Saturday, June 9, 2007, 16:27
どうやら何かの勘違い
みんな大きな勘違い
それは、ひとりひとりが思い描いている理想的な至福の場、
といえるような場所に到達出来るもの、という思い込み。
それは個々が勝手につくり上げた理想郷のような場所。
そのある種の神秘体験とでもいえるような経験をすることが出来る場だと、
勝手に思い込んでいる模様。それを求めて参加している者がいる。
当然のことながら、そのものたちは自己の内面部分に目を向けようとしていない。
自分が不愉快な気分に陥っている原因すら解析できない状態で、
その責任を何ものかのせいにしたいようである。
何故、その事柄について腹立たしい思いをするのかを考えてみるがよい。
こんな単純なことに、まだ気付いていないのか。
自らにとって苦境な状況に陥ると、
どこかの何ものかに助けを求めているのではないのか?
一体いつになったら理解出来るのか。
自分が変わればすむはずだ。
自分の考え、行いを変えゆくことさえ出来たなら、
その後の人生は全く違ったものになるはずである。
そんな単純な原理に何故気付かない。
あなたの人生は何の為にある。
おかしな神秘体験の経験に酔いしれるためにあるのか?
わたしが言っているのは、自分自身に向き合えということだけだ。
一体、あなたがたは何を求めているのだ。全くわかっていないのか、
冷静に自らの人生を振り返ってみるがよい。
いつも同じところでつまずいてはいないだろうか、
似たような状況下において、同様の選択をし、
もたらされた結果は、多少のバリエーションはあったとしても、
似かよったものだったはずである。
そこに、何か自分自身を納得させる為の理由をつくり、
その理由があったからうまくいかなかったのだと納得し、
満足したいだけなのである。
あなたの中にある阻害因子が、あなた自身を壊しているにすぎない。
なにものかのせいにしたいのは
自ら自身に目を向けたくはないからである。
| このエントリーのURL | ( 3 / 1933 )
Tuesday, May 22, 2007, 12:46
(2006.11.8 pm1:25受)
らくらいのあと(落雷の後?)
いなず(づ?)ま
ひかりて
よをてらす
いなびかりの
ひらめきに
よのすみまでも
照り出され
ものかげの
隅々までも 照らされる
すがた かたちは
見えねども
存在の そのものは
あらわに される
そこには
黙認、という ことばは
存在しない
たちどころに
おもて 舞台へと
引き出され
その実体は
暴(あば)かれる
見えないところに あるもので
あらわに ならない ものは
ない
すべては 真理(しんり)によってのみ
さらし出される ことになる
おのおのの 判断基準という
ものに 差が 有ったとしても
たちどころに それらは
あぶり出されることになる
見えぬところに あるもので
あらわにされない ものは
なく、 全ての物理の
存在は 正しき 法のもとに
引き出される ことになる
カエサルのものは
カエサルのものに
正しき法によってのみ
人はさばかれ(裁かれ?)
分けられる
| このエントリーのURL | ( 2.9 / 1288 )
Thursday, May 17, 2007, 22:40
(2005.12.22 早朝受)
みちたがはねど
すつるくの
イワヲモクダク
ミチシラス
サンカンスジクシ マミヘルハ
イハノ トリデノ
ヨモツ ミオヤノ
ヘキツノカガミ
クモリテ
ナミニアラハレン
ウタノマドヒテ ヨニシメシテモ
ヒトノ ココロハ
カヒノ クチ
トジテ カタクナ
ワレモチナラン
ヒトノ ミオヤノ
カミナキ ココロ
トジテ ハナサク コトモナシ
マツリノ アトノ シヅケサヤ
オトナク ヒビキモ ミヘヤラズ
キボウハ ミエネド イカニシテ
ミチヲ カヘユク
コトデキン
ミホヤノ ヤシロノ イシキノフタハ
ヒラケ ヒラケト
モフシテ オロニ
キヅカヌ モノノ アサハカサ
クノママ トヂラレ
シニユク ノミゾ
ヒトノ イキシ ノ イミホシリ
シラセド キヅカヌ カナシサヨ
ノコリノ ヂカンノ
イミホ シリ
イキヌク ミチスジ シリナガラ
トジコメ ラレシハ
タマシヒ ヨ
オノガ イノチノ ハカナサニ
ムキアヒ タハタン
イマ コノ トキヨ
ヨクニ マミレテ
メクラ ニナリテ
オノヅノ イク ベキ ミチシラズ
アサハカ ハカナキ
コトヨノフ
トキノ ナガレノ イミシラヅ
ウツタヘ モフスハ
ヲノガモノ
タマシヒ アリテノ イミシラズ
ナゼユヘ オノレト ムキアハン
あな かなしき コトヨノフ
イクベキ ミチヲモ アユメズニ
ナヒテ オルデハ アルマイカ
オノガ トザシタ タマシイハ
イシキニ デタヒト
ナヒテオル
シラズ ミヘヤズ イキタモノ
トザサレ シニユク モノナリテ
オノガ イキテル イミシラズ
あな かなしきや
さびしきことヨノフ
ヨクホ ステサル コトデキズ
ヨクニ マミレテ メモミヘズ
ヨクニ ノマレテ シニユクノミゾ
オノガ ヨクボフ ミタスタメ
イキテ イルトハ アサマシキ
ヂット カガミホ ミルガヨイ
ニゴリタ メホシテ オルデハ ナイカ
あな あさましき ことよのう
ナンノ タメニ カラダガアルノヂャ
ハタラク タメト モフシテオロフ
ワガノ ヨクブカ ミタスタメ
ハタラク イフノハ イミチガフ
カラダハ ナニタメ あるのざよ
オノレガ ココロニ トフテミヨ
ココロノ ナカホ ミラレテモ
ハヅカシナヒト モフスノカ
ココロニ テホアテ ミルガヨイ
ニゴリテ ヨドンデ
イルデハ ナヒカ
アラヘト モフシテ オロフガナ
メホ サマサネバ トヂタママ
シンデユクノモ ゴジユフニ
ハヤク キヅケト モフシテオロニ
オノレノ カミガ ナヒテイルゾヨ
| このエントリーのURL | ( 3.1 / 1911 )
Friday, May 11, 2007, 14:02
(2007.4.13 am11受)
“しんのやみ”
しんのやみ
とは
真の闇、神の闇
かみは 光と闇との
組成物
ひとは その姿を
反映しているに 過ぎない
ひかりを求めて
闇に沈む
その振幅の
度合いに 大差が
あったとしても
ひとは
それを繰り返しながら
成長をし続けるものである
というテーマを
自らが
あらわに しながら
生きているに すぎない
堂々めぐりのように
思える その繰り返しが
時間の経過と共に
少しずつ その範囲を拡張させ
拡張と収縮を
くり返しながら
自らのpossibility
(可能性)というものを
拡張させていっている
という法則性に 過ぎない
人間ひとりひとりに
小宇宙が 有る、といわれている
理由は 理屈という視点を持ち
考えれば
誰にでも理解出来るものに
過ぎない
全ては物語に すぎない
その物語を どのような
内容にするのかを
自らの意志で決め
自らが行動をし、
体現をしてゆけ、という
テーマでしか、ないのである
多くの人間が
何かの勘違いを
している
自らの指針や、基軸というものが
はっきりとしない
あるいは 周りの状況に
影響され
すぐに ぐらつくようなものが
何かの助けや救いを求めて
やって来る
宗教というものは
そのような救済を
求める人間達を
“カミが助けてくださる”
などという
何の根拠も無い虚言で
意識を操作し、操り、
団体として更に その存在を
拡大させようとする目的のみで
資金をまき上げているに
過ぎない
“きっとカミさまが助けてくださる”
と言いながら 状況が一向に
変わらない
あるいは悪化をしつつある時に
決まって かけられる言葉は
“あなたの信仰が足りないのだ”
“あなたの施しが足りないのだ”
………
そうやって 他者を 教導し
思いや金銭を集めた
責任は 一体どう取るのかと
尋ねているだけの話である
責任の所在を
すり替えるな、と言っているのだ
あなたのカミが “そうしろ”と
言ったのであれば、
それは すなわち 人間としての
あなた自身の責任である
自分自身で その責任を
負うがよい
それが 絶対的な
ルールである
いい加減に 自分以外の存在に
責任の所在を すり替えるのは
やめたまえ(給え)
所詮は あなたが心に思い
あなたが口から出して
あなたが行動しただけの
話である
| このエントリーのURL | ( 2.9 / 1978 )
Wednesday, May 2, 2007, 18:14
(2007.1.15 pm6:20受)
甘い期待をぶち壊し
ご利益(りやく)あると 思うてた
“カミ”とは いったい
何じゃろな
皆がつくって くれるのじゃ
自分にとっての 専用の
都合の良すぎる カミさまを
それで 願いが かなうなら
人間やってる 意味は 無し
けものの道に落ちてまで
楽して生きて ゆきたくば
とことん落ちて ゆくがよい
きどう修正する意志を
抱いて遂行する限り
修正可能と 言うておる
選択の自由は与えられて
おるのじゃが
残念ながら、ふたつに
ひとつ と 決まっとる
もん(悶)もん(問)もん(門)と
しながらも
うすうす気付いて おるじゃろな
“ゲート”(門)は 手元に
あるのじゃよ
道草くってる 場合でない
先の時間を考えて
さっさと行動する時期じゃ
時間に限りが あるのじゃと
お知らせする日が 来るじゃろう
| このエントリーのURL | ( 3 / 1842 )
戻る 進む