通信-08年11月24日-3 
Monday, November 24, 2008, 16:09
(2008.11.24 pm1:58受)

にんげんの 意図する 人生
というものは
出来る限り 快適に
機嫌良く 満足をして その一生を
終える ということが
どうやら先決、ということらしい
要するに 出来る限り
トラブルを 避け
出来る限り 差し障りのない
平安な暮らしを 続けることが
出来るのかを、せっせと 画策
するもの らしい ということだ
まわりとの トラブルを 避け
充実し 満足のゆく 生活を 続けることが
何より 先決と いう ことらしい
ちいさな ちいさな
じぶんの宇宙
できる限りの 平穏と
できる限りの 幸せを
できる限りに 永らえさせて
できる限りに 安泰を
ひととして やるべき事とは
何ですか
自己満足と 自己完結で
それで エンドが 来るので しょうか
世の中の 仕組み というものを
変えてゆくためには
あなたが 世の中に はたらきかける
ということを、実際に 身体のあるうちに
行動を おこさなければ
意味が無い
誰かが やるだろう という意識を持つ
にんげんが 100人 いても
無意味です
池に石を 誰かが 投げねば
その波紋は 周りには
広がら ないのです
手足や 口や 脳は
一体 何の為に 与えられて いるのでしょう
にんげんの意識の変革のためには
何が必要とされていると
思われますか
自ら自身が 気付き
自ら自身が 意識の改革をしてゆく為に
一体 何が必要とされている
と 思われますか
行動を 起こすも 起こさないも
一人一人の意志に委ねられている
人間が 知るべき 事実 とは
一体 何だと 思われ ますか
それを知らせるのが
あなた方の 役割なのでは
ないのですか
動くものは 動きはじめ
動かぬものは 止まってる
おなじ 知識を 知るものも
こうして ふたつに 分かれゆく
何を言わんと せしめして
知識は 提示が されてるか
気付くものは 動き出し
気付かぬものは 静止する
滅びののちの その記憶
それらが ベースに あるのなら
同じ誤ち なさない為に
知るべき こととは 何なのか
助くるものは 己(おのれ)なり
変革するのも 己なり
行動するのも 己なり
それらは開示が なされていても
真の意図には気付けない
ひとは あらゆる 場所で
試される
選択と 意志決定と 行動は
常に ふるいにかけられて
そのつど 正しき判断を
自ら自身で選び取らなければならないという
境遇に 向き合わされる
ことになる
その選択の基準となるもの とは
一体 何なのか
それが問われることに なるからである


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通信-08年11月24日-2  
Monday, November 24, 2008, 16:09
(2008.11.24 am11:35受)

遠くのクニから やって来た
お客さま
みどりの ち
ち はえたまわむ
いろぐすり ぬり たまへ
いきちの ち
ちへいせん
にしの ちへいせん に
おつる 夕日
落日の その 静けさ や
静かんなる
ちの めぐり ひの めぐり
静かなる 足どり と
幕開け
あたらしき 日 かな ひ かな
訪れは おとずれは
静かなる 幕あけの 儀式
静かん(閑?)なる
世継ぎ と はじまり
着々 と 準備 の
ようい は なされ
とりとめも なき
いくたの 足音と ともに
まみへし まみへし
静か なる
幕開け と ともに
はじまる 世
転換点の しるし とは
予告が なされ
予定が なされて
用意が される
喜々として 危機として
ききとして ききとして
動き はじめた
大きな
歯車
西の空 の
落陽 に
近づき 知らせを
告げる もの
遠からず 近からず
足音 は 聞こえゆく
終わりなき さだめを
終わらせる ためだけに
ときを 知り
つかまつり たまふ
みち しるべ とは
幾多の み ち を
歩み 踏み越え
到達を したものが
あとから 来る ものの ために
しるし づける
もの
あとから 来る ものが
み ち に まよわぬよう
しるし づける もの
静かんなり
静かんなり
西の地平線に
落つる 落陽の
ごとし


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通信-08年11月24日-1  
Monday, November 24, 2008, 16:08
(2008.11.24 am10:20受)

留置場に
入りたければ
入るが よい
何をもって たましいを
檻の中へと 収牢し
閉ざしておきたい
ものなのか
閉ざして 閉じ込め
知らぬ フリ
みたまは
閉ざされ 檻の中
泥棒は 盗人は
ひとの たましい 持ち出して
収牢し 閉じ込めて
知らぬ フリ
知らぬ フリ
責任(せきにん)と いう コトバ
はなから 存在 していない
魂(たましい)を 引き抜いて
統治と 集積 したいから
仕組を 知らぬ
羊 たち
もぬけの 空(カラ)に
なってても
気付きは しない
気付かない
民(みん) と 民(たみ)
統治され 支配され
たましいは 檻の中
閉ざされた そのままで
死んでも 気付かぬ ものとなる
魂(たましい)を 他のものに
支配され
支配者の 意のもとに
依存を し 属すると
それで 我が身の 安パイ(案配?)は
はかれるものと 思うから
依存を し すり寄って
おこぼれ もらえば
それで よし
支配 被支配 されるもの
それらが 奴隷と いうもので
自分の たましい
見つからぬ
収牢者の 言い分は
気付かぬ お前が 悪いのだ
それらの 自己の 正当を
主張を続ける そのものが
かつての 共産主義 社会
目に見えて わかる かたちで
それらの崩壊は
あらわれる ことになる
ひもで くくられ 統治をされた
支配 被支配環境 が
一部の にんげんと
その他 多(大?)勢という
仕組を つくり上げたことに
その両者の にんげんが
気付かぬ限り
この世の仕組み は
変わりは しない
知り その せきにんを
自らが負う こと
それが 絶対のルールであり
基本である
知らない という 言い訳は
もう 通用は しない
知るものは 責任と 義務を
負い
自らが 何を すべきなのかを
知ることに なる
絶対の 意志 と ルール
というものは 生きとし生ける
全てのものに 適応される
もの だから である
たとえ その発動が
遅い時期に おとずれたもので
あったと しても
残りの 生ある 期間内
意志を まっとう するものとして
生きること
最後まで あきらめては
ならない
いつ どのような カタチで
どういった変化が 起こるのかは
わからない からだ
何らかの 大きな 転換が
もたらされる 日が 訪れる
可能性も
否定することは 出来ないからだ


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ひつく文書-08年11月23日-3 
Monday, November 24, 2008, 16:07
(2008.11.23 pm6:30受)

聞く耳を持たぬものには
とうてい 到達は
できんぞよ
何をもって
その生を
まっとう したいのかを
よく 自分自身で
考えることじゃ
すくなくとも
足を踏み外し
道を外した 魔術師に
ならぬことを
祈るのみ じゃ
一体 どんな 能力を求めて
入って きなさったのか
恐らく 自身では
見えては おらんじゃろうな
魔術師 魔術師
つかいたい チカラ とは
魔術 そのもの
だから じゃ
おおよそ かけ離れた
本来の 示唆 している 道とは
かけ離れた
なんぞの 特殊能力 を
求めて 入って
きなさった
有難 迷惑な ハナシ
じゃが
自身が それと
気付くまで
何も 見えては こんじゃろ な
宗教的な
その チカラ
手に入れて 一体
何を したいのか
じぶんの脳の 中心に
尋ねて みては
いかが かな
は虫類の その根っこ
しっぽというても
よいのじゃが
一体 何の 目的に
利用を しようと してるのか
聞くが よし
聞くが よし
求めるものが 何なのか
しっぽの 根っこに
聞くが よし
恥ずかしげもなく
のこのこ と
あらわれ来ては
のうのう と
なんぞの 能力開発を
してくれるとでも
思うたか
恥を知れ
恥を知れ
一体何の目的に
そんな チカラ を
使いたい
たにんに影響及ぼして
相手を 操る 能力を
手にする ことが
できる こと
それを 期待を してるなら
お役目 果たしに
縁は 無い。
怒りの 炎に 焼きつくされて
一から 出なおし
する ことじゃ
何を望んで 来たのか を
じぶんの 胸に
聞くが ヨシ
明るい未来は
来るのか のう
とても そうとは 思えんが
恐らく 今世じゃ
無理じゃろ な
目的 違(ちご)うた そのチカラ
残念ながら
さずからぬ
なぜなら そなたの
根幹に
やみのちからが
宿っとる
正しく ひととして はたらく
という 意味を
どうやら
はき違えて おるからじゃ
そなたが 喉から 手が出るほど
欲しくて たまらないものは
魔界の手先が 利用する
やみのチカラ と
言うておく
そなたの 心は つつ抜けで
丸見えだとも
言うて おく
しつこいようじゃが
言うておく
目的を はき違えた者には
一切 何の能力も
さずけられは せんじゃろう
自分の欲望達成し
何か そんなに 楽しいか
それが 魔界の チカラ じゃと
知らせは 済んで おるはずじゃ
身の程 知らずの 言うことは
誰の耳にも届かぬぞ
1(イチ)から、0(ゼロ)から、出直し じゃ
一体何を求めては
関与をしてきた ものなのか
開いた クチ(口)は
ふさがらぬ
あきれて モノも
言えんぞよ
とうてい 無駄な ことだとは
思うていたが
ここまでに
ひどいものとは
話に ならぬ
無駄じゃ 無駄 無駄
時間の 無駄じゃ
引き止められて
足止めを 食ろうている 暇
無いのじゃよ
じぶんの 足で 歩かぬものは
置いて ゆかれて
仕方ない
じぶん自身の 救世主
それは じぶんと 言うておる
学んで 歩く その あしは
そなたの あし と 言うておく
目を覚ますのが 遅すぎて
慌てて 騒いでみたとこで
誰も助けてくれんぞよ
じぶんの意志で 決定し
じぶんの 足 で 歩くこと
打診は してみて ヨイじゃろう
打診の もとは 考えよ
考えて 考えて 考え続けて
考えあぐねた 結果
相談するのは
よきことじゃ
何も考えないで
結果だけを 求めても
それには こたえようが無いことぐらい
当たり前のことだと
思わんか
方法論や 選択肢を
自らの アタマ で考えて
ピックアップも せん者に
返答の しようも無いことぐらい
何で理解を せんのじゃろ
はたらかざるもの
食うべからず と
教えてもろうた はずじゃがの
お手々を出して
ちょうだい と
言うても やれんことぐらい
どうして理解を せんじゃろか
進むものは 進んでも
進めんものは 置き去りに
自分の意志で 歩まぬものに
かける時間は
ないから じゃ
かつての 地球の 宗教と
違(ちご)うているのは
そこなのじゃ
正しき 意志を あらわして
はたらくものは
じぶん です
じぶんが はたらく
そのために
学んでいるのでは
ないのですか
上からの指示 指令に つき従って
言われる通りに動くのは
支配と統治を なされたままの
宗教という姿でしか
ないのです
一体 いつになったら
認識をして くれるのじゃろうな


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通信-08年11月23日-2 
Sunday, November 23, 2008, 16:19
(2008.11.23 pm2:51受)

さがしつづけた そのけっか
たどり着いたは
さいごの 扉
あおき みち は
しろき みち の
じゅんび と ようい
なり
その ようい なり
あしがかりと なるに
ふさわしい
そのじゅんびと
ようい なり
みちくさ くって いたものと
思うていては
なりません
じんせいに おいて
むだなもの など
何ひとつ 無いからです
じゅんび と ようい の
その意味を
知るときが
必ず おとずれます
それらは あとから
わかるもの
ひとりひとりの 意識下で
それらは 理解されるもの
地獄のような 苦しみ も
何かの 用意と
知るの です
じぶんは これを するために
それらの 道を
選んだ と
いつか 気が付く日が 来ます
それらは すべて
おべんきょう
もんだい解決するための
おべんきょう でしか
ないのです
あたえられた 宿題は
あなたが この世で
それらを学び
克服して 乗り越えてゆく
ための もの でしか
ありません
ただしく 自らの目的意識を もち
前を見すえて 対処をしてゆくことを
携えているならば
自らの 成すべき 役割というものは
かならず 見えて くるはず です
そこに 不安や恐れ というものは
ありますか
ありませんか
自分ばかりが 被害者で
自分は 悪くはないと
思い続けている限り
目の前に見えているはずの
正しき 道 というものは
見えません
どこへ向かって歩けばよいのかさえ
わからなくなります
怒りや憤慨を したままで
正しき 解決法は
見つかりますか
見つかりませんか
即座に こたえを 出さないで
冷静に 事態を客観的に
見る習慣をつけないと
いつまでたっても
思いや感情論で 自己判断を
下すものとして
存在することになる
そこには 自らの 正当性を
主張する
ひとりよがりな ひとりの人間
という こたえしか
出てきません
そのために
自分の小さな世界から 出て
離れた上方から
物事を見つめ直す必要が
あるのです
どうすることが ひととしての
正しき 解決法なのか
上に昇って 考えなさい
自らの 意識の上層で
考えなさい
というのは
そういう ことです
そこでは 自らの 私利 私欲
といったものは
みじんも 存在していない筈です


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