Monday, May 19, 2014, 16:36
(2014.5.15 pm8:45)
(これから先、人間社会で仕事をし、働く方々へのご伝言です)
“あなたの人生の未来を、
潰すのも、生かす(活かす)のも、
すべては、あなた次第である。”
“自主学習”
“自助努力”
“自己責任”
その認識が、無い限り、
いつまでたっても、あなたがあなたの
人生を運営してゆく、ということは、出来ないということである。
宗教のくびきを外す、
もしくは、
スピリチュアル、という
自らの存在以外のものからの
何らかの恩恵を求め続ける
ということを、やめる、ということが、
“目が覚める”
ということなのでは
ないのでしょうか…
それとともに、
“知るということは、
担うということである”、と、
お伝えし続けていることに
気が付いて欲しいと思います。
何のエネルギーを学び、
そして、自らがそれを担う役割を
持っているのかを、
お考えいただきたく
思います。
“契約”という意味と、
それを履行することが
求められているということの意味について、
きちんと、お考えになられたことが
おありでしょうか、
何を求めて、エントリーをしたのかが、
問われている、ということなのです。
その本来の正しき意味を
理解されたなら、
あなたは、世のため人のために、人間社会で
仕事をし、身働くことが出来るかたなのでしょう
“自らの我欲を満たしたい”、
と、思っている方は、
人様のために はたらくことは
出来ません、
見返りを求める方も、同じことです、
何故なら、結果として求めているものが
自己中心的なものでしか
ないからです。
傲慢な思いを抱いておられる方も
同じことです、
結果として、自分のところに
どれだけ戻って来るのかということを
目的の主旨に置いておられる方には、
とうてい、勤まることの出来ることではありません、
“人様のため”、
利益が他者にあること、を、
第一の前提として、
あなたが、どれだけ周囲のために
働くことが出来るのか、ということが
問われている、ということなのです。
ご理解をして、いただけましたでしょうか。
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Tuesday, May 13, 2014, 14:19
(2014.5.13 pm0:18)
人間がかつて神と呼び
崇(あが)め続けてきたもの
“お前のことを助けてやる”、というものを
人間は求め続けてきた
自分にとって都合のよい救世主というものを
人類は求め
そして自己の救済のために
それらを手に入れようと願い求めてきた
お前のことを助けてやる、というものは
神ではない
神ではないものに向かって すがり付き、
その魂を委ね こころの安定をはかり続けてきたものたち
それが これまでのこの地球における
人類の歩みというものの 正体であり、
このちに置かれた 仕組み というもの
神の名において、と 言いながら、
責任の所在を なすり付け続けてきたものたち
何ものに魂を委ね
何ものを求め続け
何ものを その自らの存在の上に
置き続けてきた ものたちなのか
それらのものたちが 救済を求め
すがり付いてきたものの正体が 分かるなら
何ものに自らの魂を売り委ねてきたのかが、
認識することが出来るはずである、
何ものを 自らの ご主人とし、
何ものを 自らの 上位のものとして、置き、
何ものに対して、その魂を
売り続けてきたのか、ということである
自らにとって都合のよい救世主を求め続ける
ということを
やめることが出来ない限り
閉ざされることになる、ということである
神の名において、と言いながら、
自らのおこないを正当化し続けてきたものたちの
末路というものが どのようなものであるのかを、
見届けるという 仕事が 残されている
役割を終えたものは 去るのが正しい、という
ルールにより、自らのおこないを 正当化し続けながら
その生を終えたものたちは、
それこそ、自らが追い求め続けてきた
永遠性というもののルールにより、
神罰というものが 待ち構えている
つまり、自らのおこないの結果を
自らが受け取る、ということである、
神の名において、と、いい続けながら、
崇め続けてきたものの正体が、何ものなのか、
支配し、奪い尽くすことを 正当化し続けてきたもの
の正体が、何ものであるのか、
全地球を自らの所有物であるという
欺瞞や傲慢を、平然と主張をし続けてきたもの
の正体が、何ものであるのか、
その、何ものかに対して祈り、願い、求め続けてきた
その自らの責任を取るために、
その罪、というものが問われていることに、
まだ、気が付かないのですか
自らの外部に救世主を求め続けることの
あさはかさと弱さと罪について
何故、自らで考えようとも しないのですか
自ら以外の何ものかに 依存をし
助けてもらおうとする、その根本的な部分に
目を向けない限り
この、5たび滅んで6番目のもの、と伝えられている
物語は終りようが、ないのです
ひとりの人間のうちで起き、それが外部に
照射をされた時、
同じことが 1つの個体で起こり得ることが
出来たなら、外的世界へと、それらの情報は
伝達が なされる、ということである
終わり間際の星は、
そのエネルギーを爆発させる前、
猛烈な エネルギーの大活性化状態になり、
最後の勢力を強めることに気が付いたなら、
今が、どのような時期であるのかが、
分かるはずである
いまわ(今際)の時に 燃え盛る炎というものが
何であるのかが分かれば、
何の時代の変わり目であるのかの認識が
出来るはずであり、
その時、ひとつの時代が終わり、役割を変える、
と、伝え続けていることの意味が分かるはずである
今が、その時であることに気が付けば
進行中のことがプロセスに過ぎないことが
分かるはずである
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Wednesday, April 30, 2014, 14:01
(2014.4.26 am5:35)
カウンセリングを受けると、自分の希望している答えを
もらえるものだと、勘違いをしている方が、
かなりの割合で、いるもよう。
その方が、本来あるべき正しき方向性を持って、
人間社会で働く上で、それを出来なくさせるような、
その方を阻害している問題点をご自身で認識して頂くための、
カウンセリングであるということに、
気が付いている方はまだ少ない。そのため、その方個人の
問題となっている部分を指摘する(される)ということにより、
その方から猛烈な闇的(暗黒的)エネルギーが
噴出されることになる。同席しているアシスタントにも、
そのエネルギーは放射されるため、よほどの浄化力が
ないと、努まらない。正しき分析思考力を持ち、
浄化力を持ち、それを保持し続けることが出来ないと、
汚染されたまま、影響される、ということである。
それらの仕組みを理解し、自身の浄化力を高めて、
準備をしておく必要がある。
見たくもないようなウンザリとする他人の闇を見せられ
続けていても、健全な意識を自身が保持し、意識が
揺らぐことのない人間でないと、勤まることの出来るものではない。
相手の怒りや逆恨みのエネルギーに影響され、
自身も同様の闇エネルギーを体現している限り、
それこそが、ミイラ取りがミイラになる、という状況を
顕しているということに気が付くことが出来ない限り、
闇的エネルギーの滞留場になる、ということである。
それらの危険性を認識し、健全な意識を持ち続ける
ことが求められる。積さんと働きたい方は、沢山いるが、
基本的最低条件として、上記のことが求められる。
感情をコントロール出来ない方、愚痴や文句、不平を平気で
口にする方には、とうてい勤まることの出来るものでは
ない、ということである。
(以上)
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Wednesday, March 26, 2014, 13:50
(2014.3.25 pm8:05)
ご自身の、暗黒点を、
ご自分の目で見て、
確かめないと、
本来の、正しきスタートを
切ることは出来ません
“自分は悪くはない”という主張をするものを、
あなたの存在の中に棲まわせている限り
いつまでたっても、
その、ご自身の地獄の層から、
はい上がることなどは 出来ないのです
自らの 欠点について
指摘をされると、
まず、その方が放射をするのは
逆恨みのエネルギーです、
そこに、その他の人間よりも、
自分は悪くない、(はずなのに)
何故、問題点を指摘されなければ
ならないのか、という
主張が、頭をもたげます。
自分よりも、この世の中に、
問題のある人間は 山ほどいるのに、
何故、自分だけが、
このような屈辱を 味わわねばならないのか、
という主張が、
まっ先に、ご当人の意識上に、
現われるため だからです
聞く耳を、持ちたくないかた、
とは、そのような方々 だからです、
よほど ご自身のこれまでの人生が
正しいものであったと、
思い続けていたい かた達なのでしょう
問題点を指摘される、ということで、
ご自身のプライドが 傷付けられた、
(むしろ被害者である、)という主張が
何よりも、一番先に、
ご当人の頭のなかに
あるから、なのです
自らのなかに 罪の意識を抱えているかたは、
幸いなことに、立ち治(直)りと、回復の
早い方であると、いえます
自らの暗黒点を認識し、
それを自らの十字架として、背負い、
この先の人生を歩むことの出来る方であるからです
聖人として、何の罪とも無関係に
生きてきた、と、自負する方ほど、
問題点は、とても大きいのです、
何故ならば、何が問題なのかを
考えることもなく、自分は正しく生きてきた、
と、主張をしたがるものが、
その存在のなかで 頭をもたげているから なのです
それらのしくみを知らないかた達にとっては、
これから先の道は、険(けわ)しいものと、なることなのでしょう
“あなた方に 残された
時間は 少ない” と、
言い続けていることの意味を知るものは
自分が 身体を持ち
今 この時代に 生を得て存在していることの
意味と目的を 知るかた達
なのでしょう
険しくも 充実をした時間を
その生の 期間中に
おくることの出来た方たちは
感謝をし そして何ものも残すことなく
この地を 去ることの できる方たち
なのでしょう
その、伝えていることの意味を 知るものは
さいわいである
あなたがたの存在そのものが
祝福された ものたちで あるからです
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“あの時代に、それが できたのは、
わたしだけで あった しかし 今のこの時代
において、複数のかた達が、それを成し得る
ことが出来るということの 意味を
よく考えてみて下さい、” (とのことでございます…)
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Friday, February 14, 2014, 14:13
(2014.2.4 am10:20)
“欲望のハードル”、と、“精神的な飢餓状態”
というものについて、
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人間が物欲(=お金に対する強欲)、色欲、
貪食(=アルコール依存も含む)について、
その原因となるものについて深く考察するということを
しない限り、その解決への道筋は遠いものとなる。
欲望のハードル、というものが低いものについては、
日常で起こる、小さな幸せというものに対する
感謝と愛に満ち溢れ、精神的な満足感が
大きく、それ以上の何かを欲することはない。
それとは対極的に、欲望のハードル、というものが、
自分の目線より、高い位置にあると感じているものにとっては、
常にそのハードルを越えることが出来ないという意識を持ち続けており、
自らがつくり出した世界であるにもかかわらず、常に精神的な飢餓状態であり、
その欲望が満たされないことに対する怒りや憤りといった、
人間的な感情面に伴なう、何らかの思いのエネルギーを
その意識領域に持ち続けることになる。
ハードルが低ければ、たやすく乗り越えることが出来、
ハードルが目線の位置より高く設置が(自らで)なされているために、
常に欲求不満という意識状態のまま、人生や生活を送ることになる、ということである。
その時点で、ある種の責任転換が成されていることに当人は気付かない、
あの人間のせいで、自分の人生は不毛である、
周囲の環境の悪さが原因で、いつまでたっても自分は不幸だ、
誰も、何も、自分のために何もしてくれない、という、人生そのものを恨み、
持つものに対する妬みというエネルギーを燃やしながら、
生きてゆくものとなる、ということである。
自らの存在のなかにある、その赤くて黒い、邪悪なエネルギーの芯を、(真実を?)
見つけ出し、認識をして、改善のための努力ということを、しない限り、
そのレベルの意識状態に閉ざされ、囚われ続ける、ということである。
そういった人間ほど、解決策を他人に求め、自らを他人に委ねて依頼をする傾向が強い。
つまり、自分自身の問題を、他者に解決をしてもらおうという責任転換の、考え方である。
それが自らの外部に救世主を求め続ける、という
この2000年間の呪縛の結論ということである。
その考え方そのものを捨て去ることが出来ない限り、
おもいの堂々巡りの層に囚われ続ける、ということである。
欲望が満たされれば満足である、という、その欲望が、
色や、金や、権力である限り、支配や被支配の関係図の構図の中で、
より多くを所有したいという願望をもとに、
生き続けるという選択をするものとして、人生を送るということである。
その基本となる構造は、優劣の関係であり、
他者との比較をして自らの立ち位置というものを決めようという、
ものの考え方をしている限り、ある種の層に囚われたままである、ということである。
同じでありたい、こうありたい、という願望が、欲望へとすり替わり、
その欲望を満たすためには何でもする、といった行動体系を取るまでになる、
ということである。
切れ目のない欲望状態の基になるのは、ある種の精神的な飢餓状態で、
飢餓を解消するために欲望を満たそうとし、
その欲望を手にするためには何をしてでも、どのような手段であっても、
という精神構造が確立されてしまっている、ということである。
自らの外側に解決策と、こたえを探し続けている限り、
おそらくその生涯を終えるまで、満足する回答を得ることは出来ない、
そのことを始めから知っている、ある種のヒーラーや
チャネラーといったものは、顧客をとらえ続けるために
自分に依存させ、崇拝させる、という、
ひとのおもいのエネルギーを集め続けることに、余念がない、
経済であれ、宗教であれ、どちらにしても三角形の頂点を、
形成したピラミッド型の支配と被支配の層の中に
取り込まれていることに気が付かない限り、
引力圏の縮図の層の中からは出ることが不可能である、
ということである。
上下層の構造を構築した何ものかが意図していたものの正体が分からない限り、
搾取し、搾取されるという基本構造の世の中のしくみの改編、改造は、
難しいということである。
そのシステムを構築した何ものかの正体が分かれば、
それが自らの存在の中にも、同じように存在していることに、
ある時、気が付くことになる。
他人の問題点を指摘している暇があるのなら、
自身のなかにある暗黒を見よ、ということである。
見たくもないものは見なくてもよい、ただし、
この世のルールというものが変わったので、全ての生存をする存在においては、
ある時、自らの存在そのものについて提議がなされ、
自らのおこないそのものについて、
自ら自身にその事実を問われることになるのであろう、
審判の仕組というルールの枠組が出来ていることの
事実は既に告知が成されているはずである、
それらは既に、お伝え済みのことである
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