通信-08年12月6日 
Monday, December 8, 2008, 16:17
(2008.12.6 pm8:49)

とおとしの ときを まつ
まつのよは よいとともに
あともどり できはせぬ
みたままに みたままに
まに くくり くくり よの
よと ともに なす すべは
とをときの いくとせは
あいもすせじ
し とともに し とともに
し なるもの その おしへ
み とともに み とともに
まもの にて うけひのち
ち とともに ち とともに
うつせみの みの さだめ
けふ なりて あす なりて
いんのちに はえたるは
みのさだめ さしもせず
うごきたまへた その なりは
けうにして みのたまを
はしづきて かしきづき
うごくよとは ごくい(ひ)にて
あかとたま たまはりて
たまはりた そのつとめ
つるのまきつた からみゆく
もくとともに とつとせむ
おのこにて とくとせむは
あらたなりて つきとせむ
つきのよの さちとせむは
とおとなりて けむとせむよ
とときなりて うこきせむを
とつとなりて みのわかなるを
まつとせむ その まつとせむ
ききかひし しむとせむよ
とほとなりて うごきたまへ
みぎとなるは その てぢからに
みぎのもの つかまつり
きむとせむよ せむとせむよ
とくにうつる うつりなりて
あなとなるは せむとせむ
みみのみち みちからほ
ほふ(おう)とせむは あらたなりて
うつくしみの みやのみや
つどひたまふは かしこみて
けふのなりは うごきたまひ
たまきなるを きむとせむよ
とほとなりは なかとせむを
おろちたまひ きひがなくほ
ほ(お)もどりて ほ(お)もどりて
きみがなくは さりとせむよ
あらたなりて うこきせむほ
みみとなりて ててとなるは
きよきひびの きよのさだめ
うととせむし しみとなるは
おくととほの つよのさだめ
さだかなりて さだかなりて
うつきみよの みよのさだめ
けふとせねば いつのさだめ
あらたなるも あらたからな
まむのうごき うごきてつの
いきとせむは とほとなりに
あなのさだめ くつとなりき
くくとせむは つひのよごと
みみとなりは つねにつひの
ものとなりき けふとせむは
おごとたりて てりたるち
ちぎのまにに ひきのちぎに
とふとたるは あらそひのち
ちにてたりし たりしあがみ
よごとせむを せんのたるち
もうもくのたみ けしてならず
なりたるちは ひきしめたまひ
たまとうづら うちうちにて
おうとそのち まなびのたり
けしさること けしてならず
うひのまつよ まつよのみち
うちとうちの さだのちかひ
あらそひにて けしさるとほ(を)
とうとたるは さだめのみち
うきよのちに ついてまはる
まもりたまへ かくなるよを
きみがいでし いでしものほ(を)
まつのひにて かけひもせず
みかのつきの たらぬつきは
まちとなるを せしもせずに
とふとならず かひもならず
あふのひにて まちといかし
なりとなりは さだめのひの
うごきたまへ うごきたまへ
みちとみちは とほときひの
ならずものは さだめなりて
みよといつく いつくひのの
まは(わ)りのもの としにあらず
あひとゆふの つきのうきて
うきたそのち ちみ にありて
み みつくよの けむとせむ よ
ながれもせず うきたさだめ
まはりのよの そのめぐりは
けふ(う)にあらず けふ(う)にあらず
もん のときよ ひらかれしは
けふにみちて みちみちよの
あらたなるか いにしへより
いきたちのの ちよののみち
もふとけすじ(ぢ) ちぢよのみち
みちとなるほ けふにあらじ
うつす みにて みちとの よの
つなぐものほ おふた さだめ
さんざめくは きよと ちよの
つなぎのみち おうとたりは
そのみのなか かくもすせじ
しむとしむの そのみとたり
とまどひしも さだめなるは
みんとたみに しらせけりき
うつよのみち さだめたりし
さだめたりて あがとなるを
おひてたまひ いつのみちほ
おふてたまふ えいごのみち

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通信-08年11月27日 
Friday, November 28, 2008, 14:16
(2008.11.27 pm10:00受)

嗚呼 誰か
一刻も 早く
この苦悩と 苦悶から
あれ(吾、我?)を
解放しては
くれまいか

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通信-08年11月24日-3 
Monday, November 24, 2008, 16:09
(2008.11.24 pm1:58受)

にんげんの 意図する 人生
というものは
出来る限り 快適に
機嫌良く 満足をして その一生を
終える ということが
どうやら先決、ということらしい
要するに 出来る限り
トラブルを 避け
出来る限り 差し障りのない
平安な暮らしを 続けることが
出来るのかを、せっせと 画策
するもの らしい ということだ
まわりとの トラブルを 避け
充実し 満足のゆく 生活を 続けることが
何より 先決と いう ことらしい
ちいさな ちいさな
じぶんの宇宙
できる限りの 平穏と
できる限りの 幸せを
できる限りに 永らえさせて
できる限りに 安泰を
ひととして やるべき事とは
何ですか
自己満足と 自己完結で
それで エンドが 来るので しょうか
世の中の 仕組み というものを
変えてゆくためには
あなたが 世の中に はたらきかける
ということを、実際に 身体のあるうちに
行動を おこさなければ
意味が無い
誰かが やるだろう という意識を持つ
にんげんが 100人 いても
無意味です
池に石を 誰かが 投げねば
その波紋は 周りには
広がら ないのです
手足や 口や 脳は
一体 何の為に 与えられて いるのでしょう
にんげんの意識の変革のためには
何が必要とされていると
思われますか
自ら自身が 気付き
自ら自身が 意識の改革をしてゆく為に
一体 何が必要とされている
と 思われますか
行動を 起こすも 起こさないも
一人一人の意志に委ねられている
人間が 知るべき 事実 とは
一体 何だと 思われ ますか
それを知らせるのが
あなた方の 役割なのでは
ないのですか
動くものは 動きはじめ
動かぬものは 止まってる
おなじ 知識を 知るものも
こうして ふたつに 分かれゆく
何を言わんと せしめして
知識は 提示が されてるか
気付くものは 動き出し
気付かぬものは 静止する
滅びののちの その記憶
それらが ベースに あるのなら
同じ誤ち なさない為に
知るべき こととは 何なのか
助くるものは 己(おのれ)なり
変革するのも 己なり
行動するのも 己なり
それらは開示が なされていても
真の意図には気付けない
ひとは あらゆる 場所で
試される
選択と 意志決定と 行動は
常に ふるいにかけられて
そのつど 正しき判断を
自ら自身で選び取らなければならないという
境遇に 向き合わされる
ことになる
その選択の基準となるもの とは
一体 何なのか
それが問われることに なるからである


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通信-08年11月24日-2  
Monday, November 24, 2008, 16:09
(2008.11.24 am11:35受)

遠くのクニから やって来た
お客さま
みどりの ち
ち はえたまわむ
いろぐすり ぬり たまへ
いきちの ち
ちへいせん
にしの ちへいせん に
おつる 夕日
落日の その 静けさ や
静かんなる
ちの めぐり ひの めぐり
静かなる 足どり と
幕開け
あたらしき 日 かな ひ かな
訪れは おとずれは
静かなる 幕あけの 儀式
静かん(閑?)なる
世継ぎ と はじまり
着々 と 準備 の
ようい は なされ
とりとめも なき
いくたの 足音と ともに
まみへし まみへし
静か なる
幕開け と ともに
はじまる 世
転換点の しるし とは
予告が なされ
予定が なされて
用意が される
喜々として 危機として
ききとして ききとして
動き はじめた
大きな
歯車
西の空 の
落陽 に
近づき 知らせを
告げる もの
遠からず 近からず
足音 は 聞こえゆく
終わりなき さだめを
終わらせる ためだけに
ときを 知り
つかまつり たまふ
みち しるべ とは
幾多の み ち を
歩み 踏み越え
到達を したものが
あとから 来る ものの ために
しるし づける
もの
あとから 来る ものが
み ち に まよわぬよう
しるし づける もの
静かんなり
静かんなり
西の地平線に
落つる 落陽の
ごとし


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通信-08年11月24日-1  
Monday, November 24, 2008, 16:08
(2008.11.24 am10:20受)

留置場に
入りたければ
入るが よい
何をもって たましいを
檻の中へと 収牢し
閉ざしておきたい
ものなのか
閉ざして 閉じ込め
知らぬ フリ
みたまは
閉ざされ 檻の中
泥棒は 盗人は
ひとの たましい 持ち出して
収牢し 閉じ込めて
知らぬ フリ
知らぬ フリ
責任(せきにん)と いう コトバ
はなから 存在 していない
魂(たましい)を 引き抜いて
統治と 集積 したいから
仕組を 知らぬ
羊 たち
もぬけの 空(カラ)に
なってても
気付きは しない
気付かない
民(みん) と 民(たみ)
統治され 支配され
たましいは 檻の中
閉ざされた そのままで
死んでも 気付かぬ ものとなる
魂(たましい)を 他のものに
支配され
支配者の 意のもとに
依存を し 属すると
それで 我が身の 安パイ(案配?)は
はかれるものと 思うから
依存を し すり寄って
おこぼれ もらえば
それで よし
支配 被支配 されるもの
それらが 奴隷と いうもので
自分の たましい
見つからぬ
収牢者の 言い分は
気付かぬ お前が 悪いのだ
それらの 自己の 正当を
主張を続ける そのものが
かつての 共産主義 社会
目に見えて わかる かたちで
それらの崩壊は
あらわれる ことになる
ひもで くくられ 統治をされた
支配 被支配環境 が
一部の にんげんと
その他 多(大?)勢という
仕組を つくり上げたことに
その両者の にんげんが
気付かぬ限り
この世の仕組み は
変わりは しない
知り その せきにんを
自らが負う こと
それが 絶対のルールであり
基本である
知らない という 言い訳は
もう 通用は しない
知るものは 責任と 義務を
負い
自らが 何を すべきなのかを
知ることに なる
絶対の 意志 と ルール
というものは 生きとし生ける
全てのものに 適応される
もの だから である
たとえ その発動が
遅い時期に おとずれたもので
あったと しても
残りの 生ある 期間内
意志を まっとう するものとして
生きること
最後まで あきらめては
ならない
いつ どのような カタチで
どういった変化が 起こるのかは
わからない からだ
何らかの 大きな 転換が
もたらされる 日が 訪れる
可能性も
否定することは 出来ないからだ


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