通信-08年1月31日 
Sunday, February 3, 2008, 14:44
(2008.1.31 pm5:05受)
 
はじまりのおわりとは
かくなるものに
なりぬるを
いとの切れた凧のごとき
さまよえるものと
なりぬるか
はた また
つくり たがやし
植え付けを なしては
みのりを えるものか
とっかかりの 戸口の 扉を
あけたまい
つぎの(次?継ぎ?)ステージへの
歩みを 意図するものに
なりぬるのかを
歩け あるけ
踏みしめる その 足跡は
だれか ではなく
あなたが つけるもの
だから である

(2008.1.31 pm5:05受)-2

つるぎの意図するもの
とは
たたかいを 続ける
意志で あり 意思では ない
問う道の あり方とは
己が探し続けるべき
ものであり
人から 授かる ものでは ない
自らの 足で あるき
自らの 意志で 探し続ける こと
いとの切れた
凧に ならぬよう
進むべき 道とは
自らが 見すえるもの だからです
誰かに 引っ張ってもらうという
考え方を やめない限り
自らの足で 歩いているとは
言えないのです
自らで考え 行動が出来ない限り
あなたがたは 解放される
ことは ないであろう
くびきを外し 自らが1歩
足を前へ出すことの意味が
わからない限り
あなたが今いる そのステージから
抜け出すことなど
できるとでも お思いなのか
ある(歩)かないものの 言い分は
決まっている
あなたが助けてくれるのではないのか

そうやって恩義を押し付けて
こころの安心を与えてやると
言い続けてきたものが何なのか
知っているはずのことである
ひとり ひとりの にんげんに
その たましいの レベルの差が
あったとしても
導いてくれるものに頼っている限り
存在するステージが 変わることは
無いであろう
自らが目指すものとは 何なのか
そのために はたらくのは
あなた自身だということに
何故 気付かない
目を覚ますという意味が
わからないのではなく
自らが努力をすることを拒否しているという現実を
見たくはないだけではないのか
考えるために 浄化と上昇が
あるのです
どの選択が的確なのかを考え
現実に動くのは
あなた自身なのです
自らを導いてくれるものに頼っている限り
「それが羊である」
という現実の中に自らが存在しているという事実を
お伝えしなければ
ならないのでしょう
時間が限られている という現実は
全てのものに いえる事実であり
特例というものは
存在しません
一足飛び というルールを
期待するのであれば
あなた自身が それ相応の努力と
はたらきを するしか
選択肢は ありません
指をくわえて 待っていて
何かが 連れて行ってくれるのだと
思っているのなら
その考え方を捨てない限り
あなた自身の存在するステージというものは
変わることなど
あり得ない でしょう
自らの意志で自らが変わろうとしない者は
“目覚めない者”
なのです
既に お伝え済みの
ことでしか ありません

  |  このエントリーのURL  |   ( 2.9 / 1733 )
通信-08年1月27日 
Monday, January 28, 2008, 11:32
(2008.1.27 pm6:42受)
 
ヒムカヒノ ハヤト
ウツヰノ ミコトト
ナリヌル ハ
クトウト ウツシノ
ミムカイ ニ
ウツル ツルシタ
マツリノ ウツワ(器?打つ輪?)
トドコオリ ナシ
サシ チガイタル
モノニハ
ツルス マツリノ
イミ ハ ナイ
ウコキタ タマハル
マツリノ イミホ
チガヒタ モノフハ
トリチガヒ
チミ ト モウリョフ
ウゴメク マナカ
イト ノ ツルスル
サシ チガヒ
チチト ハハ ノ
テイキョウ スル ソノ マナビノ
バノ イミホ シレ
マガイタ イミ ニ トラヘ
ツゴウノヨキ ジンセイノ
ソウサク ヲ ノゾムモノ
セキニン ホ(ヲ) オウコトノ
イミ サヘモ シルヨシ ナド
ナヒ
ミヅカラノ オンケイ ヲ
モタラスモノニ トリスガリ
ミヅカラノ アシデ アルキ
マエニ イッポ フミダス コトノ
ドリョク サヘモ
ツチカウコトスラ シナイモノ
オキニ ウカブ オオキナ フネニ
タヨリ テイキョウサレタ
マナビノ イミサヘモ シルヨシ
ナドハ ナヒ
ハヂヲ シレ
ヒツヨフ(ウ)ナノハ
ハタラク モノテ(デ)
ミヅカラ ガ タスカリタイ
モノデハ ナヒ
タニンノ タメニ
ジブンヲ ギセイニ デキルモノ
タダシイ ギノ タメニ
ユウキ ヲ モツコトノ デキル モノ
カンチガヒ ナサレルノモ
カツテ ダガ
アナタノ ココロノ ウゴキ サヘモガ
キロク サレテ イルコトニ
キヅクガ ヨヒ(イ)

  |  このエントリーのURL  |   ( 2.9 / 1389 )
通信-08年1月20日 
Monday, January 21, 2008, 16:36
(2008.1.20 pm5:57受)
 
アヲキ キヨ
モノフ ノ ヨ
イカ ツチ
フリ オロス
サタメ ナリ
ウキ ヨ
ウキ ヨノ
イカ ツチ
オロシ
ウバイタ
モノ カラ
カイ シウ
サタメ
オワリ ナキ
ヨノ
オワリ
サタメ
ウヰ(イ?)
タメ
オハラス
ハラヰ(イ)
イソキテ
フルマヰ(イ)
ナル
イクタマ
ナルホ
ミノユヘ
シラズハ
オノズノ
モノニ
ヘンゲ スル
スガタノ カタチ
ナルヲ
サタメタ モノ トハ
ナニ モノ ソ
ツクラレシ
マミヘタ
モノ トハ
ナコソ ナリ
スガタ ウツスハ
アナ ユルシマジキ
コト
ウコカヌ モノト
ウコク モノ
ハコノ ナカニ
アルモノ ハ
ソノヨフニ
ブンリホ
サレル モノ
ウチフノ
ソセヒノ
ハタラキ
ナリ
クラヤミト ナリ
タダヨフ モノ
ミヅカラガ
ウコキハタラキ
ツクル モノ
アイ ハンスル
チカラニ
オシモトサレナカラ
ツクリ
ヂカン トトモニ
セイチョウホ
トゲル モノ
ソノ ハタラキ ホ
シメスル モノ カ
ウチフ ノ スカタ
テ アリ
ソノ カケラホ
タツサヘル
ヒ ト
テ アル

(2008.1.20 pm6:22受)
 
タタカヒ ホ(ヲ?)
オヘルマテ
カヰホウヲ
サレルコトハ
ナヒ
ミヅカラ ガ
タタカフ モノ ト
ナル ノカ
アルヒハ
ニケル モノ ト
ナル ノカホ
キメナケレハ
ナラナヒ
キメル ノハ
ソノ チフシンニ
アル ハツノ
モノ
ソレカ ミヘヌ モノ
トハ
ミツカラカ
ミツカラ テ キメ
テハナシタ モノ
ミツケル コトノ
テキヌ モノ ハ
イツ トコテ
テハナシタノ カホ
ミツカラ カ
シリ ヘル シカ
ミチ ハ ナヒ
ウコケヌ モノハ
オヒテ ユク
ヂ(ジ?)カンノ
ユフヨ ハ
ノコサレテハ
イナヒ
クルモノハ
コハマス
サルモノハ
オハナヒ
トハレテ イルノハ
ソノ イシ
ノミ タカラ
テ アル
イクタヒノ
ヨヲ コヘテ
ヨウヰ カ
ナサレテ キタ
コンヨノ
オハリ
ウコク ノカ
ハタラク ノカ
シルシノ
アルハツノ
モノテ アルナラハ
トフ ヒツヨウ ナト
ナヒ ハツ
テ アル


  |  このエントリーのURL  |   ( 2.9 / 1318 )
通信-08年1月14日 
Thursday, January 17, 2008, 13:21
(2008.1.14 pm0:42受)
 
マガタマノタマ
アメ アラレ
アラレフルラシ トヤマナリ
イキ シホ ノ
シ ホ
ウツシタマヘル
ワク ムスヒ
ウキヨニサリヌ
ヘンレイ ノ ギ
トホカミ エミ(ヒ?)タメ

  |  このエントリーのURL  |   ( 3 / 1769 )
通信-08年1月11日 
Friday, January 11, 2008, 14:52
(2008.1.11 am11:45受)
 
自らの怒りを制御できぬものは
自らの怒りにより
ほろぼされるであろう
冷静であり続けなければ
ならない理由とは
何ですか
売られたケンカを買うにしろ
買い方、というものが
あるはずです
相手と おなじレベルで
たたかっては
いませんか
相手は自分の土壌に
引き込み 自分のたたかい
やすい状況において
有利な条件で
ものごとを押し進めようとする
その状況を 外から見なさい
と、いっているのです
投げつけたボールは
そのちからと均衡して
おなじちからで かえってくる
もしくは その人間の おもいが
乗って 重たい状態で
かえってくる
そのキャッチボールを続けることで
全体構造が 見えなくなっては
いませんか
じぶんが疲弊し、あいても疲弊する
悪循環とは そうやって
生み出される ものです
はやく 気付けば
事態は深刻にはならずに
済むでしょう
ケンカをし 叩きつぶすという
手段は 何を叩くのかが
問われます
その人間存在そのものを
抹殺したくなる衝動に
ひとは みな かられます
よく 見てください
見間違えては なりません
ならば改善をせざるを得ない
あるいは しなければ解決が
できない部分が何であるのかを
的確に判断をし、どのような
対処方法が ひととして
正しい選択なのかを
問うのです
一部分の しみのようなものが
気になりだすと
その しみばかりが気になります
全体を見なさい
全体を見るのです
もしかすると 気付かなかった
別のところに 違うしみが
あるのかも しれない
クモの巣の ある部分で とらわれ
身動きのできないものは
巣の全体構造を
見ることが できない
その理屈を 既に
理解している はずです
窮地に陥ると
問題点を 踏み潰して
しまいたい衝動に かられる
多くの人間が そうやって
他者の非を指摘して
自らの正当性を主張しては
平気で 生け贄を差し出して
いることに 気付かない
いつになったら気付くのか
いつになったら
正しき人間の方向性
というものに 気が 付くのか
この時代というものを
終らせるために
あなたがたは 存在しているのでは
ないのですか
いつになったら あなたがたは
目を覚ますのでしょう
子宮のなかで目を閉じたまま
じっとしていたいのであれば
するがよい
自らが ひととしての進化の方向性
というものを 放棄したものに
未来というものは存在しない
ということを
お伝えしなければならない
時期が来ているのかもしれません
あなたの内なるものの
あり方が問われていることに
そろそろ気付いてもよいころです
時間は あるものだとの
錯覚を されているようですが
残念ながら 今の世が
最後のチャンスであることを
お伝えしなければ ならない
時間は 可能な限り 最低限しか
残されては いないのです
くり返しますが 時間はありません
それを自らの内なるものに
問うてみて ください

  |  このエントリーのURL  |   ( 3 / 1912 )

戻る 進む