通信-07年8月3日-1 
Friday, August 3, 2007, 21:35
(2007.8.3 pm3:59受)

ヤコブのはかに
たむけられた
はな
のばなの そのしたに
ねむる もの
しびとのゆくへは
その ありように
ちかづき たもふ
いにしへ に
まもられ たもふ
きしき の ぎしき
いき しびとの
ゆくへ なき
じんせい
みかんのまま
おは(わ)る
ともすれば
こよい ちる はなの
さまを ありありと
あらはし たまふは
いき じびき
みえない くものなかの
ありさまが
ありありと みえる
はこを あけて
とりだしたい ものが
なに なのか
みそらの なかに
とうえいされる
その ゆくへ さへもが
きのうとは ちがう
あすのひかりを
ゆめ みながら
いき じ びき
はや すさなるの
げんえいを
みつづける そのなり
いくらかの ちからほ(を)も
あたへさせませ
わがみに
ねがはくば
あたへさせませ
わがみに
みひかり
たゆなき どりょくほ
みつるは われに
うけさせ たまへ
わがみに
ちから
ひとのよ つぎの
おやくめを
あたへさせませ
わがみに あらん
もつるは ながき
わが かみ の
うけたまはりたくは
そのみちからに
のぐちの そこに
あらはるは
けんせい しかるは
おやくめ ばたし
ありし よつぎは
うけたまはりて
よのすへ いただき
はるの よい
ものを かたるは
せんねんの
きよの のにかけ
わたるは はしの
いたく はなれし
くさのつゆ
みずのおと
さまよひし おごそかに
ひのなき わがみの
たずさへ かたな
うけとめて みよ
かたち といふものが
あるならば
けつねつぎ
わがみは
しをん(しおん?)

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通信-07年8月1日 
Wednesday, August 1, 2007, 14:57
※8月に何かがはじまったようです。
 おそらく霊界系だと思います…

(2007.8.1 pm0:20受)
 
ひのくるす
背負いたまふは
あれ なりて
みせて みよ
いき じごく
みちなき みちを
あるきし わが身
もうもくの もの
みちびき たまはん
ひとりよがりの
てを ひき たもふ
すべからく
やを いて たまわん
とおとい ものなど
ありは せぬ
きいて みよ
たしかなる こえ
あらば
きし へと およぎ
たどり つく
その いし さへも
ないものが
ただよい もくずと
ならざる えない
とおる ふねに
たすけを もとめ
ゆきさき さえも
しらぬ もの
なきもの それは
およぐ いし
なきもの それは
さがす いし
なきもの それは
いきる いし
いしきの なかの
いきる いし
みずぎわまで
たどりつき ながら
じょうりくを しないのは
あるき うごいて はたらいて
いきる すべを さがす
という ろう を
みずからが しはらいたくは
ないためである
あたえられた
いのちの ひかり
ともしかた さへ
しらぬ もの
あかりは まわりを
てらす もの
つかいかた さへ
しらぬもの
つもり かさねた
せきねんの
おもい だまりは
うごきだす
いき じごく
みせて みよ
とおか たらずで
やつは くる
さつりくの そののちに
まけた くに
しびとは うめいて
わらってる
はやい はなしが
のりものに
のられて きづけば
さいわいで
おおかた きづきも
しないだろう
にんげんには にんげんの
ほう
けがしたものの かたづけは
みずからのてで
するがよい

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ひつく文書-07年7月29日 
Wednesday, August 1, 2007, 14:13
(2007.7.29 pm9:33受)
 
やよいのもん
はや
きたるらし
みづのあを
とびこんだ
さきに
まちうける
いきぢごく
いねかりぬ
いねかりの
おはらせたまへ
いきぢごく
でぐちは ここに あるのだと
きづいて それを
めざさねば
しゃように かたむく
まなこの やまに
おほわれ
あたりは くらくなる
ひとの しせんの そのさきに
ほこさき むける
ひとの やみ
はらい やきすて たたかへと
そのいし つらぬく
ゆふきほ もちて
みちなき みちほ
きりひらき
ひとの とほれる みち つくり
あらのの や はら に
おどり でぬ
たづさへ あたへほ
うけた もの
それが なにほ
あらはす か
あなたの カミは
しっている
はためく はたに
なにほ みる
かぜに あおられて
こそ
いみが ある

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ひつく文書-07年7月19日 
Monday, July 30, 2007, 14:00
(2007.7.19 pm1:03受)
 
禁じ手を 出したなら
生き石ならぬ
“いきいし”を
生きる意志とは
何を 指す
はやばやと
にげ出した
ものたちに
えんも みれんも
ありはせぬ
かしこみて
たらちねの
すいじゃく すざくの
ははを みよ
とおのいけ
ものは かたるも
あらずを おはず
さんざくの さんじゃく
うるい うるはす
まんがんじ
きこりの もりに
はいらずは
わたらいぬ
わたらいの
いのりの もりへと
はいらずは
まんりょうの ひをかかげ
いきて うごめく
よのすへに
とおかかり なすも
ひをかかげ
はんならの いき
いき どおし
せしめしは
もの しめさずにして
かたるほ おはらず
まちこがれ たし
とおのみね
みずの ながるるさまを みて
いきどほせし
いきどほせし
はん なら の
かり ほ かへさば
つとめは あらぬ
まつり まつる は
まつり びの
け(っ)きょう
はや かけぬけたる ほ
ときの みち
うご け うほひ(おい)の
いき いし となり
かん ならずとは
よめや うひしかも

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通信-07年7月13日 
Friday, July 13, 2007, 21:06
(2007.7.13 pm4:50受)

うしろを向いては なりません
あなたが選んだ人生は
その他のひとより おもいのです
許容量や ポテンシャルというものが
大きければ 大きいほど
その人間に加えられる負荷というものは
大きなものに なります
ただし、その人間が耐えられる
分量分だけ、
与えられます
破壊し 潰してしまうために
かせられるものでは ない
ということに気付かないと
自らが被害者になったような
気分に陥ります
信頼しているものに裏切られたとしても
その対象となる人間をうらむのではなく
“何かを学ばせてもらったのだ”という
ことに気付かないと 相手に対しても
その感情を持つ自分自身に対しても
不愉快な思いを持ち続けることに
なります
そんなはずが、あるわけがない
という、あなたの常識は
相手にとっては、あてはまらない
ものなのでしょう
その ひとつひとつのことがらに対して
様々な人間的感情をはたらかせると
あなた自身が潰されることに
なります
同じ土俵で、たたかうな、と
言っている意味がわかっていないと
いつまでたっても、次のステージへの
段階を あがることは出来ません
相手の人間的思いや感情、欲望レベルの
エネルギーに操作をされないよう
常に心がけていてください
皆、自分自身が大事で、我が身を守る
ことが 生きる基本的要素として
大半を占めています
相手の欲望レベルのエネルギーに
汚染されると、あなた自身が
その闇のエネルギーを追体験することに
なります。
それらは、しつこくついてまわります
引っぱり込まれそうになったなら
正義とは何なのかを問い続けるように
しなさい
たとえ、相手が喜び、あなたが不遇な状況に
遭わされることになったとしても
その事実のみが 刻印されることに
なるからです
しくみを知らない人間は、自らが我慢し
他者が利を得るということは
はじめから選択するというつもりなど
ないからです
事実のみが刻まれるということを
忘れてはなりません 相手の人間が
たとえ無意識であったとしても
自らの欲望を満たすために何らかの
エネルギーを放出した、ということもです。
当然、その人間当人が責任を負わされ
負債を払わされることになる、ということもです。
正しく書き込みが なされていると
いうことを、自らの最も基本的な場に
固定をして おきなさい
その信念が揺らぐようでは
他者からの エネルギーの影響を
受け続けることになるということを
忘れないで いてください

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