Thursday, February 26, 2009, 11:20
(2009.2.25 pm10:03受)
そなた
ちいとも
感謝を しておらんかった
じゃろう
文句ばっかり
言いおってからに
積さんに
感謝を するがよい
わしはちゃんと お役目をはたして
おるぞよ
あの ひと にとっての
この3年間は
お勉強 期間
おつらい おもいも
されたことじゃろうに
ただその過程をふまえて
おかないと
これからの ハタラキに
役には 立たん
じゃから そのための
おべんきょう期間
というワケじゃ
そなたにとっての
この年明けからの 動乱も
同じことじゃと 言えるのじゃ
荒波を 乗り越えて
かいくぐってきたものではないと
よそさまのために はたらくということは
出来ないから じゃ
うけたまわって頂戴した
ことばの 意味が
どれほどに 大切なことなのかを
そなたは おそらく もう
知らされているはずじゃ
つくり そだてて 保持する未来とは
どのようなもので あって
欲しいのかを、 かんがえなさい
そうしたならば おのずと
こたえは
でてくるはずじゃ
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Thursday, February 26, 2009, 11:18
(2009.2.25 pm2:05受)
物語宇宙 とは
あなたがたが 生きている
時間的経緯を 顕す
ある次元における
物質とともに 空間を有する
次元世界とでも 言うべき
個々の存在の有する 世界
という 存在の ことです
ひとりひとりの人間のなかで
つくり出された お話には
その つくり出したもの自身が
責任を持って遂行をしなくては
ならないものなのです
あなたがたが 見聞きをし
それに対する 反応を どのようなものとして、
おもてに あらわしたのか
それらの事実は そのものの
たましい という ひとつの場に
格納を され
時間の経過とともに
その人間のストーリーは
展開を なされて ゆきます
あなたがたに お伝えをし続けている
概念とでも いうべき
伝達事項は
見るものによっては、激しい拒絶反応をもたらし、
一種の たましいの
錯乱状態というものを 引き起こします。
その激しい拒否反応とでもいうべきものは
自らの犯してきた罪に対する
責任の追及が なされているということについて
潜在意識とでもいう 意識領域に
一種のパニック的反応が もたらされるためなのです
拒絶をし 相手を攻撃するのは
個々の自由なのですが
自らのした おこないや 心のエネルギーの
放射という行為については
必ず責任を取らされることになります
それらは全て、あなたのたましいの中に
一分(いちぶ)たりとも 違(たが)わずに
正確に記録が なされ続けているから
なのです
ひととして 正しく 生きるものという
きほん的な お話が
欠落をした状況で生きているものほど
他人をののしり、否定をします
そこまでして 自らの正当性とでもいうべきものの
主張を したがっているもの
とは
一体 何もの なのでしょうか
正しきもの とは
他人の負荷を軽減することが
できるもの のことです
自らの まき散らかした 闇のおもいのデータは
一体誰が処理を
し続けているのでしょうか
自らの物語宇宙に対する責任は
当然のことながら
その つくり出した当人が
背負わされます
ふるき神々の世界は
既に終わりを告げました
そのことを お知らせしているのが
最終知識という 書なのです
おのおのの人間が気付かぬうちに
もう 次のステージへの移行は
はじまっています
つぎの あたらしい世 のために
人として はたらきますか
はたらきませんか
センタク をし
ある到達点に向かって
自らのたましいを研磨して
前へ進みますか
進みませんか
それらの センタクが
ひとりひとりの人間という存在の
前に 提示がなされているという
話でしか ありません
もし それが まだ
残っているのなら
あなたのなかの たましいと呼ぶべき
存在に お尋ねになってみるのが
よいのかも しれません
上方に向かって 成長を したいと
願うのか
それとも 見たくはない事実に
目をそらし続けたまま
二度と戻ることのない場へと
去りたいのか
但し、
自らが上方である と
信じ込んでいる 目的地
というものが
その真逆である ということに
気が付いていないだけなのかも
しれません
どう思い込みをしていただいても
それは かまわないのですが
まこと 嘘 いつわり 無く
一方方向の時間軸の流れのなかで
刻一刻と、残存時間を減らし続けながら
改変(改編)しようのない記録として
正しく記録データとして残されていることに
気が付かれたほうが
よいのかも しれません
例の、じぶんは悪くはない
という言い訳を し続けていたいものほど、
これらの事実を受け入れようとは
しないのです
失敗をしたものたちの 未練がましい
思いのエネルギーにとらわれると
相手を攻撃し 自らの賛同者を
必死になって かき集めようと
周囲に はたらきかけます
そのはたらきかけに 対して
集まってくるもの達 とは
一体 なのものなのでしょうか
呼びかけに対して反応をするもの
とは、波長(調)が同調するものでしか
ないのです
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Wednesday, January 28, 2009, 15:57
(2009.1.28 pm2:53受)
へんげ へんげ
へんげを しなさいと
あれほどまでに
口を酸っぱくして
言い続けて いたにも かかわらず
自らの意志で 努力をすることもなく
現状のあり様だけに
文句を 言い続けるもの
成長の 意志の ないものは
属して いる いないに
かかわらず
ふり分けられる ことに
なります
かつての 宗教団体
というものは
そこに 属しているというだけで
恩赦(おんしゃ)をされると
伝え続けて きました
要するに
お金を払い続けて
所属をしている限り
赦されるのだという
言い分が 正当(統?)のものである
という 主張が
なされ続けて きたのです
その主張が 適応(適用?)される と
お考えのかたには
残念ながら
精神学協会に おいては、
あてはまらない
という事実を
お伝えしなければ
なりません
自らの状況に
不平や不満をつのらせながら
文句や 言い訳ばかりを
考える人間が
正しく はたらくものに
なれるのでしょうか
その不平や不満の
もと となるものが
自分は悪くはないと
言い続けているものの
正体 なのではないのですか
すくいや 赦しや 恩赦という
ことば は
ひととして どのような おこないを したのか、
その結果 もたらされるもので
ある ことばで あることに
何故 気付こうと しないのでしょうか
たにんのものまで 背負えないのなら
せめて じぶんの 闇ぐらいは
じぶんで 背負いなさい
自らの暗部の底までも
見る覚悟のないものが
どうやって 正しく はたらくものに
なれると 言えるのでしょうか
はたらき手を 必要としているのであって
自分が たすかりたい人間は
必要ないのです
どこかの何かが 何とかしてくれると
思い続けている限り
永遠に出口を見つけることなどは
出来ないとだけ
お伝えしておきます
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Monday, January 26, 2009, 13:04
(2009.1.26 am9:20受)
地球の古き 神々の子たち
よくよく あなたがたに
言っておく
目覚めたものを排他をし
妬み 呪わんとする
ものたち
それらの 意識的
無意識的に かかわらず
対象相手に向かって
放射を し続けるもの
あなたがた 自らが
その おこないに 気が付かない限り、
自らの闇に目を向けず
自分は悪くはないと 言い続けている限り、
生きている この世において
人の子としての目覚めの日が
来ることなどは ない
これほどまでに
時間はないと 言い続けているにも
かかわらず
あなたがたは 自らの意志において
行動を 起こす ということすら
しようとは しなかった
自らが 助かりたい にんげん
特殊能力を 身につけたいと
願い 求める にんげん
このちの この世の
未来のために 必要なものが
何であるのかを
知ろうとすら しないもの
たにんを 引きずり 降ろしてでも
手に入れたいもの とは
一体 何なのでしょうか
本来ならば ある目的のために
ひとは生き その生をまっとうする為に
生存をし 存在をしているはずであるべきものが
目的を自らのために
ねじ曲げ、歪曲をし、
自分自身の為に つかおうと するもの
妬み深く 他者を呪うもの
それが 自ら 自身であることに 気が付かない限り
あなたがたに 人の子としての
目覚めの日が 訪れることは ないのです
他人の あらには 気付いても
じぶんの あらには 気付かない
しつこいほどまでに
くり返し お伝え続けている
この ことばの 意味に
自ら自身が 気が付かない限り
あなたが立っている その立ち位置という
ものは 変わることは ないのです
従順なる 羊 とは
正しい意味で 使われているものでは
ないことぐらい 何故わからないのでしょう
考える 羊が 現れたときに
それを ねたみ 殺そうと するもの
それらの理由を 正当化させようと
するものが
あなた自身のなかに あることに
なぜ直視をしようとは
しないのでしょう
それが 見えても 見えないもの
という ことばで
言いあらわされて いるのです
それらの しくみは すべて
書のなかに 知識のなかに
記されている はずの もの
でしか ありません
ひかりに つながり
ひかりに みちびかれるもの
という みことばの 指し示す
ひかり とは
一体 何を あらわしているのかを
ご存知では ないのですか
それすらに 気が付くことが
できないので あらば
生きているうちに 目覚めるということは
難しいことなのかも しれません
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Friday, January 16, 2009, 17:51
(2009.1.16 am11:37受)
ちん(朕)の 身のゆへを
知りたる そなた
うごきようのない もののみ ゆへ
暫しの あひだの
おつきあひ 願ひ候(そうろう)
指南役を なされるものの
ものの うごかし方 というものほ
学び なさひ
それらの ものの はじまり より
よふひされた 仕組
とは
いくたびもの おせんされた
ひとの世における
ただしき せきにんの とりかた
自らのつくりだしたる ものへの
あと かたづけ と
ひかり の ルール
みづからの たましひの ゆくへすら
知らぬ まま
おもひ のこした 世に
とどまり
去ること さへも 出来ぬもの
ゆくへ 知れず
知らされざる ものたち
生きとし いのちのある
ものたちの存在のなかに
すみか ほ へ(得)て
みづからの おもひのこした
おもひ ほ
たっせい させんと
せしめし もの
もろはの やひば さへ
持ち得ぬ もの が
たち討ちなぞ できぬこと
ぐらひさへも 知らぬものたち
おもひ ほ 遂(と)げて
完遂ほ したく 述べるもの
とは そなたか もしくは
別物 か
その 境界 にすら
気付かぬ ままに
ひとは つかわれ
操作ほ される
その身に 括(くく)られた筈の
たましひの ありか
見 定めたもふたもの のみが
まっとふする この世の
はじまり より とり決めの
なされた めひ(命)に
より それぞれのものに
あたへられたる 物語(ものがたり)
うきよの ものと するものか
そのみ あるうち
まっとふ せしめしもの と
なるものか
気付き もとのもの ほ
取り戻したるもの と
なるのか はたまた
その 生の おはりまで
気付かづ 肉体の存在の
幕引きほ せざるほ 得なひ
もの と なるのかほ
知り けひやく ほ し
いっぽんの すぢ と なし
みづからの 役はりほ
成し遂げる もの と いふ
筋(すぢ)書き ほ
まっとふ する ものと
なるのか ほ
ゆがみ うわ塗りほ された
れきし なる じじつ とは
その 隠蔽を 目論むもの
に より
歪み 捻じ曲げられた
ものとして
その存在そのもの ほ
抹殺され 記録の
抹消というふものが
公然のごとく
すいこう(遂行・推敲)ほ
なされて いる
死して そのすべてが
完了(管領?)ほ する
というふ けひやくといふものは
存在ほ せず
その 責任の 所在と追求
と ともに
その けひやく こうやく ほ
履行すべき もの として
すべての にんげんは
今生(こんじょう)に
生を受けて 存在ほ
している
とりとめも なき じかんの
流れ のなかで
みづからの 命(めい)を
取り留める ものと
なるのか
はたまた
みづからの けってひ(決定)
により
ゆきばなき ものとして
さまよひつづけるのか ほ
えらび たまひ
とりきめ ほ おこなふが
よひ
つぎ が ある と
おもうふて いるものには
その 淡い 期待といふ
もの ほ 断念せざる ほ
得なひ ときが訪れることを
知らなければ ならないときが
必づや おとずれる
すべての ものごとが
物質でしか成り立たなひと
いふ 唯物主義といふ
存在は 崩壊への 道すぢ ほ
辿り
ひとは その みづからの
おこなひに 応ぢたものほ
得るといふ 取り決め
のもとに その 存在ほ
置く ことに なる
この ほしの 全ての生存に
対(たひ)する 唯一(ひと)つの ウケヒ
契約(けひやく)は 既に
このちに置かれ
その 唯(ゆひ)一の 約束ごと ほ
まもり 履行ほ する為に
生ほ 貫く ものと
廃棄ほ されるもの とに
分けられる
みづからの 足もと にしか
目ほ 向けられぬ もの に
このちに おける
みづからの 成すべき はたらき
と いふものに
気付く日が おとづれることは
なひ
それらの きはん となるべき
知は 既に このちに
置かれて いる
それを いかすも ころすも
自ら次第なのである
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