通信-10年3月23日 
Thursday, April 1, 2010, 16:21
(2010.3.23 午後:受)

へんきょうのちにおいて
いのちと そのひきかえに
ぶつぶつのこうかんをし
こうえきをしつづけてきたもの
サル(sal)
じんたいの たいそせいにおいて
かかすことのできぬ
その ぶっしつ とは
Naのかがくきごうで
表(ひょう)される にんげんのさいぼうに
へんかを与えるもの
ナトリウムイオンと呼ばれる
こうばいとなるぶっしつが
たいないでの
そせいにへんかを与えうる
主に イオンの はたらきの
なすべき やくわりはたらき
しょくばいとなる
ばいかいぶつを通して
届けられ続ける
きのうを保持するはたらき
でんき しんごうぶっしつ
でんたつのやくわり
そのきのうがていか すると
体内の じょうほうこうかん
きのうが ていか する
めまぐるしく でんたつされつづける
その相互じょうほう交換機能は
ヒトの 脳機能が糖において
かっせいかをする
あるいは 主なる栄養として
ひつようふかけつなもので
あるように
体内のイオンバランスの
いじとほじの役割に はたらく
バランスが崩れると
えんぶんのうどの しんとうあつの
はたらきにより
受け 与え の 物質伝達が
キノウしなくなる
そのため 神経に伝えられるはずの
セイメイイジキノウが
大いに ソガイされ
ヒツヨウフカケツである
ホジ バランスを とり続けるキノウが
はたらくことが 出来なくなる
Naで あらわされる
その人体における イジキノウの
はたらきのバランスをとり続ける
タイナイショクバイとなるブッシツ
はこび つたえ うけとりの
やくわりを カッセイカ する
イオン とは プラス マイナス
の でんき しんごう しょくばい
じょうほう は でんきしんごう
として たいないを かけめぐり
でんたつぶっしつを 届ける
役割をになう もの
バランスが 保たれ
イジキノウを つかさどる やくわり
そのための バランスほじ
過多でも 過少でも その
バランスは 崩れ
とどこおりなく 伝達物質を
運び届ける はたらきが
キノウ しなくなる
あきらかな カタチで その不具合が
カラダの自覚症状として
あらわれる
あらわれることが できないと
無自覚なまま その体内のホジ
イジキノウ の バランスが
かたむき コントロール不可な
領域にまで ふみ込むことになる
チョウセイ不可な状態になると
自らの調整ホセイキノウの…

(…以下通信停止)

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通信-10年3月2日 
Wednesday, March 3, 2010, 13:16
(2010.3.2 pm10:受)

わたしが死んだら
さぞかし 皆喜ぶでしょう
さぞかし 皆嬉しいのでしょう
ひとりの 生贄を差し出すことで
皆 納得し、こころの平穏を取り戻せると
思うのでしょう
かつてのひとが おこなってきた
その愚行を
どうやら 繰り返し おこないたいと
願うものが いるようです
ひとの弱みにつけこんで
その人間を罰することが できると
思い続けて いたいもの
それらの暗黒のエネルギーが 介在していることに
なぜ人間は 気付くことが
出来ないのでしょうか
乗り物になると、支配されます
容器になり それらの光と闇の分離が出来ないと
それらはその場に場所を得ます
それらの支配下に置かれると
乗っ取られたまま行動をしていることに
気付くことさえ 出来なくなります
何故、悪魔祓いが必要なのでしょうか
ご当人が全く気が付くことが出来ないうちに、
その、主人格を支配されていたとしたら、
どうしますか
ご当人は気付いては いないのです
その自意識が乗っ取られ 支配をされて
いる という 現実に。
だとしたら どうしますか
死ぬまで、それらに居場所を 与え続けるのですか
それほど 不毛で 哀れなことは ありません
あなたが あなたである という
その あなた とは
健全な 主人格を 持ち得た
ひととしての存在としての あなたです
なぜ 異物であり 異質なものの存在に
その身体を あけ渡すのですか
乗り物に なり続けていることの 不毛さに
はやく 気が付いて ください
乗っ取られたまま 無自覚で行動することの危険性を
もう充分という程に あなた方には
お伝えをした はずです
健全な意識を 常に持ち続けていることに
努力をしないと 何ものかのイシにより 操作がなされ
そのものの イシを 完遂するために
身体を 明け渡すことに なるのです
何ものの 手先として 生きることになるのかを、
よく お考えください
自滅する 破滅をさせようとするものが
どういった類のものなのか
今さら お伝えをしなくても、既に あなたがたは
知っているはず の ものです
なぜ わざわざ それらのものを
拾い集めに ゆくのですか
自殺行為をした結果
責任を取らされることになるのは ご自身です
よいですか
ひとりひとりの 方々の ポジションは違います
ルールは同じであっても
はたらく 場が 違う
ということです
ひとの 芝生を青く見て それらを奪おうという
意識が はたらき続ける 限り
自らの立ち位置と そのはたらきを 認識することは
難しいことなのかも しれません 闇の意識に
とらわれ続け 底の底まで 行くのも ご自由です
ですが その責任を になうのは
どこの 誰なのでしょうか
全てのことが 丸見えで もしも それが
つつぬけだったとしたならば どうされますか
恥かしくは ありませんか
人間と人間の間の 情報網は
伝播をします
ひとつの ひずみや ゆがみが
即座に 多数に 伝わることが あるからです
こだわりや とらわれを 持ち続けている限り
ネットワークを介して つながりを持たされる
ということです
断ち切ることが出来ないと
つながれ結びつけられます
よく よく 『冷静に』 見ることです
外側から見ることができないと
引力圏に 結びつけられます
それが くるえるこのちの姿です
そこから出て そとから それを見ないと
全体像を見ることが できません
すべてのことには 原因があり
その結果 その状態が もたらされている
ということです
気を付けて、よく足元と、そして前を
見すえていないと、一瞬にして 足もとを
すくわれることになるのです
学びです、そしてこれは現実です
よく よく 冷静に、そして客観的な視点を
持ち得ることを こころがけてください
ひととしての 自意識が
目覚めた ひとの 自意識が
いちばん強いということを
決して 忘れないでいてください。
目覚めた ひとの 自意識 とは
健全なる 「あなた自身の」 自意識です
よく よく
冷静に
観察を
してみて下さい。


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通信-10年2月21日 
Tuesday, February 23, 2010, 17:51
(2010.2.21 pm3:23受)

あなたがとても苛酷な
りゆう
それは あなたが
はたらきます と 宣言し
その けいやく が
成立を したため
正しきルールにおいては
無慈悲とも おもえる
負荷が
あなたの 身に
そして 意識に かせられます
いくたびもの 試練にさらされ
それでも なお 先を目指すものにしか
耐えることのできない
勇気が 試されます
前を見据え そして いくたびもの
横やりを入れられてでも
立ち続け 前に進む意志と
勇気が問われます
生ぬるく 気持ちのよい
そして 自分にとっての都合のよい
居心地の良さ
というものを 期待し続けている
かた達にとっては
とてもではありませんが
受け入れられることの出来ること(もの?)では
ありません
次から次へと やって来る
それらの イシキエネルギー体
と いわれるものが
何のために あなたがたの身に
意識に か(科?課)せられていると 思われますか
たたかうことが できなければ
つぶされます
光と闇の たたかいは
あなたがた自身のなかで
くり広げられることに なるからです
自ら自身の 闇の処理ができるようになると
よそから 外から放り込まれるものと
たたかわなければならない日が
訪れるでしょう
なぜ “つるぎ”が象徴とされているのかを、
気付くべき ときが 訪れているようです。
自らが発したエネルギーで
相手を潰そうとするもの
それらは悪意と呼ばれるものの
はたらきでしか ないのです
多くのものは それを知らないという
言い訳のもとに 行使することに
何ら 罪の意識を 持ち得ていません
残りの人生の時間を終えて
死ねば それで全てが終わりであると
思い続けていたいからです。
たたかうために 必要な
知識と勇気、それに正義と愛が
ためされます
それらの諸条件が かねそなえられていないと、
自らの存在のなかで
それらの悪意は増幅し
千倍、万倍へと ふくらみ続けます
乗り越える 意志が 試される、とは
そういうことです
なぜならば
人間という その存在のかたちのみが
光と闇を分離することのできるものである
という ルールが 適用されているからです
その ルールを 理解していないと
たたかうことは できないでしょう
祈るのであるならば、
助けて下さい なのではなく、
どうか わたしを はたらかせてください
と、祈るべきなのです
なぜならば
意志を体現して、生きるもの
とは、
自ら自身が その身を持って はたらくもので
あるということを 知っているからである
分離をして あるべきところに
必要なデータ として 残れば
エネルギーは消滅します
あなたがたの からだが
浄化ポンプの 役割を することに
なるから、なるためだからです
いくたびもの つらい思いや
苛酷な思いをし
それでも 最後の最後まで
あきらめないで 努力をする
その勇気と行動が
ためされることに なるからです
エントリーを しますか
しませんか
それが、こちら側のルールで
はたらくものとして参加をするものなのか
あるいは否か の
ふたつに ひとつの選択肢
なのです
ひととして からだを持って 生まれてきた
ことの意味を 知るものは さいわいである
人間存在の 真の意図を
知り得るものたちだからである
裁きは天に委ねなさい
人が人を呪うこと それは
明確なる 罪罰に あたい(値?)する
ものであり
それらのエネルギーを発したものも
受け取ったものも
正しく記録が なされているからである
それらの過程や記録は全て
正しく正当にjudgementが
なされるためだからである

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通信-10年1月31日 
Tuesday, February 2, 2010, 14:28
(2010.1.31 pm4:57受)

つなぎめの はざまのなかに
きき おとしたる うみのおや
きけ みなともへ
あたらしき ちしの みなもとへ
さた(だ)かなる あしをとの みち
くりかえし を たちきるために
うつし よの ともに あらん
かいの こ
かき たちぬるは
けふの みや
おつるもの とも
かひなき ものに
うこき たまはりなん
きこしめし なん
まちは(わ)いた ものの
たち ぬる その ありさまを
きかしめし たりなん
うこかし たまはりなん
うるく ともに あり
はり たち たまはん
かひ なき あしをと
たたつ(ず)む ために
はるかの くに そ
きかしめし たまはん
あひ(い) たちぬりて
たちぬりて うるく の
もと へと かへし たまはん
をのぞみの もの
たまはりて く くる
くくる
くくりの あり や
たまはりた ものを うごかす
ため に
まひ たちぬりて
たちぬりて さたかなり
さたかなり
あひ(い) ともに あり
みな も たち
あは(わ) うつしたり
かかん のん てん
かかん
のん
てん


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通信-10年1月29日 
Tuesday, February 2, 2010, 14:26
(2010.1.29 am10:10受)

自らが、自らの意志で
自分自身を
変えてゆく、ということ


(2010.1.29 am11受)

向き合い
知り 担い
乗り越えてゆくしか
ないのです


(2010.1.29 pm0:25受)

敵は 汝のすぐ眼前に有り
汝(なんじ) その自らの
中に有る
自らを けだし
自らを そしり 憎しみを
抱くものは
汝(なんじ)その姿なるを
知ることも なき者也(なり)
聞き耳を そば立てて
ものの有りかたなるを
とらえようと
し つるものたちは
はるかなり かなたより
近づきつつある その足音に
気付くことは なきものたちなり
耳をそば立て 聞くる(来・来る?)
ものたちは
そのみちの ありようを
知ることは なき ものたちなり
こわねの いとを
ゆるやかに ほぐすことの
可(か)なる もの達は
全てが そのために 用意が
なされ
予め(あらかじめ)その 契約のもとに
定められたる いとのこを
つくり出したるもの なりけり
学びを 経(へ)たものたちは
その おのずの持ちたる
小宇宙を 手離し
開かれたる扉を越(超)へて
みちを 切り開きたる
ものたち なりけり
聖なるかな
はるか かなたよりの
祝福を受け
みち ひき給へ
みち ひき給へ
聖なるかな
聖なるかな


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