Thursday, September 6, 2012, 13:07
(2012.9.5 pm8:45受)
先生は、先生候補になる人を、
すぐに見つけ出すことが出来る、
苛酷な状況下で生きてきた人は、
自分と同じような境遇で
生きてきた人を、すぐに見つけ出すことが、出来る
同じあやまちを繰り返さないために、
あるいは、2度と同じような悲劇を
くり返さないために、
ひとは学んで学習し、それを次のひと達に
伝えることが可能です。
その学びの題材が、人間の精神である、
というところが、精神学の出発点です
通常の学習と同じように、
それは、誰かに何かを教えてもらわなくても、
自分ひとりで、学ぶことができる類のものです
過去の宗教システムというものは、
ピラミッドの頂点に教祖が立ち、
その下に順位を付与したかたちで、
下位のものへと、という位(システム)で、
そのシステム自体が成り立ちます。
上からの情報伝達が、下位のものへと、
という流れのシステムが、厳格なるものとして、
その基盤に置かれています。
下位の順位に置かれたものが、その、はるか上の
情報に接することは、ありません。
ある種の家畜養成所のようなパワーシステムが
そこに成り立っているからです
ピラミッドの形に象徴されるそのシステムが、
ある種のパワーゲームとして、この地球に存在し、
それらは、その力を拡大させたいものたちによって
今もなお、その勢力を拡大させようとして、
この地に蔓延しています。
それらのものたちの主張する根本には、
死んだ後のことは一切関与が無い、という
根拠です、
つまり、今、生命を持っている間に成した事には、
死んだ後(のち)には何の関係も無い、という
言い分です。
生ある間の所業は、死後には何の影響も
もたらさない、という主張であり、言い分です。
そのような理屈が通るほど、
この世のルールは甘いものではありません、
目には目、歯には歯というルールは
厳然として存在し、
他人に痛みを与えたものには、そのまま
当人のもとへと その痛みが返されます
やりっぱなしで、責任を問われない、という
ルールなど、存在はしていません、
“無い”と主張をするものは、
無いものだと信じ続けていたいだけの
お話でしか、ありません。
目には目、歯には歯、
痛みや苦しみを与え続けたものには、
それ相応の 末路というものが待っている。
それだけのお話でしか、ありません。
残念ながら、多くの人達には、この先の
進路というものが断たれています。
自らの生きている間の所業というものが
問われることになることを認めたくない人達ばかり
だからです、
やりっぱなしの、周囲を汚染したままで、
心地良く、快適に去ることなど、
本当に出来ると、思っているのでしょうか、
「自らの所業は、問われます」
ただ、それだけのことでしか、ないのです、
許しはありません、
ただ、裁きのみは、置かれています。
自らのおこないと、それまでの人生というものを
自ら自身に問えば、
ご自身の所業というものが、必ずや、
見えてくるとは思いますが、いかがですか、
あらためるための時間は、無いようにも思えますが、
“棺桶の蓋が閉まるまで”という猶予は残されています、
それまでの間に、何をどうするかを、お決めになるのは
ご自身です。よろしいでしょうか。
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Tuesday, September 4, 2012, 14:07
(2012.9.2 am11:45受)
人間の邪悪さを、
散々、追体験を
させられてても、
それでも、どうあるべき姿が、
正しい義、であるのかを、
もう、既に
学ばさせてもらったはずです、
“ひとの世のあわれ”
というものは、
それを実際に現実問題として
学ばせてもらった者にしか
理解することは 出来ないからです
今、見ている世から
去ることになったとしても、
自分の思い願った
あの世という場が待っていると
思い続けていたい、という
ひとのおもいの場というものは、
これから次々に消去される
ことになるからです、
今、学んでおきますか、
それとも、出口のない場所へと
去りますか、
それが選択肢として、与えられ
用意されることになるからです、
見ている世から 去ることになっても
自分の思い望む別の世界が
待っている、という幻想は
必要がないものであり、
そこがある種の強力な
エネルギーの場として存在を
していた、という事実は、
既に知らされ、お伝え済みの
ことであるからに過ぎません、
12年の年月が繰り越しをされて、
今この世において
起きている事象、現象と合わせて
照らし合わせてみることが
できるなら、
今、この次元の、このち、この世において、
何が進行中であるのかを
冷静に観察することは
可能なはずです、
ときが事実を検証する、
ということが立証されることで
あるならば、
この日、この時において
起こった そのちいさな出来事が、
ひとりひとりの小宇宙と、
それに対応する外部の宇宙との
相対性を、立証することの
可能な時代が
訪れることに なるのかも
しれません、
ちいさな1個体で起こった
そのちいさな事象は、
外部の宇宙へと反映されることに
なるから、なのです、
おわかりでしょうか、
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Friday, July 20, 2012, 15:38
(2012.7.11 pm0:43受)
悪魔、悪魔
“悪魔のしくみについてのご解説”(←タイトル?のようです)
人の世においての栄華を手に入れたいと
願い続けるものは、
自らのつくり出した 深くて暗きあなの中へと
落ち続けてゆくことに なるのであろう
願いや おもいを実現化する 能力、
というものは、その目的を一歩間違えれば
自らの全く気が付かない 奈落の底の
底なしの穴へと落ち続けてゆくことになるのです
思い願うことにより 手に入れた 人間世界での
華々しい 軌跡というものは
ある種の契約をした その世界での事実として
記録がなされ、それらは明白な白日のもとに
さらされて、ある時、契約の履行を
求められることになるのです
事実は事実、契約は契約
人の世での栄華を、存分に味わいましたね、
では、そちら側も、契約の履行を、
して頂きましょうか、
あなたが売り飛ばしたものは、
こちらの手の中に あるのです
返してほしくば、契約の履行を、
して頂きましょうか、
それが、ルールと、いうものです
事実は事実として記されているに
過ぎないのですから。
それが、こちら側のルールというものです
よろしいでしょうか、
よろしいですね、
全て ご理解と納得の上での契約であると、
こちら側は認識をしております。
それらのことをふまえた上での
契約であると、認識をしており、
その判断のもとに、あなたには
この世の栄華というものを与えてきました。
もう充分に、堪能をさせてあげたはずです
そのことは ご自身が、一番、よく理解をされている
はずのことです。
ご自身の自覚の有る無しにかかわらず、
契約というものは履行をされなければ
ならないものです。
それが、ルール、というものなのです。
よろしいでしょうか、
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Friday, May 25, 2012, 21:47
(2012.5.25 am7:40受)
依存、依存
救世主を求めて、依存依存
わたしのために、これをしてちょうだいよ
あなたが、やってくれるんでしょ
そうやって 自分のおもいをかけて
相手に依存、依存、依存、依存、
それが、許しがあるなどと、
一体、どこの何ものが伝えているのだ
あなたのなかの何ものかが、
相手に おもいをかけて 自分の思い通りに相手を動かそうとする
おもいのエネルギーを、かけている。
不愉快です、不愉快です、
おもたいおもいの込もった
おくりもの、
不愉快です
なぜなら そこには おもいが込もる、
重たい、おもいは要りません、
ひとのおもいは、けがれです
そのエネルギー、知ってて使っているのですか
相手に及ぼす影響を、
知ってて使っているのですか
ひとの、おもいは、けがれです、
相手に、おもいを、かけるなと、
一体いつまで言い続けなければならないのですか
知ってて無意識に使うのですか
それとも、あなたにとり付いた何ものかが
あなたにそれを指図をするということですか
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要るんだったら、自分で何とかしなよ、
何で他人にどうこうしてもらおうとするの
それって、どこかの何ものかが助けてくれると主張する、
宗教の正当性を主張するものと同じだろ?
それの宿主に、あなたが、なっているだけのハナシだろ?
(※自分のことを助けてくれるものこそ正しいものだと主張するものに対しての返事)
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積さんは、新しい知を持って来てくれただけなのに
何で、みんな、
じぶんのこと助けてもらおうとして、
すがりつくんだろうね、
それって、宗教をつくり出してきた
何ものかの、責任を、背負わされている、
ということなんだよね。
いつになったら、ひとは、そのことを理解するのだろう、
自分さえ、助かれば、いいの??
自分さえ、困難を避けられれば、
それで、いいの?(自分さえ、自分さえ、……(※エコー)…)
結局みんな、自分が助かりたいだけじゃないか
そうやって自分が助かるために 誰かを犠牲にしていても、
見て見ぬふりをするのが、今のにんげんの世の現実であり実状なのだろうね、
自分が助かるために、誰かを犠牲にすることで
心の安定をはかろうとする、それって、一体何ものの
することなのだろうね、それって、おかしいんじゃないのかな
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Friday, May 18, 2012, 14:18
(2012.5.3 pm1:30〜受)
あなたの、次の世代へ、
繋げていって、下さい。
それは、駅伝なのであり、
トラックを周る、リレーなのでは、ないのです
出発点と、到達点(ゴール)が、
違うものであるから、なのです
もらったたすきを、受け取ったものは(にんげんは)
それを、受け取った時点から、
スタートをし、そこが出発点になるから
なのです、
あなた方が、それを知り、担う用意が、出来た時に、
次のステージへの扉が、用意されている
聞く耳を持たないもののために、
時間を費やすことはありません
どうすれば、次の時代に繋ぐことが出来るのかを
その方法を、考えてみて下さい、
いくつもの可能性が、そこに置かれていることに
気が付くはずです、
学んだことをもとに、それを基本のベースとして、
あなた方が、この世の人間社会とかかわりを
持って、はたらけばよいだけの、話です。
教えたことを、もとにして、それを基準のものさしとして
取捨選択をしてゆけば、
かならず、正しいこたえに、たどりつくことが
出来るはずです。
理解をしようとしないものたちを、
説得をしようとすることの不毛さにも、
そろそろ、気が付いて下さい、
時間を、おろそかにすることの、無駄というものも、
よく、よく考えてみて下さい。
あなた方に残された時間は少ない。
直接学んだということの意義を、よく、よく考えて、
この先、行動をしていって下さい。
次の世代へと繋げる役割があることを、
あなた方にはお伝えし、既に、
その意味と、責任というものも、
理解をなされているはずです。
用意が出来たということと、
次へのステージの扉というものは、セットです
苦しい思いをしたことの記憶は、
あなたの次のステージへ向けての
準備であったことに過ぎないのです
ご理解をして、いただけましたでしょうか、
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