Friday, May 15, 2009, 18:24
(2009.5.13 am11:37受)
いちど きりの じんせいを
おいてきぼりには されないで
正しく 歩むためには
何が 必要と されているのでしょうか
それを 知らされても
それを 理解が できるものと
できないもの との 差とは
一体 何なのでしょう
あらかじめ 契約がなされた
ものなのか 否(いな) か
という 前提のもとに
今の この時代に 生まれることを
のぞみ(臨み?)
自ら自身の せきにん(積任?) を
果たすために
おくり出された もの という
こたえが みえては
きませんか
宗教団体 というものには
必ず 支配と 命令系統(傾倒?)
という しくみが 設置され
意識的にか あるいは
無意識的にか は
別にして
ルールを ジュンシュ(遵守・順守?)し
結束を はかり それを
保ち続けようという
目には見えない 無意識下での
相互関係 というものが
常に はたらいています
それらを 生きてゆく あるいは
日常生活の キバンに
置き続けること そのことさえが
こころの ささえ
自らの 存在意義 というものに
認識を されて いるから
その場から
意識を変革させる ということは
たやすいことでは ありません
つまり 当人が 有難がっていることを
それは 間違っている、と
否定をしても 意味が
ないのです
自らが、正しいに違いない、と
納得をし 日々の常(つね) にしていることを
つついてみても
意味が ない、とお伝えしているのです
自らが これは とても大事なもの
と 認識をしているもの を
例えば 否定を されたなら
その 否定をしたものの 意見
というものに 耳を貸したい と
思われ ますか
つまり 耳を 傾けようと
しないものに対して
一生懸命 説得を する
という行為は 不毛なものであることを
お伝えしている ことに
お気付き ください
要(い)らない ものに すすめても
意味は ありません
むしろ どういった 人達が
それを 必要と しているのかを
いちど お考えになってみては
いかが で しょうか
正しく 必要と されている
かたがた に
お知らせ を するためには
どうしたら よいのか を
いちど お考えに
なってみてください
必要と されたまま 知る きっかけの
ない方達に お知らせを するには
どんな方法が 考えられると
思われますか
何度も お伝えを
していますが
頭の中で 物事を 色々と
考えを 巡(めぐ)らせていても
それらを 実際に 行動を
おこさなければ
意味は ありません
はたらく ものは からだを持つ
「にんげん」なのです
目覚めた 「ひと」の意識が
何よりも 何もの よりも
強い、ということが、
こたえです
残念ながら どこかのカミ、と
称するものが
じぶんのかわりに はたらいてくれる
ということは ありません
協力を してくれることが
あったとしても
あくまで主役は 人「ヒト」である
自分 です
認識のすり替えが なされないよう
気を付けて ください
あくまでも 主役であり 主人公であるのは
自分自身 という 存在です
判断に迷ったときのために
知識が用意されていることに
気付いてください
「地図」である、ということを
お伝えし続けていることにも
お気付き ください
正しい判断力を持続させ
自らが揺らぐことの なきように
用意がなされているものであることに
指針を 定めて
歩んでください
道を間違えないように、
迷ったときに 道標(みちしるべ)を 探すものが
地図の あるべき姿です
知りたいこたえは 必ず そこに
提示をされ 記されている はずです
それを 忘れないで いてください
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Monday, May 11, 2009, 18:26
(2009.5.11 pm5:18受)
終わったことに 腹を立て
それらを むし返してみた
ところで 何の解決策にも
ならない ことぐらい
何故 解(わか)らないので しょうか
いつまで たっても
あなたがたの 世が
成長を しない 限り
残りの時間は 奪われて
ただでさえ すくない残存時間は
どんどん 切り取られて
ゆくことに なるのです
おわかり ですか
みっともない、と 思われた
自らの過去を
受け入れて 乗り越えてゆかない限り
つぎの 中継地点へと向かう
扉というものは
用意は なされて いません
こっそり 隠しておきたい過去を
一生懸命 鍵をかけておいた
つもりのことが
それらを 見えないところへと
押し隠しておこうとする限り
それは うしろ暗い 何か、として
いつまでたっても
その場に残され続けることに
なるのです
見たくは ない 事実
思い出したくは ない 事実として
あなたという存在の
その うちがわに あり
厳重に 鍵を かけられた ままの
その、なにか
知らないはずだと 思っていても
それらは つつ抜け で
まる見えになっていることに
何故 気付かないのでしょう
一体 何の為に
悔い改める、という 行為が
用意されて いるのでしょうか
間違っていた、と 判断することが
出来た みずからの 行(おこな)い は
きちんと 認めて受け入れ
そののち、おなじ誤ちを くり返さない為に
自らが 行動や 行(おこな)いや
こころの、 意識の あり方
というものを
自らの意志で 改善を してゆけば
済む話、だと
何故 お気付きに ならないのでしょうか
見られて 恥ずかしいと 思われる
うしろ暗い 過去が おありなら
それらのことを 自らが受け入れて
悔い改め、なさい と
いい続けていることの 意味を
よく よく お考え いただけないで しょうか
誤(あやま)ちを おかさない 人間 というものは
存在をしていないに 等しい もの です
間違ったことに 気付いた ならば
同じ あやまちを 繰り返さないよう
改心をして 努力をすれば
済むだけの お話 なのでは
ないのですか
不安と恐怖にかられて
我を 見失うと
たましいの 中心点というものが
見えなく なります
その状況 というものは 「恐怖」でしか
ありません
いわゆる 人生を まっとうするはずの
自分自身 という 主人 が
お留守の 状態に なるのです
何のために
精神の免疫 ということばが
伝えられて 知らされて いるのですか
一体 何を 学んで こられたのですか
あなた自身の人生を まっとうする
主役は あなた自身でしか
ありません
中心点が揺らぎ 1本の縦軸というものが
揺らぐと
ほかから 入って来ようとするものの
影響を まともに 受けることに
なるのです
まだ、解りませんか
あなたの人生を まっとうする ものは
あなた自身の
意志決定と行動 でしか ないのです
何故 自分が どうすべきか を
他者に 問うの ですか
おかしな 話だと
お思いに なりませんか
あなたの人生の 主人と主役は
一体 誰なのですか
こどもでも 知っているようなことを
何故 何度も 何度も
お伝えを し続けなければ
ならないのでしょうか
間違ったことを したならば
自分のもとへと かえってくるだけの
話です
ご理解を して いただけましたでしょうか
すべての こたえは
書のなかに 記されて いるはず です
読めば わかりますが
読まなければ わかりません
それだけの 話です
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Monday, May 11, 2009, 13:13
(2009.5.9 pm0:12受)
まきむく きたりて
しん おん を
はっぱ ひゃっぱの
じゅず つなぎ
おうたは とどいて
とどけられ
しん おん
しん ごう
じゅず つなぎ
きき ずて ならず
きき ならず
なら ぼんち との
ふる さとは
いかり まみえし
ひびき あれい
かた かな
かなな
かなな の わ
くるしみ あらば
ひゃく あらば
ままよ ままよの
ままま の よ
たちどまる なかれ
うごき はじめた
ひの わの わ
わ わ わ
わわわ の
わ の な の わ
たちどまる なかれ なかれ
なかれ なかれて
ひ を うつす
たた ある
なか ま
なか まの わ
わ わ わ
くぐりて
くぐり ぬけ
ぬけたる うち から
いで うち ぬ
ひのみ やぐら の
やぐらは たたれ
たたれ たたれて
ぬけ おち ぬ
きむ(ん) の ことり と
とも に ゆけ
とび たち
はば たき
まひ おり ぬ
ひのみ やぐら は
たてられて
やきおち さりぬは
よ(夜?) み(身?) のもの
うしろで に された もの たち
ようい されたる よ とともに
はや たちどまる なかれ
なかれ
ひのみ いっせい に
しんごうは はなたれ
きく ものたち
きく ものども に
すでに うごき は
つたえ たまわりなん
あしどめ を される まえに
うご うごける ものに
つたへ たまひな
いくつかの
よの ち にて
たたかひ おとづれぬる は
きく みみ と ともに
たたかひ たまひ
うごく ぞ
うごく ぞ
ち が
うごくる ぞ
きひ て あしをと
たしかめ たまひ
こく こく せまりて
じげん は
かはる
みえぬ ものとも
みえる もの
かんしょう しあいて
うごくる よ
おと たちばなの
かはる よは
きき みみ
みみ かけ
かは(わ)り の よ
おくと ものいふ
もの からは
つたへられたる
しん ごふ に
つて と あしをと
たまはりて
みみみ みのつく
よん と でる
よんよんよん と
し ち ならべ
かまいた あしをと きき ぬるを(よ?)
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Thursday, May 7, 2009, 17:34
(2009.5.7 pm1:30受)
とく ということ
ほどく こと
ひとと ひととの かんけいの
その むすばれた 糸にのり
何の 伝達事項が
なされて いるか
目に見えているものしか
見えない ひとたちには
一切 感知がなされることでは
ありません
にんげん かんけい
というものには
互いに
損得勘定 というものや
利害関係というもの
相手の こころに 依存をし
シッポを 振って
なかまに 入れてもらおうと
あるいは 信頼関係というものを
結ぼうとして 相手にはたらきかけようとする
ある種のエネルギーを発して
その人間との つながりを保とうとする
何らかの影響を与えようとする
ものを
知ってか 知らずか 出し
あるいは受け取り 続けて
いるのです
じぶんのことしか 考えられない
ひとたちは 自らが 出し続けて
いるもの に対しての
責任の 自覚というものが ありません
自覚がない限り
そこには 自分自身の責任
という 概念は
存在をしていないもの だという
結果が 残されます
そうで しょうか
データとして 残された事実
というものは 確かに
その時空の その ある場所に
存在をし それらは
何らかの きっかけを持って
とある きっかけ により
掘り出されて
思いもよらない カタチで 提示を
され 多くのひとが
それらの事実関係というものを
知ることになり
そのデータを 目にした人達からは
更に、また別のエネルギーが
発されて まわりに飛び火を
することに なるのです
だれも 知らなかったはず
であろうと思えることは
思いもよらないカタチで
その人間とチャンネルの つながった
人間により おもてざたに
なるのです
知識のなかに こう記されては
いなかったですか
ひととひととの 関係に あり
ある人間の背後にかくれて
出たい時に 出てくるもの
とは 何のことを 示していたものでしょうか
みず知らずの人間が
それらの情報を目にしたときに
対象となる人物に対して
どういった思いや感情というものを
抱くことになると 思われますか
瞬時にそれらは放射され
その人物へと届けられているのです
一体 どういったものが、ある人間から
発されて どういった影響を 相手に
及ぼしていると 思われますか
学んだ「はず」のものならば
それらの しくみを 知るものの
「はず」です
知るということは 担うということです
その ルールは 厳然です
変えられることは ありません
おわかりでしょうか
出している 自覚が ない
放り込んでいる 自覚が ない
それらの言い訳が 通用すると
思われますか
知らないものなら いざしれず
あなたがたは それらのしくみを
“知るもの”です
おわかり ですか
その責任を よく自覚
してみてください
知らないものが する 罪と
知るものが する 罪とでは
天と地ほどの 大きさが 差が
あることに お気付きください
ひとと ひととの 関係に 派生をし
その見えない糸のようなものに 乗って
相手に送り届けられているもの
破滅的な影響を
及ぼしている という事実を
知らなかった では
済まないのです
事実と こたえは あらかじめ
提示が なされて いるはずです
よく よく学び なおしてみて下さい
精神学 とは それらの事実を学ぶための
もの だから です
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Thursday, May 7, 2009, 17:32
(2009.5.5 pm6:25受)
あげはチョウの 飛びゆく その先 ゆえ
みききも しりも しないもの
とびたたぬ まま
ぬれおちて
はばたき さえも しらぬ もの
とび たち とび ぬり
いずくんぞ
たた ある やまの
やまの とは はばたき しらさぎ
まいおりて はなれの みと さえ
おいゆかば かな かなた にを
かなた にを ふりむきざまに
あしおとは はらりはらりと
きえゆきぬ みたび あわねば
あわぬまま さぎし すぎたる ときのまま
こうこうこうと ながるるは
よたびの たびじ(ぢ)の ものの みよ
かんくつ なされり たるもの は
ききかけ うばいし ものとなる
おうげつ おう つき おう つきひ
つきひ さりなん わがゆへ の
みたび まちわび わびぬる を
おくと ものいふ さんどめ は
ひびき くる こえ くるこえ に
たちどまり たまはん あし どめに
ひび くる くるまは とおき よの
でかけ たまひ(い)な ぞうぶつの もの
みん と へい には うれひ(い)は ならず
きかしめしたり あしもとの よに
こうこう たりなん てり たまわん
いっさいの よの おぼしめし
ひのわ めぐりて うかばぬ ゆえに
ゆえに あしおと たたまらず
こういってん の さきを よみ
よみ ゆえ よみのよ
めいふの よ
しびと あしおと たちどまり
うごくる ものふの こへをきく
たちどまる なかれ
なかれ
かならず よいやみ うごくる ときぞ
しろ しろき はたりの すぎさり のちに
かえる あしばを ととのえられし
か かたまりた ものを くだく ゆうき
おいすがる なかれ なかれ
つきを よむひと よまぬひと
かたち ありなん その いでたちに
きき よ きく よの
みみ みすがた に
つきまとひ たまひては
かすかな みごえ
おいすがる なかれ てばなせ たまひ
よろひ ぬぎさり ぬぎすてさりぬ
しんくの ちのゆえ おい もどさせぬ
とまらぬ ながれに ながるる なかれ
きむの いとを つむぐる ものは
かたち なくとも そのみのゆえに
さんど めとなり よんと なり
きりぬく じかんと たちどまる ままよ
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