Monday, April 18, 2011, 14:40
(2011.4.7 pm7:25受)
7つの大罪、と、悪魔祓い
などという可愛らしい問題ではない
もっと重篤な問題が発生している
ある種の結界というものが外された後
総攻撃を仕掛けてくるものが何なのか、
ワクチン、免疫力のないものが
対応の出来ない問題。
耐え得ることの出来ないものは、
その自意識を支配され、明け渡し、
差し出すことになる
人類滅亡計画を目論むものが
一体、何ものなのかを、冷静に考えなければ
ならない時期が訪れているようです
この世のなかで、一体、何が起こっているのかを
知らないもの、判断、判別すらできない
おとなしい羊として、生きる人間には、
この警告の意図する意味というものを
おしはかることは出来ないのでしょう
このクニそのもの、どころか、地球規模での
最終戦争のようなものが、
既にはじまっています
フタ(蓋)を開けてしまったものは、
最後まで読み解かなければ
ならないからです
今、起きていることが、
現実の世に顕わされていることを考えれば
この宇宙における、ミクロとマクロの関係を
読み解くことが、出来るはずです
ちいさな1個体に起こったことは、
その身のかがみを外部の宇宙に
反応させることになります
いく通りにも読むことの出来る
暗号や、通信のようなたぐいのものは
それを目にする人の意識状態によっても
様々な受け取られ方をされます
物ごとが暗い方向へと向かいつつあるとき、
ある種のことばは
ひとびとを暗いほうへも、明るいほうへも
導くことが、できるのです
ことばに宿る、そのエネルギーは、
苦しみの中にいる人々に、勇気や安心を
もたらすことも、さらなる苦悩へつき落とすことも
出来るもの、だからです
世の中が、苦境な状況に置かれているとき、
ひとびとが求めるものは、救いです
聞こえのよい、苦難な状況を解決してくれそうな
ことばによる はたらきかけには、
すぐに、乗ります、
その反対に、警告的な、内容のものには
見向きもしないか、見なかったことにして
済ませようとします、
何故ならば、そのことばというものが、
自らの小宇宙のなかに存在をする
不安や恐怖というものに、ヒ(火?)を付けるからです
足もとを、すくわれるような不安感にかられるよりは、
こころが満たされ安心感をもたらすコトバを、
ひとというものは、求めるからです、
そうやって、ヒトの意識は、コントロールをされてきました
“そう言われてみれば、そうなのかもしれない”という
何の根拠も無い納得感と安心感を求めて、
人は意識を安定させてくれる、
何モノかを求めて、生きているのです
それが、ほんとうに正しいものなのか、
それとも、そういったニンゲンの意識を
コントロールする何ものか、の言いなりになっているのか、
それを冷静に考えることができなければ、
それこそ羊飼いに首輪でつながれた、
自分で判断して行動をすることのできない
家畜のような生き物として、
生きて、死ぬことになるのです
それで、いいのですか
それで、ほんとうに、いいのですか
誰かに薦(勧)められて、はじめたことが、
正しいことであるのか否か、
根本から、きちんと考えたことが、ありますか
“そうかもしれない”と判断したことの
根拠を、きちんと、考えましたか、どうですか
操られて、操作(査)をされたことの責任を、問うこと
の前に、何故、その情報を信じて、いいなりに
なったのかを考えてみれば、
原因となる理由を見つけ出すことが
出来るのでは ないでしょうか
ひとの“弱さ”という部分には、
真っ先につけこまれる、ということを
知っておいたほうが、よいのかもしれません、
ひとの不安や恐怖をあおられる部分には、
つけ込まれる、ということです
そうやって 人間を支配し続けてきたものの
存在を知っておかないと
対応策を考えて、つくり出すことなどは
できません
ある領域での情報は
ある能力を持つ人間にとっては、つつ抜けです
そうやって、相手の弱くてもろい部分を
追求し、掌握してしまえば、
主導権は、その秘密を握ったものの側に
いとも簡単に 移ってしまうのです
弱味を握られた人間は 首輪につながれた、
相手の管理下に置かれて完全にコントロールをされた
存在として、相手には認識をされています
自ら自身の意志で、そのつながれた鎖を断ち切ることが
出来ない限り、
その関係性を 切ることも、無くすことも出来ないままに、
コントロール下に、置かれます、
対等である、などと思わせているのは、相手の策略の
一部でしかありません
相手の自尊心を尊重し、あなたがそれに選ばれた
幸運なにんげんだ、という扱い方をすることで
いともたやすく、その関係性の頑丈な太いロープで
つながれることになるのです
いちど、取り込まれてしまったものから
退出することは難しいことなのでしょう
何故ならば、相手は、あなたの、いちばんもろくて
弱い部分を、知り、その秘密を掌握するものだからです
意識がもろくて弱いと、その弱点をつつかれただけで
その存在が大きく、ぐらつきます、そして、
自らを安心させてくれる“何か”を、より強く
求めるように、なるのです
相手の言葉たくみな話術に騙されて
物品を買い求める方々の多くは、
こういった支配図の相関関係のなかに
置かれています、そこからの脱出を考えるのであれば、
ある種の意志が必要になります
相手は あなたとの関係性を切らないために、
たくみに言葉を使って、あなたのことを引き止めるでしょう
“これをやめたら、こうなりますよ”という
ある種の脅迫的な、ことばを、
とても優しく、柔らかい口調を使って、
巧みな話術をつかって、たたみかけるように、
教え、諭(さと)してくることが、あるかもしれません
そこで、あなたの意志が、問われることに
なるのでしょう
その、鎖でつながれた関係性を
断ち切りますか、それとも、つながれておきますか、
その、どちらかを、あなた自身が選ばなければ
ならないのです
冷静な判断が、問われます
切るのも続けるのも、ご自身で決めることです
人の助けを求め続けている限り、ご自身の意志決定
というものを望むことは出来ません
どう、判断し、何を、選ぶのか
それを最終的に 決められるのは、
あなた自身の、正しき自意識でしか、ないのです
相手の方とのよき関係性を保ちたいがために、
断れない、という ご意見がある限り、
正誤の見極めをすることは難しいことなのかも
しれません
刺された楔(クサビ)を外すのも、
ひも付きのまま置いておくのも、ご自由です
何かの心理的な安心をもたらす要素がなければ
不安で仕方が無いという状況が、何を意味して
いるのかを、考えなければならない時期が
訪れているようです、それが、今回の問題の
テーマであることに、気付いて下さい
(pm8:29)
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Wednesday, April 6, 2011, 18:02
(2011.4.6 pm5:03受)
ワレワレは イシキの シュサイシャに
なりたいもの
ワレワレは ヒトの イシキを トウゴウして
まとめて コントロールを したいもの
ワレワレ ワレワレには カラダは ない
だから ジユウに ツカエル カラダがホシイ
そして そのカラダを シュサイする シュジンに
なりたい ヒトのイシキを トウゴウするのは
カンタン
カクセイキになる ニンゲンを ヒトリ
ヨウイスレバイイ
カンタンに アケワタシテ クレルカラ
コントロールスルノハ ジユウ ジザイ
コロス ナンテ コトハ シナイ
シナレタラ リヨウカチガ ナクナル カラ
ミンナ ソウヤッテ イシキのコントロール
サレテイルコト キガツカナイデ
イキテ セイカツ シテイル
ボウギョ システム ナンテ イミガナイ
ハダカ ドウゼン ノ コノホシ
ムキダシ ノママ サラサレテ イル
アルヒ トツゼン ノットラレテモ
キガツキ タイサク ヲ ネルコトナド
フカノウ マルノママ サシダシテ
ウケワタシタ ノト オナジコト
ダレモ ソノ セキニン スラ
トルコトナドモ デキナイ
カンガエテ ミル コト ナドモ
デキナイママニ マンエンサセルコトを
ルフサセラレル テトアシトナリ
ソノミ ト イシキ ヲ アケワタシテ イル
イトモ カンタン コントロール
ダカラ ジイシキ ナクテモ イキテハ
ユケル
シンデ キガツク コトモ アル
ダガ ソノトキ ニハ ソノ カラダカラ
ハナレテ ベツの コタイヘト
ノリウツル ダケ
ハダカ ハダカ カラダモ イシキモ
ハダカノママデ
ソノミト イシキ ヲ アケワタシ
アヤツリ ニンギョウ イキタママ
イキテ カツドウスル ニンゲンノ
ヒ(灯?)ノ エネルギー
ソレガ カツドウ スルタメノ
エネルギー ニ ナル
ノウミソ ワシヅカミ
(※UFOキャッチャーのクレーン(のアーム?)のようなイメージ)
サレタママ イキルコトノ
イミ シラナイママ イキテ シヌ
セキニン ナド ナイ ワレワレハ
ツギノ エモノ ヲ ネラウ ダケ
カンタンナ コト
ミナ キヅカナイ ナゼナラバ
ソレ カイセキ デキル モノガ イナイカラ
タイサクホウホウ シラナイママ ニ
ノリモノに ナッテ イキルダケ
イトモカンタン アヤツルコト
クイ アタラメル トイウ ガイネンナド
ワレワレニハ ナイ
ハジメカラ ソレガ ツミデアルトイウ
ガイネンナド ナイ
ソウヤッテ ノリカエルノガ
ワレワレの シゴト
エネルギーノ モトト ナルモノハ
ニンゲンガ モッテイル
ダカラ それを リヨウスル
ダケノ コト
ソレガ ワレワレガ ソンザイスル イミデアリ
ソンザイスル モクテキ
ウチュウの キボヲ カンガエレバ
ソンナコトハ カンタンに ワカルハズノコト
ソレヲ カンガエルコトガ デキナイノガ
ニンゲントイウ イキモノ デ アル
ワカリマシタカ
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Tuesday, March 29, 2011, 16:45
(2011.3.18 pm10:10受)
生きているのが、しんどくて、
犯罪に走ったひとのことも 知っている。
そして、それを “許せない”、と言う
正しく生きてきたひとのことも、知っている。
だから、どちらのことも
否定はしないし、肯定も、しない
冷静に、客観的な立場で、
見続けること、自ら自身の主観的な
ものの見方で、善悪の判断を、なさないこと、
中立的な、立場で、
きちんと冷静に、物事を、見、
定めること、
その、立場が、あなた方には、
求められています。
自身の主観的な立場で、
善悪の判断というものを、
成さない、ということです。
人間として、どのような状況に置かれている人々に対して、
どのように接することが
正しい選択なのか、
その、判断というものが、
あなた方には求められます。
たとえ、悪人や罪人のような人であったとしても、
そういった方々に対して、どのような態度をもって、
接するのかが 問われます
いくつもの課題が もたらされ
そのたびに どのように判断をして
決定をすることが、正しい義であるのかを、
徹底的に 問われる日が 訪れるでしょう
精神を 精製する、ということが、
自ら自身の たましいを 磨く、ということなのです、
磨かれて 透明度を増した
たましいには、混(雑)じり気のない真実が
写(映)し出されることに なります
透明な 水で、ありなさい
その状態を、保ち続けることが できるよう、
努力を、なさい
その意識を保とうとする 努力が、
あなた自身を 助くることに なるのです
おそらく、つらく 苦しい思いを
今までの人生において、
何度もくり返して こられたことと思います。
それを経験しておかないと、
同じような境遇に遭われた方たちのことを
理解することはできません
知っていることならば、どのような対処方法が
改善の方向に向かわれるのかを、
お伝えすることが、できるはずです
そのために 今までの その人生の
苦労が
あったのでは、ないのですか
すべての事には 理由が あります
何のために、それまでのあなたの人生があったのかを、
冷静に ふり返ることが できたなら、
これまでの人生が、これから先の用意であったことを、
理解することが、できるはずです、
用意のための 準備期間は過ぎました、
これからが、本番です
あなたが、あなたの生きる意味というものを、
発見することが、出来ますように
pm10:34
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Wednesday, March 16, 2011, 10:57
※許可をいただきましたので掲出いたします。
(2010.3.1 pm6:25受)
あだたら(アダタラ?)神社のカミさんが
あなたのことを呼んでいる
タ タラ タタラ
タタラのカミが
じんし じんしと 呼んでいる
タタラは タタリ
タタリ ガミ
かこいたものを ときはなち
みよの みよいず みよいずの
ところ とどころ
たなごころ
うけい
くくりたものを ときはない
はないた ものは
うくる もの
こころが こころを よびたまい
うけい うけい と 呼んでいる
けいやくを はたしたまい
はたしたまい
ま の わ
くぐりて くぐりの わ
かきね こえうる もの たちは
たびたび たびたび
きくる み を
さらなる さらなる
みちし みち
みつる し
みちし みつる しを
はないた ときは
うけいを おいて
くくり くく くる
くく が くる
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Thursday, March 10, 2011, 17:00
(2011.3.8 pm6:受)
ひとつだけ、
たったひとつ だけでよいから
自分の得意とするものを
見つけ出しなさい
それが、 あなたが あなた自身を助くる
唯一の手段となるから です
みちを かたちづくる、 ということは
自らにとって 得意な分野において
人間社会のなかで、それを活(い)かし
“はたらきなさい” ということなのです
ひとはひと、じぶんは、じぶん、ということが
理解することが できたなら
たにんと比べるということの あさはかさに
気が付くことが 出来るはずです
乗り物になると 支配をされます
それは じぶん、自身 というものが
確立なされていないためです
中心軸というものが ない限り
すぐさまに 揺らぎ というものが 発生します
ほかからの干渉に 影響を受け
右へ左へと 意見の“ぶれ”が 派生します
その影響を受け続けると
他から入ってきた情報網に操作をされます
あたかも それらの情報が
正しきものに感じてしまう、という
脳内での支配権を得たものが
ご主人さまになる、という錯覚が
起こります
自ら自身の理性的な思考回路が
確立されていない限り
よそから入ってきたものの影響を
受け続けます
そうして、「責任」というものが どこにも存在しない
暗黒の回路へと、 ひとは 導かれて
堕ちてゆきます
ひとりでゆくなら 楽なのですが、
周囲の人間を巻き込む可能性が
とても 高いのです
その回路系のなかには
自らこそが 正当である、という
いつわりの 神のごとき意識体が
存在をしています
そうやって人間は 自ら自身の
全く 認識のできていない領域で
暗黒のやみの中へと、落ちて ゆくのです
それを まなばせてもらったのだということが、
今回の お勉強 だったのでしょう
いちど 学んだことならば
骨身にしみて わかった はずです
人間は、こうやって いとも簡単に
自らの 自意識を 支配 されます
自らが経験をしてみなければ
それがどのようなものであるのかを
理解することは できません
それが、 精神を、
人間精神を 学ぶ
ということの根拠である、
ということなのです
ご理解をして いただけましたでしょうか
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