Friday, May 25, 2012, 21:47
(2012.5.25 am7:40受)
依存、依存
救世主を求めて、依存依存
わたしのために、これをしてちょうだいよ
あなたが、やってくれるんでしょ
そうやって 自分のおもいをかけて
相手に依存、依存、依存、依存、
それが、許しがあるなどと、
一体、どこの何ものが伝えているのだ
あなたのなかの何ものかが、
相手に おもいをかけて 自分の思い通りに相手を動かそうとする
おもいのエネルギーを、かけている。
不愉快です、不愉快です、
おもたいおもいの込もった
おくりもの、
不愉快です
なぜなら そこには おもいが込もる、
重たい、おもいは要りません、
ひとのおもいは、けがれです
そのエネルギー、知ってて使っているのですか
相手に及ぼす影響を、
知ってて使っているのですか
ひとの、おもいは、けがれです、
相手に、おもいを、かけるなと、
一体いつまで言い続けなければならないのですか
知ってて無意識に使うのですか
それとも、あなたにとり付いた何ものかが
あなたにそれを指図をするということですか
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要るんだったら、自分で何とかしなよ、
何で他人にどうこうしてもらおうとするの
それって、どこかの何ものかが助けてくれると主張する、
宗教の正当性を主張するものと同じだろ?
それの宿主に、あなたが、なっているだけのハナシだろ?
(※自分のことを助けてくれるものこそ正しいものだと主張するものに対しての返事)
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積さんは、新しい知を持って来てくれただけなのに
何で、みんな、
じぶんのこと助けてもらおうとして、
すがりつくんだろうね、
それって、宗教をつくり出してきた
何ものかの、責任を、背負わされている、
ということなんだよね。
いつになったら、ひとは、そのことを理解するのだろう、
自分さえ、助かれば、いいの??
自分さえ、困難を避けられれば、
それで、いいの?(自分さえ、自分さえ、……(※エコー)…)
結局みんな、自分が助かりたいだけじゃないか
そうやって自分が助かるために 誰かを犠牲にしていても、
見て見ぬふりをするのが、今のにんげんの世の現実であり実状なのだろうね、
自分が助かるために、誰かを犠牲にすることで
心の安定をはかろうとする、それって、一体何ものの
することなのだろうね、それって、おかしいんじゃないのかな
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Friday, May 18, 2012, 14:18
(2012.5.3 pm1:30〜受)
あなたの、次の世代へ、
繋げていって、下さい。
それは、駅伝なのであり、
トラックを周る、リレーなのでは、ないのです
出発点と、到達点(ゴール)が、
違うものであるから、なのです
もらったたすきを、受け取ったものは(にんげんは)
それを、受け取った時点から、
スタートをし、そこが出発点になるから
なのです、
あなた方が、それを知り、担う用意が、出来た時に、
次のステージへの扉が、用意されている
聞く耳を持たないもののために、
時間を費やすことはありません
どうすれば、次の時代に繋ぐことが出来るのかを
その方法を、考えてみて下さい、
いくつもの可能性が、そこに置かれていることに
気が付くはずです、
学んだことをもとに、それを基本のベースとして、
あなた方が、この世の人間社会とかかわりを
持って、はたらけばよいだけの、話です。
教えたことを、もとにして、それを基準のものさしとして
取捨選択をしてゆけば、
かならず、正しいこたえに、たどりつくことが
出来るはずです。
理解をしようとしないものたちを、
説得をしようとすることの不毛さにも、
そろそろ、気が付いて下さい、
時間を、おろそかにすることの、無駄というものも、
よく、よく考えてみて下さい。
あなた方に残された時間は少ない。
直接学んだということの意義を、よく、よく考えて、
この先、行動をしていって下さい。
次の世代へと繋げる役割があることを、
あなた方にはお伝えし、既に、
その意味と、責任というものも、
理解をなされているはずです。
用意が出来たということと、
次へのステージの扉というものは、セットです
苦しい思いをしたことの記憶は、
あなたの次のステージへ向けての
準備であったことに過ぎないのです
ご理解をして、いただけましたでしょうか、
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Friday, May 18, 2012, 14:16
(2012.4.26 pm9:〜)
自分がなりたかった、
ものに、
なりなさい。
そのために、自分で、
努力を、しなさい。
たとえ、まわりの人が、
“あんな風になりなさい”
“こんなことをしてみたら?”
と、言ってきたとしても、
あなたは、
あなたがやりたいことを、
一生懸命努力をして、
やってみてください。
もしかしたら、途中で、
くじけそうになることが、
いっぱい、何度も何度も、
起こるのかも、しれません。
そうしたら、その時に、
自分は何をやりたくて、
何をするために
生まれてきたのかを、
いちど、考えてみて下さい。
その、こたえは、
あなたのまわりに
あるのではなく、
あなた自身の中にしか、
置かれていないことに
気が付いたら、
どんなことが、やりたかったのか、
どんなことをするために、
生まれてきたのか、
その、こたえが、
いつか、きっと
わかる日が、
訪れるのだと、
信じています。
あなたが、
あなたの人生を、
一生懸命に
生き抜く日が
訪れることを、お祈りしています。
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Monday, May 7, 2012, 17:11
(2012.4.20 pm10:45〜)
見えたものしか信じない偽善者たち、
それが、今の、この時代の象徴とも
言えるものたちなのでしょう、
与えられた報道のみを信じ、
それを信じて疑わないものたち
それが何の意図を持って操作されたものであるのかを、
自分の頭で考えたことが
あるのですか
利用されているという立場を自覚することが
出来ない限り、
永遠の使われる羊であり続けることに
そろそろ気が付いた方がよいのかもしれません
見えているものにしか 信憑性がないと、
言い切れるものたち、
その、根拠となるものとは、一体、何なのですか
あなた方に示唆された
その告知内容について、お考えになられたことが
ありますか、
人の世の中で、図象として示された、
あらかじめに告知がなされていたことが
何なのであるのかを、
真剣に、考えてみたことが、ありますか
あらかじめ、告知が、
なされているのです
よいですか、
あらかじめに、告知が、
なされて、いるのです
まがいもの、その他、いかがわしい、つくりもの
それらの区別 と、仕分けをすることが
出来なければ、
操作をされて、支配をされ、
そして、家畜のように飼い殺しにされて
この世を去ることになるだけなのです
いかがわしい、つくりもの、と、判断をされるもの
それに対して、あらかじめ
予告がなされて、告知が既に
この地に預けられたもの
どちらが 気違いじみていて、
どちらが、あらかじめ予告がなされて
告知をされていたものか、
その判断をする技量というものを
あなたは持ち合わせているのですか
否(いな)ですか
自らの芯となるべきものに問うてみること
なのでしょう、自らの芯となるべく
あなた方の存在の中に置かれているもので
あるのなら
その回答というべきものを、
あなたの意識下にもたらしてくれている
はずのことだからです
それが偽りのものであるのか、
あるいは 真(シン)なるものであるのかは、
正しき回路につながっているのであれば、
その意識下に、きちんと届けられるはずの
ものであるからです。
見てみなさい、それらの事実を露呈するものが、
既にこの世に、幾人も
生まれつつある、という事実を。
歴史上に置かれている記実が、
何をあらわ(顕、現)し、何を、先に伝えていたことで
あるのかを。
あらかじめに告知は、なされ、
あらかじめに、伝達は、なされていた、
それを、検証をし、人知として
認識の基(もと)に置くことが
出来る人間が この世に顕れるのか
否かを、今の時代において
検証がなされている、ということが
正しい、こたえ、なのでしょう
知るものは、知り、
そして、そして知ろうとしなかったものは
知り得ることが 出来なかった、
それだけの 話でしか、ありません。
意図されていた それらの筋書き
そして、予告内容を、読み解けるのか
否なのか、まがいものと、シンなるものの
見分けと区別が、出来るものであるのか
否か、
その判別能力を持ち得ているものであるのか
否か、
今、この時代のこのちにおいて、
生き抜き、そして学びを得ることが
出来るのか、否か、
それらの選択は すべて
ひとりひとりのにんげんに 委ねられて
いることの意図を知り、
次のステージへと進むのか 否か
それらの選択権は全て、
ひとりひとりの意志に委ねられている
ということの 意味を 知り得たもの達から
次のステージへの扉というものは
用意がなされているものなのであろう、
知り、そして、そこで学びを得たものから
用意がなされ、
次へと進むことの意味を知り得たものたちから、
次のステージへの扉は開かれることに
なるのであろう、
あなた方に与えられた選択権というものが
何を意図し、何を示唆されているもので
あるのかを、
いち早く学び取ったものたちから、
次の時代への駒を進めるものと
なるのであろう、
チャンスを与えられていることの意味を知り
それに気付いて実行をしはじめたものたちが、
次の時代への選択を選び取り、
そして、その次の時代のもの達へと
引き継いでゆく役目を担うことになるのであろう、
問い、その正しき解答を得るために
問い続けることになるその対象は、
あらかじめ、あなた方のもとに与えられ、
そして、委ねられているのです
自らの生きる目的を発見することが出来たものは、
自ら自身の存在する意味を発見し、
それを次へとつなげることの出来るもので
あるからである。 意図する“目的”というものを
見つけられましたでしょうか、
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Tuesday, March 13, 2012, 15:40
(2012.3.13 am10〜)
“お願い”、“ご依頼”、
“不平”、“不満”、“文句”、“愚痴”、
いつまで、
あなた方に 耐えておられようか、
いつまで、
あなた方のそばで
これらの 口汚ない ののしりを
聞き続けなければ ならないのか
はじめから 与えられている こたえに
目を向けようともせずに
自らの 見たいものにしか
目を向けようとしないものたち
一体 いつまで あなた方に
耐え得ることが できるのであろうか
自らの選択と、
参加をすることの意味を
よく よく 考えてみて下さい
“やらされている”、
“自分だけが 不遇な目に 遭わされている”、
その おもいの かたまりの エネルギーが
一体、どこから生産されているものなのですか
あなた方に残された時間は少ない
いつまでも いつまでも
親離れの出来ない 子供のような にんげんが
どうやって 世のため 人のために
はたらけるものに なることが できるというのか
自分で決めて判断をし
行動に移すことの出来る にんげんが
あまりにも少ない
“やらされている”という その不満のおもいのエネルギーが、
どこに向けられているのですか
自らが被害者である限り
自らは加害者ではない、という言い訳は、
一体どこから沸き出て来ているものなのですか
あれほどまでに
自らで処理をすることの意味を
語り続けているのに、
あなた方には、まだ
わからないとでも いうのですか
“ひとりひとりの にんげんが
審判の容器になる”、といい続けていることの意味を
よく、よく考えてみて下さい
それでも まだ、わからない、というのであれば、
この場を 立ち去ったほうが
あなたの 身の安全は、はかれる、
ということなのでしょう、
はたらき手を 必要としているのであって、
足を引っぱる存在は
必要とされては いないからなのです
ご理解をして いただけましたでしょうか
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