通信-08年4月28日 
Monday, April 28, 2008, 13:26
(2008.4.28 pm0:01受)
 
何かに則って
それを鵜呑みにする限り
あなたの思考というものは
征服されたと
同じこと
教えを与える その見かえりに
何を 請求されているのかを
よく 自分の 頭で考えること
その思考回路が 構築
されない限り
あなたという人間は
いつまでたっても カゴの中の
トリ なのです
当然のことながら ご本人に
その自覚が ない限り
とらわれの身であることに
気が付くことが
できません
よいですか
何かの違和感のようなものを
水面下の意識がキャッチをして
いるから
その解決策というものを見付けるために
精神学というものを
学んでいるのでは ないのですか
聞こえのよい 耳障りのよい
ことばというものは
ひとを惹きつけます
そのことばや 教えのようなものを
遵守(順守?)している限り
自分自身が まっとうな人間で
いられると 思い込まされて
いるからです
その根拠 とは 一体
何なのでしょう
ひととしての正しいおこない
なのか 否なのかは
子どもの時に 教えられては
きませんでしたか
殺すな
偽証するな
盗むな と、
ひととしての当たり前のことを
教えられた記憶は
ありませんか
ひとは何故 こころの寄り処の
ようなものを求めるのでしょうか
それは 不確かな
自分自身というものに
自信が無いから
何かの ひものようなもの
あるいは 手すりのようなもの
もしくは 杖のようなものに
つかまっていたいと
思っているからでは、ないのですか
誰かの あるいは何かの教えに
とりすがっている限り
あなたのこころは それに
依存をしているのです
それが 無ければ
立ってはいられないと
思い込まされている からです
“聞く耳を持つ”ということの意味は
自分にとっての有難いことばに
耳を傾けるということではなく
判別し 分別する 自覚を持つ
耳を、持ちなさい
ということなのです
わかりますか、わかりませんか、
ひとは皆 この教えさえを
守っていれば救われる
ということばに
意識を向けようとする
自分が救われて、助かりたいからです
その思い込みをさせるチカラ、とは
一体、何なのでしょうか
それを、自らのアタマで、考えなさい、
と、言っているのです
多くの人間が そうやって支配を
されてきた歴史というものに
目を向けなければ
それを ひとりひとりのにんげんが
知り、解決をしてゆかなければ
どうなるのか、ということぐらい
想像が つきませんか
そうやって思考を停止したまま
生きているにんげんが
この世に、一体どれぐらい存在すると
思われるのか
九分九厘、と、一厘の数字の
あらわす意味が わかりませんか
成すべきハタラキ というものは
各々のにんげん それぞれに
取り決められている
時期も違えば 当然内容も違う
その正しき役割を果たすための
学びである、ということに
気付いてください
ひとのこころに働きかける恐怖心、
というものは
それがどのような効果を与えるかを
知っている人間によって、もたらされる
強迫や苦痛というものが与える
ダメージが その人間が持っている信仰
というものを手離させる常套手段で
あることを 知っているからです

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通信-08年4月6日 
Sunday, April 6, 2008, 20:33
(2008.4.6 pm2:17受)
 
いきいしの いきうつし
まもらずや はからずや
かりをとの つわぶくみ
をそれなし みづからに
かりをとの をとぶくみ
さだかなる あしをとに
きりたちぬ さしいでて
おとのねの ねのそこに
はいいでて まいられし
つわのみの さしちがふ
みなもとは いでたちぬ
ししとしの しのねのね(死?子・音?根?)
きくをとの そのは(波?)のね(音?)
みづからを たちをとし
しかるべき はたらきの
やくわりを さしちがひ
をとのねの いづるは(波?)を
みとどける すべもなく
いでし ことだま をとだまを
くくりつけ いとのをの
ゆるすまじきは
あらそいの
もとたるを くくりつけ
なりのはて みとどけぬ
おわらせる ためだけに
まわりも めぐりも よきせぬ
ものに
かんざしの いとのこを
さしちがえたる
ちのみごの
こぼれば(歯?)の
きれぬ はを
つかふる そのみの みのさだめ
さだめなり
うごけぬものと
うごくもの
きき かき ちがへた いとのはを
いかのよの おわらせる
ときを しる そのための
ようい なり


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通信-08年3月6日 
Thursday, March 6, 2008, 21:23
(2008.3.6 pm5:33受)
 
自分ばかりが損な役割を
負わされていると思っている間は
その役割から解放されることは
ないでしょう
何を望み、何の為に存在を
しているものが
自分という ものなのですか
それを すると 決め
エントリーをしたものは
自らの決めたように
行動を おこすのが
筋(スジ)なのでは ないのですか
見えても 見えず
聞こえても 聞こえていないもの
とは どのような
人間のことを指し示しているのでしょうか
あなたがたに お伝えしているのは
知識であって
方法 ではない
その 正しき 手段と方法
というものを 自らで 考え
おこないを するための
手引きで ある ということに
何故気付かないのでしょうか
物事には順序というものが
あります
時間が無い、とは お伝えしていますが
それは あなたがたにとっての
残されている 時間を意味する
ものであって
全てのものに 当てはまる という
わけでは ありません
うろうろと 廻り道をするのも
自由なのですが
結果としての責任を 負うのは
自分自身ということを
知っておいたほうが
よいのかも しれません
あなたがたに お伝え しているのは
ルールであって 手段では ない
何をもとに どう行動を
おこすのかは
自ら自身で 決めなければ
ならないからです
ものわかりのよいもの ほど
ワナに はまりやすい
わかって理解をしたつもりになって
行動をしているからです
自分自身が 見えぬものに
なってしまわないために
知識は置かれ
用意がされているもので
あることに 気が付かないと
最後の最後まで
正しき出口を認識することの
できないものとして
存在することに
なります
何かが おかしいのでは ないか
という 疑念を 抱くと、
その場に、とらわれることになります
うつし世 ということばの意味を
理解されているのでしょうか
現世であり、写し世でも
あるのです
あなた自身の 人間性と
そのたましいのプログラムによって
構築された
場なり 小宇宙というものが
現実に写し出されているに
すぎないのです
当然 用意されている 障害を
自らの意志で乗り越えようという
決意が なされていないものに
とっては、苦難で排他をしたい
ものでしか ありません
封殺し、抹殺をしてしまえば
どれほど 気分が良いだろう、
と考える
そして それが 現実になれば
よいのに、と 願うようになる
それが 人間の 魔的なちからを
行使することになるという
しくみに 何故
気付かないのでしょうか
ひとの 悪意や 悪魔というものは
ことばによって 伝播する
当然 思いによっても
移(うつ)るのです
自らが被害者意識を持ち
加害者であるものを
うらんでいる限り
その底なしのドロ沼から
はい出ることなどは出来ないと
お伝えするしか ないでしょう
次のステージへ向かうのですか
それとも あきらめて放棄を
したいのですか
それを 決めるのは
あなた自身でしか
ないのです
ご理解いただいている
はずの ことです


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ひつく文書-08年3月2日 
Monday, March 3, 2008, 20:46
(2008.3.2 pm2:20受)
 
あらしを しらする
ひつく文書

とんでもないことが
起きている ようじゃ
ほっかむり
されてても
見えては おらんと
思うている ようじゃな
くわだてている ものは
見られていることに
気付いては おらんようじゃな
言うことを聞いてもらえん
ようなら
さっさと退場するしか
ないようだと
思い込んで いるようじゃ
求めているものが
ちと 違うているようじゃから
はっきりとした線引きを
しておいたほうが
良いのかも しれんがの
筋道を 立てるには
基盤となるものが
必要不可欠なのだと
言い続けている意味が
理解されては おらんようじゃ
見定めて 矢を 射る 定点
とは、一体 何なのじゃろうなぁ
本のなかに
それらを理解し
考えるための思考性
というものの 必要性が
記されて いる はず
なのじゃが
何故 テキストを
読もうとは せんのじゃろか
必要なことは
全部 記されているはずの
こと なのに
何故 本を 読まんのじゃろか
つじつまを合わせるために
自分の人生が 存在しているの
では ないことぐらい
何故 わからんのじゃろうか
皆 それぞれが 苦労や苦難を
背負って生きている
当然 それに耐えられるだけの
もの しか 与えられては
いないはず
問題なのは それらの
苦難から 逃げようとしている
限り、それを乗り越えようという
意志を持つことが
出来ない、という点じゃ
見たくないものから目をそらし
箱の中に入れて封をしようと
している限り
いつまでも食べ終わることが
出来ない食事として
処理することが出来ない荷物を、
かかえ続けることになるという事実を
知ってもらわなければ ならんじゃろう
居心地のよい快適な人生を
望むものは 必要ない
と、伝え続けている意味が
伝わっていないのは
本人が それを 受け入れたくないと
拒否を し続けているから
じゃろう

『助くるものは
 おのれなり』

自分を助けてくれるものを
求めている間は
“ひととして はたらく”
という ことなどは
できんじゃろな
それは 本のなかに
書いて ある ぞよ


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通信-08年2月29日 
Friday, February 29, 2008, 16:02
(2008.2.29 pm1:39受)
 
くまがいの いとのさき
おつる みず
きしのそら
はいいろの みのさだめ
かくなりて
おとおとの しんのそら
みさだめて けう(ふ)にして
たちどまり あらそいの
いとのこを からまわり
さしもせず
うごきた じくをも
とめむ(ん)と せしめ
うろたえも さまわりも
なすも なさぬも
ハリ の い も
みずぎわの ひきぎわに
たちどまり うごかせし
とも の い と
うごき つかまつりては
さざなみ の
たちどまり あしあとの
みじんのかけらも
しのばせし
くもの いと はいいろの
あやの しらべを
なし ぬる を
み の ゆへ(え) を
ち の ゆへ に
あらそいを
しづ(沈?)めるも しづ(静?)めるも
あやのいと とは
かくなりて
おくの つ の
せの つ
にぎりた くかじは
はいの めり
いき しを(ほ)
し しを(ほ)
いく たびの
ひき とぎ し しほ の
まえの めり
うつりた さき をは
まいの めり


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