通信-08年10月9日 
Thursday, October 9, 2008, 18:20
(2008.10.9 pm5:53受)

わななきて
おののく
その すがたかたち
そのものが
とらわれの み と
ならぬよう
しっかりと ハンドルを
握る手を ゆるめる
ことの なきよう
その いみ
ないように いしきを むけて
その 解析を しようと
している 限り
それが とらわれの 身、
ということに なっていることに
気が付かないと
本末転倒
する べき しごと
とは 社会のなかで
ひととして 仕事を 持ち
はたらく ということ
受け取ったものを 出力し
データ として 処理をする
その すべを 学んで おかないと
ただの つかわれるもの
としての 人生を
歩む ことになる
とらわれていては
いけない
その伝達回路 というものが
つながり、 受信が できるように
なった だけの こと
届いたものは データとして
排出をされれば
ある程度の エネルギー というものは
減少する
その残存物が
あるようならば
浄化をし 処理をすれば
済むだけの はなし です
ひとの あたらしい カタチ
の あり方 という 姿を、
みずからが 体現して
生きるよう プログラムが
なされていた
というだけの 話です
おわかり いただけましたか、な

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ひつく文書-08年10月8日 
Wednesday, October 8, 2008, 15:46
(2008.10.8 pm1:33受)

いきがみさんより
ごでんたつ
おおきな わっかの
そのなかに
はいりて ぐるりと
まわすもの
きうちの そのちを
すくう ため
おもどり なさった
いうことじゃ
どっちにしたって
やくわりを おわされ
うまれ ついたもの
ようやく なんぞの
はたらきを
する とき きたと
いうことじゃ
とうとい もの とは
なんじゃろか
それを しょわされ
はたらいて
なんぼの タネ が
まける かの

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ひつく文書-08年10月4日 
Tuesday, October 7, 2008, 11:55
※精神学協会「命の書」に登録された
 ある人物の死に際して届けられた
 ひつく文書

(2008.10.4 pm5:05受)

たすけて もろうた ひとたちに
なんぞの かえしが したいなら
そのひとのため いのること
ひとは みかけに よらぬもの
みとめられたと おもうていたら
おおきな まちがい
ふむ ことになる
きこえて おるか おらんかの
みとめて もろうた そのさきに
まっているのが なになのか
だれも よそくは せんじゃろが
みみの あなを かっぽじって
よく きくことじゃ
せんせいに おしえてもろうた
ないようは じっせんなくば
いみはない
きく みみを たてること
すがた かたちに まどはされていては
ならない
つくりだしたもののように
おもえるときも ある
いしきのなかの なにものか が
ことばを はっして いるのでは
と いう おもいが
こうさく し なにものが
かんよを しつづけているのか と
いう ことじたいに とらわれる
いかなる もの が
その じょうほう でんたつを
しているのか
はっする ことばのなかに
それらは あらわされる ことになる
みみの あるものは ききなさい
いくつかの だんかいを へて
もたらされる その じょうほうに
含まれる いみ と いと
もうじき おおきな うねりが
やってきて
しかと めを ひんむいて
まえを みつづけていないと
あっというまに
あしもとを すくわれて
なみにさらわれてゆく ことになる
その なみ というものが
どういった たぐいのものなのか
を よく かんがえること
ひき しおの きょうだいな
エネルギーに のまれ まきこまれないよう
みずからの あしで
しっかりと たつことが できなければ
いきつく まもなく さらわれて
うみの もくずと なりぬるものに
ふんばる あし とは
だれのもの でも なく
みずからの あし
しゅじんが もんばんや めしつかいたちに
しごとをあたえ やくわりをあたえもたせる
ことの いみを はあく しておかないと
みずからの する べきことが
みずからが わからない という
もくてきふざいの じんせいを
おくりつづける ことになる
それが つぎの(次、継ぎ)よのために
なることなのか どうなのか
だれかの なにかの やくにたつ
はたらきなのか 否なのか
それらを ちゅうしんのじくに もち
つづけないと よこからの あつりょくを
うけたときに いともたやすく
たおれることに なる
はじめから なんども なんども
おなじことの くりかえし
もっともらしきことだ
と、 なっとくをしながら
ひとは それを じっせんしようとはしない
なぜならば みずからが はたらくことで
そんを する という かんがえかたしか
できない にんげんが おおい から
ただしく ひととしての じんせいを
まっとうした たましいは
その すべてが しるされて いる
たにんのために はたらいて
いっしょうけんめい どりょくをした
にんげんは その あたえられた
たましいの しめいを
まっとう できた もの
じぶん いがいの だれも
そのじじつを しらなくとも
その たましいには そのじじつが
こくいん されて いる
あたえられた いのちを まっとうする
こと とは ほんらい あるべき
ただしい そのいのちの ありかたを
みずから じしんが どりょくし
そのからだを もって あらわすこと
それが 「いしを たいげんして 生きる」
ということ
しるされた じじつ のみが
あらわされ かいじ される
かくされたり まっしょうされる こともない
その じじつ を もとに
しんぱんを ききゅう しますか
しませんか
それが とわれている だけの
はなし である
さいごまで あきらめずに
どりょくを しつづけた そのけっか
もとめていた こたえを えられなかったと
しても そのけいい という じじつ
そのものが こくめいに きざまれて
いることを わすれては ならない

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ひつく文書-08年9月30日 
Wednesday, October 1, 2008, 11:54
(2008.9.30 pm10:00受)

ついに
はじまった ぞよ

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通信-08年9月18日 
Thursday, September 18, 2008, 15:42
(2008.9.18 pm0:44受)

よろづ(ず)のよ
みちみちて
まよいて きたりた
さんどめの
とおき よは
よはねの よ
いくたびの みちのりも
きえず まみへず
すべからく よういされ
こはいろは たしかなる
うごかせし
みのある ゆくへと
ともに いき
もくとせず
とつとせむ
きり かかる
その ゆくへほ
あらみ
きかしめし
うごかせし

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