがどれだけいるといえるのか
そのことばの意味さえも知らずに、
それを唱えさえしていれば解決できるものだという
完全なる思い違い。
貴き(尊き)ものに対し、
自らが帰依いたしますという本来の意味は忘れられ、
自らが助かるための手段としての使い方しか
していないのが今の現実。
本意はむなしくもしりぞけられ、
おとだまとしての効果があるものという前提により、
それは今も人間の口から発せられている。
くしくも、そこにおとだまとしての
発生(発声?)されるエネルギーに、
人間という存在を介在してつくり出される、
ある種の訴求効果(訴求力?波及効果?)があったため、
今の世に到っても、それは絶大なる影響力を
及ぼせるものとして使われ続けている。
印を結び、呪をとなえるという行為によって
つくり上げられた異界との結界、
わたしが地図を示したのは、長い時間をかけて
人間がつくりあげてきた呪の結界が、山々の峰々に沿って、
はられてきたことをしらせるためである、
それらは、俗世界から離れたものたちにより、
強固な意志によって、つむぎ出されてきた。
暗く、木々の生い茂った山々の地中深くに、
それらは、差し込まれ、
釘の上に、更に釘を打ち込んでゆくように、
地中奥深くまで埋め込まれている。
いにしえの時代より、やまとの中心線には、
このような呪の結界が、はられてきた。
異界の門は開(あ)き、それらは出てくるであろう。
それらは霊界のものではなく、
魔のものである。

循環の環(わ)は閉じられた
奇しきもの、いまたちあらわれん

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通信-07年8月17日 
Wednesday, August 22, 2007, 17:33
(2007.8.17 pm3:09受)
 
いづ ともに いづ
いぬると おもいた
そのやどさきに
あたえられたる
わが すまい
みぬ みえぬ さきの
その むだ づかいの
エネルギーを かてに
やしゃ や やしゃごは
うまれたりき
いづ ともに いづ
かげろうのごとき
おもいの かたまり として
はかいする かんじょうの
あらわれとして
ひつうに うちくだかれる
うき おもいの
かたまりとして
倍へ 倍へと
ぞうふくさせる
人間的 正常意識
を うち くだく もの として
きえぬ おもいの
その ゆくさきは
あなたか あるいは
しんぞくか
ぼうはつする かんじょうか
あるいは 身心に いじょうを
きたすのか
もしくは もんだいこうどうとして
あらわれるのか
いずれにしても
なんらかの
わかる かたちで
あらわれる
それらの 顕現は
りくつでしか ない
おもい あたる
何らかの理由が存在している
背景があり
それらの 現象は
結びつく

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通信-07年8月8日 
Wednesday, August 8, 2007, 15:00
※8月8日に出しておくようにとの指示がありましたので、お伝えします。

(2007.8.8 pm2受)
 
じゅずつなぎの ゆくえ
きのうとおなじ
あしたは こない
でぐち でぐち
でぐちはどこに
あるのでしょうか
たどりつくこと
できるのでしょうか
きりの中でやみくもに
はしって あかりを さがしても
ほうこうさえも
わからぬものが
はたして
たどりつくことなどが
できるのでしょうか
なぜ あなたは そこにいて
なにを しなくては
ならない ひと なのでしょう

みえませんか

盲目のもの とは
そういう ことです
とっかかりや
何かのヒントは 与えたはずです
こたえを見つけられないことを
だれかの あるいは
なにかの 責任にして
押しつけて
いいわけを しているのは
どこの 誰 なのでしょうか
何のために あなたが それを
学ばなければ ならなかったのか
チャンスは にどと
訪れることは ないでしょう
もう すでに 伝えた はずです
伝達したはずのことを
あなたは 実行しようとは
しなかった
それだけの はなしです

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通信-07年8月3日-2 
Friday, August 3, 2007, 21:56
(2007.8.3 pm6受)

やがて 近づいてくる
足跡のなき もの達
ものがたりの一部として
用意され 置かれている
ある次元における
一部始終
はじまりの予告は
済んでいるはずである
霧の中から やがて あらわれる
ある 人間由来の もの
気付かなければ
原因不明のものとして
処理される
現代の医学では
とうてい解明出来るまい
見せておくように との
指示のもと
出口は あけられ 開放された
おおよそ 墓場や
ある特定の場所に
停滞をしているものとの
判断のなされかた
憂き目に遭うのは
生きて生命活動をしている
人間
大がかりな はからいが
なされ 関与を 許されて
いま ここに いる
その存在のあり方を
否定するものの 意識のなかに
棲み家を得て
活動することを
許可されて いる
たたかい方が わからない ものは
思いつくままに
経やら ハライの 言葉を
口にする
意味がない
せめてもの なぐさみを
自己完結の納得は
排除が 出来たと
思い込みたい だけだから
心の中の不安や恐怖を
喚起する
それらは 意識を
支配する

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通信-07年8月3日-1 
Friday, August 3, 2007, 21:35
(2007.8.3 pm3:59受)

ヤコブのはかに
たむけられた
はな
のばなの そのしたに
ねむる もの
しびとのゆくへは
その ありように
ちかづき たもふ
いにしへ に
まもられ たもふ
きしき の ぎしき
いき しびとの
ゆくへ なき
じんせい
みかんのまま
おは(わ)る
ともすれば
こよい ちる はなの
さまを ありありと
あらはし たまふは
いき じびき
みえない くものなかの
ありさまが
ありありと みえる
はこを あけて
とりだしたい ものが
なに なのか
みそらの なかに
とうえいされる
その ゆくへ さへもが
きのうとは ちがう
あすのひかりを
ゆめ みながら
いき じ びき
はや すさなるの
げんえいを
みつづける そのなり
いくらかの ちからほ(を)も
あたへさせませ
わがみに
ねがはくば
あたへさせませ
わがみに
みひかり
たゆなき どりょくほ
みつるは われに
うけさせ たまへ
わがみに
ちから
ひとのよ つぎの
おやくめを
あたへさせませ
わがみに あらん
もつるは ながき
わが かみ の
うけたまはりたくは
そのみちからに
のぐちの そこに
あらはるは
けんせい しかるは
おやくめ ばたし
ありし よつぎは
うけたまはりて
よのすへ いただき
はるの よい
ものを かたるは
せんねんの
きよの のにかけ
わたるは はしの
いたく はなれし
くさのつゆ
みずのおと
さまよひし おごそかに
ひのなき わがみの
たずさへ かたな
うけとめて みよ
かたち といふものが
あるならば
けつねつぎ
わがみは
しをん(しおん?)

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