通信-10年3月2日 
Wednesday, March 3, 2010, 13:16
(2010.3.2 pm10:受)

わたしが死んだら
さぞかし 皆喜ぶでしょう
さぞかし 皆嬉しいのでしょう
ひとりの 生贄を差し出すことで
皆 納得し、こころの平穏を取り戻せると
思うのでしょう
かつてのひとが おこなってきた
その愚行を
どうやら 繰り返し おこないたいと
願うものが いるようです
ひとの弱みにつけこんで
その人間を罰することが できると
思い続けて いたいもの
それらの暗黒のエネルギーが 介在していることに
なぜ人間は 気付くことが
出来ないのでしょうか
乗り物になると、支配されます
容器になり それらの光と闇の分離が出来ないと
それらはその場に場所を得ます
それらの支配下に置かれると
乗っ取られたまま行動をしていることに
気付くことさえ 出来なくなります
何故、悪魔祓いが必要なのでしょうか
ご当人が全く気が付くことが出来ないうちに、
その、主人格を支配されていたとしたら、
どうしますか
ご当人は気付いては いないのです
その自意識が乗っ取られ 支配をされて
いる という 現実に。
だとしたら どうしますか
死ぬまで、それらに居場所を 与え続けるのですか
それほど 不毛で 哀れなことは ありません
あなたが あなたである という
その あなた とは
健全な 主人格を 持ち得た
ひととしての存在としての あなたです
なぜ 異物であり 異質なものの存在に
その身体を あけ渡すのですか
乗り物に なり続けていることの 不毛さに
はやく 気が付いて ください
乗っ取られたまま 無自覚で行動することの危険性を
もう充分という程に あなた方には
お伝えをした はずです
健全な意識を 常に持ち続けていることに
努力をしないと 何ものかのイシにより 操作がなされ
そのものの イシを 完遂するために
身体を 明け渡すことに なるのです
何ものの 手先として 生きることになるのかを、
よく お考えください
自滅する 破滅をさせようとするものが
どういった類のものなのか
今さら お伝えをしなくても、既に あなたがたは
知っているはず の ものです
なぜ わざわざ それらのものを
拾い集めに ゆくのですか
自殺行為をした結果
責任を取らされることになるのは ご自身です
よいですか
ひとりひとりの 方々の ポジションは違います
ルールは同じであっても
はたらく 場が 違う
ということです
ひとの 芝生を青く見て それらを奪おうという
意識が はたらき続ける 限り
自らの立ち位置と そのはたらきを 認識することは
難しいことなのかも しれません 闇の意識に
とらわれ続け 底の底まで 行くのも ご自由です
ですが その責任を になうのは
どこの 誰なのでしょうか
全てのことが 丸見えで もしも それが
つつぬけだったとしたならば どうされますか
恥かしくは ありませんか
人間と人間の間の 情報網は
伝播をします
ひとつの ひずみや ゆがみが
即座に 多数に 伝わることが あるからです
こだわりや とらわれを 持ち続けている限り
ネットワークを介して つながりを持たされる
ということです
断ち切ることが出来ないと
つながれ結びつけられます
よく よく 『冷静に』 見ることです
外側から見ることができないと
引力圏に 結びつけられます
それが くるえるこのちの姿です
そこから出て そとから それを見ないと
全体像を見ることが できません
すべてのことには 原因があり
その結果 その状態が もたらされている
ということです
気を付けて、よく足元と、そして前を
見すえていないと、一瞬にして 足もとを
すくわれることになるのです
学びです、そしてこれは現実です
よく よく 冷静に、そして客観的な視点を
持ち得ることを こころがけてください
ひととしての 自意識が
目覚めた ひとの 自意識が
いちばん強いということを
決して 忘れないでいてください。
目覚めた ひとの 自意識 とは
健全なる 「あなた自身の」 自意識です
よく よく
冷静に
観察を
してみて下さい。


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通信-10年2月21日 
Tuesday, February 23, 2010, 17:51
(2010.2.21 pm3:23受)

あなたがとても苛酷な
りゆう
それは あなたが
はたらきます と 宣言し
その けいやく が
成立を したため
正しきルールにおいては
無慈悲とも おもえる
負荷が
あなたの 身に
そして 意識に かせられます
いくたびもの 試練にさらされ
それでも なお 先を目指すものにしか
耐えることのできない
勇気が 試されます
前を見据え そして いくたびもの
横やりを入れられてでも
立ち続け 前に進む意志と
勇気が問われます
生ぬるく 気持ちのよい
そして 自分にとっての都合のよい
居心地の良さ
というものを 期待し続けている
かた達にとっては
とてもではありませんが
受け入れられることの出来ること(もの?)では
ありません
次から次へと やって来る
それらの イシキエネルギー体
と いわれるものが
何のために あなたがたの身に
意識に か(科?課)せられていると 思われますか
たたかうことが できなければ
つぶされます
光と闇の たたかいは
あなたがた自身のなかで
くり広げられることに なるからです
自ら自身の 闇の処理ができるようになると
よそから 外から放り込まれるものと
たたかわなければならない日が
訪れるでしょう
なぜ “つるぎ”が象徴とされているのかを、
気付くべき ときが 訪れているようです。
自らが発したエネルギーで
相手を潰そうとするもの
それらは悪意と呼ばれるものの
はたらきでしか ないのです
多くのものは それを知らないという
言い訳のもとに 行使することに
何ら 罪の意識を 持ち得ていません
残りの人生の時間を終えて
死ねば それで全てが終わりであると
思い続けていたいからです。
たたかうために 必要な
知識と勇気、それに正義と愛が
ためされます
それらの諸条件が かねそなえられていないと、
自らの存在のなかで
それらの悪意は増幅し
千倍、万倍へと ふくらみ続けます
乗り越える 意志が 試される、とは
そういうことです
なぜならば
人間という その存在のかたちのみが
光と闇を分離することのできるものである
という ルールが 適用されているからです
その ルールを 理解していないと
たたかうことは できないでしょう
祈るのであるならば、
助けて下さい なのではなく、
どうか わたしを はたらかせてください
と、祈るべきなのです
なぜならば
意志を体現して、生きるもの
とは、
自ら自身が その身を持って はたらくもので
あるということを 知っているからである
分離をして あるべきところに
必要なデータ として 残れば
エネルギーは消滅します
あなたがたの からだが
浄化ポンプの 役割を することに
なるから、なるためだからです
いくたびもの つらい思いや
苛酷な思いをし
それでも 最後の最後まで
あきらめないで 努力をする
その勇気と行動が
ためされることに なるからです
エントリーを しますか
しませんか
それが、こちら側のルールで
はたらくものとして参加をするものなのか
あるいは否か の
ふたつに ひとつの選択肢
なのです
ひととして からだを持って 生まれてきた
ことの意味を 知るものは さいわいである
人間存在の 真の意図を
知り得るものたちだからである
裁きは天に委ねなさい
人が人を呪うこと それは
明確なる 罪罰に あたい(値?)する
ものであり
それらのエネルギーを発したものも
受け取ったものも
正しく記録が なされているからである
それらの過程や記録は全て
正しく正当にjudgementが
なされるためだからである

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通信-10年1月31日 
Tuesday, February 2, 2010, 14:28
(2010.1.31 pm4:57受)

つなぎめの はざまのなかに
きき おとしたる うみのおや
きけ みなともへ
あたらしき ちしの みなもとへ
さた(だ)かなる あしをとの みち
くりかえし を たちきるために
うつし よの ともに あらん
かいの こ
かき たちぬるは
けふの みや
おつるもの とも
かひなき ものに
うこき たまはりなん
きこしめし なん
まちは(わ)いた ものの
たち ぬる その ありさまを
きかしめし たりなん
うこかし たまはりなん
うるく ともに あり
はり たち たまはん
かひ なき あしをと
たたつ(ず)む ために
はるかの くに そ
きかしめし たまはん
あひ(い) たちぬりて
たちぬりて うるく の
もと へと かへし たまはん
をのぞみの もの
たまはりて く くる
くくる
くくりの あり や
たまはりた ものを うごかす
ため に
まひ たちぬりて
たちぬりて さたかなり
さたかなり
あひ(い) ともに あり
みな も たち
あは(わ) うつしたり
かかん のん てん
かかん
のん
てん


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通信-10年1月29日 
Tuesday, February 2, 2010, 14:26
(2010.1.29 am10:10受)

自らが、自らの意志で
自分自身を
変えてゆく、ということ


(2010.1.29 am11受)

向き合い
知り 担い
乗り越えてゆくしか
ないのです


(2010.1.29 pm0:25受)

敵は 汝のすぐ眼前に有り
汝(なんじ) その自らの
中に有る
自らを けだし
自らを そしり 憎しみを
抱くものは
汝(なんじ)その姿なるを
知ることも なき者也(なり)
聞き耳を そば立てて
ものの有りかたなるを
とらえようと
し つるものたちは
はるかなり かなたより
近づきつつある その足音に
気付くことは なきものたちなり
耳をそば立て 聞くる(来・来る?)
ものたちは
そのみちの ありようを
知ることは なき ものたちなり
こわねの いとを
ゆるやかに ほぐすことの
可(か)なる もの達は
全てが そのために 用意が
なされ
予め(あらかじめ)その 契約のもとに
定められたる いとのこを
つくり出したるもの なりけり
学びを 経(へ)たものたちは
その おのずの持ちたる
小宇宙を 手離し
開かれたる扉を越(超)へて
みちを 切り開きたる
ものたち なりけり
聖なるかな
はるか かなたよりの
祝福を受け
みち ひき給へ
みち ひき給へ
聖なるかな
聖なるかな


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通信-10年1月8日 
Friday, January 8, 2010, 17:00
(2010.1.8 pm0:35受)

人間が本来持ち得ている
治癒能力を活性化させる
仕組み、はたらき
施術をほどこして治癒をするという
おこない、行為ではなく
それぞれ個々のにんげんが
本来ならば正しく機能させることが
可能なはずの自動再生機能のようなものが
スムーズに はたらき出すために
その人間のはたらきを阻害している
要因を外し除去をする はたらき
ほとんどの 人間が 勘違いをしているのは
自らが相手に対して
“良い影響を与えてあげる” あるいは
“与えてあげている”という自負のようなものを
持っているものだという錯覚
それらは そのおもいを 相手に
送り込むことによって 相手の身体や
意識の状況を改善をして「あげている」
という思い込みの範疇(ハンチュウ)でしかないという
ことである
これまでに多くのにんげんが
対象物に対して 自らが何らかの
善行をして「あげている」というルールにより
その、自らと対象物との間に
何らかの利害関係というものを
自動的に無意識につくり出し
それらの関係を保つことに
さらに多くのエネルギーを使い続けてきた
ということを 自身で認識をしている人間は
ほとんど 存在をしていない
無意識であれ 意識的であれ
にんげんという種の 生きものは
多くの人間の より上位に立ちたいという
その欲望を満たすために
ありとあらゆる方法を使い続けてきた
それらの多くは
その存在のなかでの無意識領域
つまり 目には見えない
その、責任を問われることが無いと
思い込んでいる 意識下においての
ツールを使い
その他の人間の上位に立つことを
自らのみが許されたという
自らにとっての都合のよい認識により
他者を 自らの支配下に置く権威を
与えられているという判断により
支配と権力のルールの歴史を
つくり続け そのルールの継続を
望み続けてきた
自らの 生存期間内での栄華とともに
生き続け 支配者として君臨するという
権利を自らが持ち得たとの思い込みにより
それらの永遠性を保つことに
エネルギーを注ぎ続けることになる
悲しきかな それらのもの達は
自らのたましいの ゆく末と ゆく先を
知ることはない
そもそも 「責任」ということばが意味する
本来の正しき意味を知ることはなく
自らの権威を保つこと それ自体が
自らの責任であるという 当人にとっては
正当な理由付けが その存在のなかに
存在をし続けている
栄華や権威、地位というものが
大きな鎧のようなものとして
その存在の たましいを覆い
本来 まっとうするべき 正しき にんげん
としての 生存と 存在のあり方を
全く 見えないものとして 生き続けているということを
本人だけが自覚をすることの出来ない領域で
覆いをかけられた 自分だけの
ミニシアターのなかで、自分にとっての見たい
映画のみを み続ける という世界観のなかで
生き続けることに 努力をする
つまり ちいさな囲いで覆われた
自分だけの ミニシアター
それが 見たいものだけを 見続けようとする
小宇宙と言われるものの 正体である
その 囲いや 覆いを
外す ということは
様々な情報が ダイレクトに意識にあがり
処理能力が 伴なっていない場合
意識を病むか 身体に変調をきたすか
いずれにしても 外から入って来るものの
影響を受けることになる
通常のにんげんが あり得ないと
思い続けている
種(シュ)としての にんげんの潜在能力
というものが開花をする ということ
その 正しき 情報処理能力を
持ち得ることが 可能であるならば
DNAレベルでの 進化と言われるものが
加速をすることになる
ゆるやかな 進化論の 時間的経緯のなかの
ある分岐点において
ある存在の 意 を知り得るものが
その到達点の 行く先を 知り
自らの存在そのものの 基盤であるともいえる
たましいと呼ばれるものの存在意義を
認識し その責務を担うことを 望むもの
あるいは 正しき 契約下のもとにより
開花をさせることの出来る 能力
と 言われているもの
それらの存在を 懐疑のまなざしで
見、そのちいさな 自らが正しいと思う小宇宙内での
情報網や常識の域からしか
物事を判別、判断が出来ないものにとっては
信じ難い領域の お話でしか ない
つまり 責務を担い 進化への道すじを
選択するのか
あるいは それらの責任というものを
はじめから無いものとして 自らだけの快適な
小宇宙内での 幕切れを 望むのか
それが 個々の存在としての たましいに
問われているだけ の お話でしか ない
契約の概念を 持ち得ていないものにとっては
耐え難く 受け入れられることの出来るものではない
各々(おのおの)の にんげんに
その 自由な 選択は 与えられ
その判断は 委ねられている
つまり 上昇するのも自由
落下するのも 自由であると 伝えている一節が
そのこたえとして、 与えられている ということである
はじめから 世のはじめから
こたえは そこに用意がなされ
ある時 ある意志の存在のもとに
この世と呼ばれている 次元と時空の
存在のもとに 置かれることになる
という その分岐点に 立つものとして
その生を まっとうするものとして 存在をしたいのか
あるいは 否か が
問われている ということである
それが 個々の物語としての お話であり
用意である

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