Tuesday, July 28, 2009, 20:20
(2009.7.28 pm7:11受)
あまと との
ちのと
とびら あけし
たまひし つなぎし
ちのと との
かた のみ を
みに し
みの と
といし いと
み たまひて
いと つなぎ
たまひて ここの
えん との
つなぎ たまひ
みの たま
みい の たま
たま くら つなぎ
つなぎ ての
まちわびた えん
との つなぎ め
かかくら かくら
かくら まひ(い)
かくら まひ(い)たち
たちぬる を
とも ろふは
はき まき
まきひて まひきて
まひ まひ まひ
み みわ のと を
つな ぎ しの
つな ぎし の
つな ぎし の
ここ もり
こもり こもり の
たね は
まひ まひ まひたち
まちわび て
み み み みのつく
つなぐる を
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Friday, July 24, 2009, 17:38
(2009.7.21 pm0:18受)
イシダタミ イシダタミ
まのと
とびらの と
とどこおり なく ウケ つぐ
つげ
つげ ばしら はしら
かんのこ とり の
いっせい (一声)
いっせい (一生)
いっせい (一斉)
いっせい (一世)
さふらへし よ
よよ に でる
いで たち ぬる をは
さふらへし
きき くる よば をば
をよばづ は
ならひ さしめし
さしたる よ
きん の かん
かん の をけ
をける はざま の
たちはい に
たて と たて
ちち と ちち
ちのり ぬりはい
とものもの
こちくる いと のこ
くくられ し
きよめ たまひし たまいし
の
すどおり されなば
なされなば
おいわけ られしは
つく(ぐ) の もの
つぐみ つく み
つく つぎの みの
ろうばい されし は
まがた の えん の
えん えにし とも
えにし とも
この とち いでし
ともに あり
うごくる ものを み
もの をみ の
さして ちがはぬ
ひとの よ と
をくり だしたる
うごく み は
さらなる あしをと
きき つかひ(い)
きん こ
ぎん こ の
このあらず
たけ をとりては
さめやらず
いしの きんのこ
ぎんのこ の
はなれさふらふ
さふらひし
ここの よあけ と ともにあり
あけ くる よあけの
いみ を しる
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Friday, July 24, 2009, 17:36
(2009.7.13 pm3:50受)
かんのこ
ひとのこ
よあけの よ
もうもう まいたち けむりのよ
あかつき みなつき
よあけの よ
ささ し だしたる
よあけと ともに
うる うる うるぎは
さし かね
さし かね
ともろふ ともろふ
よあけと ともに
くる ふる
ふる る
よあけの よ
あかつき まひたち
まひ たちぬる は
もの をけ
をうけ
うけ とも ひ
かん なぎ
なぎ ひて
ひて ともに
う くる よ あけ
と
いて とも に
さん さん
さしたる さしたる
ゆへ は
み の くに
みくに
おんくに の
たた かひ
なが ぬる
うき よに
ならび
みまひ まちたる
さんと なる
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Tuesday, July 21, 2009, 23:07
(2009.7.21 pm8:44受)
さみだれの
ながるる をと をば
きき ぬりて
とわ を まち
まち たり た
たりぬる を
かかえ きれぬは
さ き あらば
まと ほ へて
へて へつ を
へつ み ゆへ
きみ が よを
よの うけ ひ
うけ ひ たまひて
つつが なく
なき とも は
ももの いえ
たりぬ とも
たらぬ とも
ともの いえ
いくつかの みち みちて
すべ からく
かりぬ かりぎぬ
きぬ かりて
はてしなき はて なき
ゆめ は うすくも の
まをかりて
こころ して
こころ ゆき
ゆきゆき の
みちみち を
たかし とて こころざし
はれゆきて
みちみち の
ありし みち
みちみち て
かわ の なり
ながるる を
かりしのの
しののめの
ながれゆく
かわ ゆきて
きみが いよ
いよの みち
ききたまひ
ひのなり を
まわりみて
すべからく
けふのいえ
ともに ゆく
とらはれは
みちのゆへ
ゆへともに
つつがなく
ものほいふ
ともに あり
うつくしき
みのたま ほ
あらはす は
きみがため
ありとし を
こへゆきて
うつしたまひ
わ(和?)ときみ ぞ
わ と なりて
わ を うつし
あらはすは
きみがため
きみが いよ
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Monday, July 6, 2009, 06:57
(2009.7.2 am3:40受)
みずからの おかした そのおこないは
自らの責任の範疇のものとみなされ
消えることもなく、書き換えられることもなく、
ただ、その存在のなかに、
まぎれもない事実として置かれ、
残されている
あなたがたが その 自らのした
おこないに対する 責任を取らない限り
契約を自ら破棄したものとして見なされ
審判の場へと 歩みを進めることになる
つまり どうされたいのかを
決める権利は ご当人に与えられ
その選択により 自らの歩む道は
決まるということである
見逃してもらえるだろう
許されるだろう という
甘い期待を抱かれている方々には
それらは無いということを
お伝えする必要があるようです
自らが希望し 期待をし続けている
手に入れたい結果、とは
一体 何なのでしょうか
契約を履行することが出来ない人間ほど
もっともらしき言い訳を 著述したがるものです
それらの主張が なされる
その存在のもととなっているものとは
一体、何なのですか
どこへ向かって歩みを進めているのかが
わからないものは
その自身の責任を 他のものへと転嫁を
したがるものです
そのおこないを続けていることが
いかに不毛なことであるのかを
知らせ伝え続けていることが
どうやら よほど その存在の中の
ある部分を 逆なでしていると
思われている ようです
自らの存在のなかに、
それらの指摘がなされると 過剰に反応をし
異議申し立てをしようとするものが
出現してくるのは 何故なのですか
自らの存在のなかに 指摘をされている
そのもの通りのものが
置かれ居場所を持っているからこそ
そこに光があたると
過剰に反応をするのではないのですか
自ら自身が克服をしていないテーマに
光が当たり活性化をするから
反論をしようとする感情が、わき上がって
来るのではないのですか
既にそれらを克服したものから見れば
納得し受け入れられるはずのものでしかないのです
その存在の闇に光が当たると活性化をするとは、
それらのことを意味しているからです
否定し、反論をし続けるのはご自由ですが、
そのままの状態で、ご自身の人生の終焉まで
変わることなく過ごされますか
どうですか
まぎれもなく その ご選択は
ご自身で しなければ ならないものとして、
目の前に用意がなされています
ふたつに ひとつ の その選択の
選別には あるひとつのルールが採用され、
そのルールのもとに 選択は
本人によって委ねられているものだからです
それが、正しいものなのか、否か。
好き嫌い、良し悪し、という基準は
採用されては いないのです
それを よく お考え下さい
正しき選択なのか、否か
それだけでしか、ありません
ご自身に 様々な欲を お抱えになられたかたには
厳しい現実なのかも知れません
ご自身が抱え持ち続けていたいものが
何なのかを、決定的に問われることに
なるからなのです
どのような判断を下すのかは、
ご自身で決めるしか ないのです
ご自分の人生を考え続け その主導権を持ち
行動するのは自らの意志決定でしかないからです
トラウマや、受けた傷というものに
いつまでも シュウ(執)着し
その被害者意識を その根っこに
持ち続けている限り、
何の解決にもつながらないことを
理解されたほうが よいのかも知れません
それがそこに存在をし続け
居場所を強固に持ち続けている限り
己の欲深さを捨てて 周囲の為に
はたらき続ける人間となることは
とても難しいからなのです
そのために、まず自ら自身の掃除を
しなさい、と いい続けているのです
その悔い改めの意味が、わからない限り
周囲の状況が変わるということなどは
不可能に近いからなのです、
自らの中に、ちりが沢山積もっていて
どうやって周囲のちりが片付けられると
言えるのですか
物事は理屈でしか ありません
そのことを よくよく
お考えになってみてください
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