Thursday, June 21, 2007, 17:13
(2007.6.17 pm3:15受)
聞いたはなしによると
能力のないものが
立ち入ると、影響を受け
その存在のかたちを乗っ取られて
しまうとか
安易な気持ちで興味を持ったばかりに
色々と余計な土産物をくっつけて
帰ってくることに
なります
処理する能力のないものが
安易にその場を訪れ興味を持つと
必ず その場に存在する
データを引き受け 負わされることに
なります。普通に生活をしている
ひとたちは そういったつながりを
持ちたいが為に、神社仏閣という
所に足を運びます
恩恵を授けて欲しいから です
自らに関係のないデータや
エネルギーまで
かき集めて背負い込み
そのあと、どうするつもり
なのでしょう
皆、自分にとっての都合のよい
ご利益というものを求めている
ようなのですが 残念ながら、
かつて存在をしていたデータというものは
はたすことの出来なかった“責任”という
ものが大半を占めた
巨大な負のデータでしか ありません
あなたが それを背負い、日常生活を
しながら、責任を果たしてゆけますか
興味を持ち、かかわる ということは
そういう結果を もたらします
多くのひと達が エネルギースポット
などとして紹介されている地場へと
足を運びます。自らが何らかの
エネルギーのようなものを感知し
得てみたいと思っているからです
そういった場に、一体何が腰をおろして
へばり着くように存在しているのか
わかりませんか
千とも、万ともいえる人間の
自分個人の思いや願いが
こびりついて集合し、巨大な
かたまりとなって いるだけです
ひとの思いや願い、というものは
たとえ、そこが本来の風土における
聖地であったとしても、
そこを汚染し けがれたものにすることが
たやすいぐらい、強力なエネルギーを
生み出す ものなのです
皆、有難がってその地を訪れ
更に自らの思いや願望を
植え付けて 帰ってゆくのです
そのしくみを 社の宮司というものは
知らずに、自らが、その大いなる
エネルギーを、保持し、管理しているもの、
との勘違いをしている。それだけなら
まだしも、その場を訪れる人達の
上位における位置に、自らが、いるもの、という、
甚だしいほどの錯覚を
たずさえているものが 多いのです
ひとの思いの寄り集まりに
汚染をされて、本来、聖なる
場であるとされてきた区域は
黒い、ひとの闇に覆われている
というのが事実です
ひとりひとりが その場に出かけるのは
自由ですが、そのしくみを理解して
いないと 何千、何万もの人間が、
弓矢のごとく突き刺し、植え付けてきた
思いや願いの黒いエネルギーの影響を
受けることになります
聖地である、あるいは神聖な場である
という紹介のされ方をされただけで
多くの人間が、その地を訪れる
何を求めて、その地へ行くのか
わかっていない者というのは
更に、より大きなものを求めて
足を運ぶことになる
そうやって人間社会における、
自分自身のはたらきや役割という
ものから はるか離れた 自分だけの
理想郷というものを求めて、
足を踏み外してゆくものが、
ほとんどであるということに
自分自身は気付かない、という
状況をもたらすことに、なる
ゴミ拾いをしに行き、わざわざ
自分で背負い込みたいのであれば
自分自身の責任の範囲内で行うのも
自由なのですが
かき集めてきて処理できないものが
結果、どこへ行くのかを
いちど、考えてみてください、
自らが焼却炉と、なりなさい
と言っているのであって、ゴミ集積車に
なっていては、いけません
おわかりですか
その責任を知ろうとしないものが
神社仏閣や、パワースポットなどと
言われている場所へ
行きたがる、というのが
事実とだけ言っておきます
興味を持ったら、つながる、とは
そういうことです
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Wednesday, June 13, 2007, 09:17
(2006.8.8 am1受)
「たたかう」ということ
意識を支配し、占領するものに対して、たたかう、ということ。
暗く希望の無い淵に、投げ込まれた、と思い込んでいるもの、
乗っ取られ、支配されてはいけません。
その永遠に続くようにも思われる暗黒の闇を、
断ち切れるのは、自分自身、ということを忘れないでいて下さい。
そのものに占領され、使われていてはいけません。
徹底的に焼き尽くしなさい。総攻撃をかけてきます。
戦い、焼き捨てる意志のないものは、乗っ取られます。
自分がたたかい(闘い?)(戦い?)、自分で焼き捨てること。
誰かに何かの助けを求めても意味がありません。
そのための剣(つるぎ)です。
どちらの道を選ぶのも、自由です。
正しき意識を持ち得るものには、そのちからが、与えられます。
苦難の中で闘っているのは、あなたひとりではありません。
圧倒的に不利な状態で、戦わざるを得ない状況に
向き合わされることになるかもしれません。
あきらめることは簡単です。
それで自分自身を納得させることが出来るからです。
ルールを、もう一度、思い出して下さい。
変革を起こそうとするものには、膨大な圧力がかかります。
「つぶしてしまえ」という指令のようなものが、
いっせいに公布されます。
あらゆる方法で、それらは現実のカタチとなり、あらわれます。
びくびく恐れる必要はありません、
そのものに対して、横柄に威嚇するなど、もってのほかです。
ただ、それらを冷静に分析してみなさい。
感情というものが、噴火前の火山のように、
すさまじいエネルギーで、つき動かされるかもしれません。
が、そこに左右されてはいけません。
揺らいでは、ならないのです。
攻撃的なことばや、態度によって、
それらは挑発してくるでしょう。
しかし、そこで相手の出方に影響されて、
あなた自身が感情的になっては、
それはあなたの負けです。相手の思うツボです。
ですから、口車に乗らない、感情を動かさない、
常に冷静な判断力によって、観察し続ける、ということです。
感情をむき出しにして挑発してくるものに対して、
感情を返してしまったら、
相手のエネルギーは、さらに増します。
火に油を注いでも、問題が複雑化するだけです。
こころを動かさずに、闘う、ということは、
難しいことかもしれません。
それには、きっと幾度も失敗を重ねて、
学んでゆくものだというルールが適応されるからです。
失敗し、反省し、では次は同じ失敗をしないようにしよう、
というところから、次へのステップが用意されているからです。
何故だか、わかりませんが、ひとは、
失敗というものを恐れ、毛嫌いし、避けようとします。
自分ががっかりし、打ちのめされたくは、ないからです。
いつもいつも、そうやって、災難や艱難を避けようとして、
ひとは生きています。
自分の身に、何かが降りかかる前に、
その場から、避難することしか見えていません。
そのため、いざ、その状況に向き合わされた時に、
対処のしようがないのです。
頭の中がパニックになり非常事態宣言を発しだします。
不慣れな状況に立たされた場合、対処の方法を知らないがために、
一時的に、論理思考回路というものが、通信不能になります。
平常時に、冷静に考えれば、わかるようなことがらが、
全く見えない、という状況に陥ります。
適切で、かつダイレクトでストレートに相手に伝え得るはずの解答が打ち消され、
自己防衛のための不平不満といったものが口をついて出てくるようになります。
せっぱつまった状態で口から出てくる言葉は、
相手に対しては不平や不満というふうにしか受け取られていません。
言い訳や、文句のようにしか、聞こえないからです。
感情というものに影響されると、こういった結果が必ず待っています。
よいですか、他者に向かって口汚い言葉などで、ののしるおこないをしているものは、
自分がそういった行為をしている、ということを自覚していません。
ですから、そのおこないが相手に対して、
どういった影響を及ぼしているのかということなど、
はじめから頭の中に無いのです。
されるがままに、される必要などありません。
かえって、あなたの被害者意識が増えるだけです。
そこで、いじいじと落ち込んでいても何の解決にもなりません。
正しい方法で、たたかいなさい。
はっきりと、ことばに出して伝えないと、相手には届きません。
ただ、そこで、あなたの感情論を持ち出しても
何の意味も無いということを忘れないで下さい。
物事は理屈です。
“何がどうであるから、こうなのだ”ということを、
理路整然と相手に伝えることが出来なければ、相手は納得しません。
そのために、解答を導き出すために、
分析をしなさい、と言っているのです。
何が問題なのか、どの部分において、不具合があるのか、ということを、
見て、考え、探し続けなさいということです。
問題点を見つけ、把握し、解決方法が何なのかを考え続ける、ということ。
冷静に、判断をし、どういった対処方法が適切なのかを、
常に考え続けるということ。
そこには人間個人の感情論など関与させては、ならないのです。
自分の意識の下層にいると、同様のレベルのものが、
つながりを持とうとします。同時に、ひっぱり込もうとします。
人間同士の波動というものは、こうやって共鳴し合います。
自分が上、相手が下、という選別意識を持つなど、もってのほかです。
勘違いをしてはなりません。自分の意識が落ちていた時に、
相手も、たまたまそのレベルにいた、というだけのことです。
ひとりひとりの人間それぞれに上層、下層というものが存在します。
落ちている、と感じたら、すこしでも平常な意識に戻れるよう、
上を向いて、努力をしなさい。
人間意識の進化の方向性、とは、何なのかを、
ひとりひとりが考えればよいだけのことです。
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Saturday, June 9, 2007, 16:27
どうやら何かの勘違い
みんな大きな勘違い
それは、ひとりひとりが思い描いている理想的な至福の場、
といえるような場所に到達出来るもの、という思い込み。
それは個々が勝手につくり上げた理想郷のような場所。
そのある種の神秘体験とでもいえるような経験をすることが出来る場だと、
勝手に思い込んでいる模様。それを求めて参加している者がいる。
当然のことながら、そのものたちは自己の内面部分に目を向けようとしていない。
自分が不愉快な気分に陥っている原因すら解析できない状態で、
その責任を何ものかのせいにしたいようである。
何故、その事柄について腹立たしい思いをするのかを考えてみるがよい。
こんな単純なことに、まだ気付いていないのか。
自らにとって苦境な状況に陥ると、
どこかの何ものかに助けを求めているのではないのか?
一体いつになったら理解出来るのか。
自分が変わればすむはずだ。
自分の考え、行いを変えゆくことさえ出来たなら、
その後の人生は全く違ったものになるはずである。
そんな単純な原理に何故気付かない。
あなたの人生は何の為にある。
おかしな神秘体験の経験に酔いしれるためにあるのか?
わたしが言っているのは、自分自身に向き合えということだけだ。
一体、あなたがたは何を求めているのだ。全くわかっていないのか、
冷静に自らの人生を振り返ってみるがよい。
いつも同じところでつまずいてはいないだろうか、
似たような状況下において、同様の選択をし、
もたらされた結果は、多少のバリエーションはあったとしても、
似かよったものだったはずである。
そこに、何か自分自身を納得させる為の理由をつくり、
その理由があったからうまくいかなかったのだと納得し、
満足したいだけなのである。
あなたの中にある阻害因子が、あなた自身を壊しているにすぎない。
なにものかのせいにしたいのは
自ら自身に目を向けたくはないからである。
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Tuesday, May 22, 2007, 12:46
(2006.11.8 pm1:25受)
らくらいのあと(落雷の後?)
いなず(づ?)ま
ひかりて
よをてらす
いなびかりの
ひらめきに
よのすみまでも
照り出され
ものかげの
隅々までも 照らされる
すがた かたちは
見えねども
存在の そのものは
あらわに される
そこには
黙認、という ことばは
存在しない
たちどころに
おもて 舞台へと
引き出され
その実体は
暴(あば)かれる
見えないところに あるもので
あらわに ならない ものは
ない
すべては 真理(しんり)によってのみ
さらし出される ことになる
おのおのの 判断基準という
ものに 差が 有ったとしても
たちどころに それらは
あぶり出されることになる
見えぬところに あるもので
あらわにされない ものは
なく、 全ての物理の
存在は 正しき 法のもとに
引き出される ことになる
カエサルのものは
カエサルのものに
正しき法によってのみ
人はさばかれ(裁かれ?)
分けられる
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Thursday, May 17, 2007, 22:40
(2005.12.22 早朝受)
みちたがはねど
すつるくの
イワヲモクダク
ミチシラス
サンカンスジクシ マミヘルハ
イハノ トリデノ
ヨモツ ミオヤノ
ヘキツノカガミ
クモリテ
ナミニアラハレン
ウタノマドヒテ ヨニシメシテモ
ヒトノ ココロハ
カヒノ クチ
トジテ カタクナ
ワレモチナラン
ヒトノ ミオヤノ
カミナキ ココロ
トジテ ハナサク コトモナシ
マツリノ アトノ シヅケサヤ
オトナク ヒビキモ ミヘヤラズ
キボウハ ミエネド イカニシテ
ミチヲ カヘユク
コトデキン
ミホヤノ ヤシロノ イシキノフタハ
ヒラケ ヒラケト
モフシテ オロニ
キヅカヌ モノノ アサハカサ
クノママ トヂラレ
シニユク ノミゾ
ヒトノ イキシ ノ イミホシリ
シラセド キヅカヌ カナシサヨ
ノコリノ ヂカンノ
イミホ シリ
イキヌク ミチスジ シリナガラ
トジコメ ラレシハ
タマシヒ ヨ
オノガ イノチノ ハカナサニ
ムキアヒ タハタン
イマ コノ トキヨ
ヨクニ マミレテ
メクラ ニナリテ
オノヅノ イク ベキ ミチシラズ
アサハカ ハカナキ
コトヨノフ
トキノ ナガレノ イミシラヅ
ウツタヘ モフスハ
ヲノガモノ
タマシヒ アリテノ イミシラズ
ナゼユヘ オノレト ムキアハン
あな かなしき コトヨノフ
イクベキ ミチヲモ アユメズニ
ナヒテ オルデハ アルマイカ
オノガ トザシタ タマシイハ
イシキニ デタヒト
ナヒテオル
シラズ ミヘヤズ イキタモノ
トザサレ シニユク モノナリテ
オノガ イキテル イミシラズ
あな かなしきや
さびしきことヨノフ
ヨクホ ステサル コトデキズ
ヨクニ マミレテ メモミヘズ
ヨクニ ノマレテ シニユクノミゾ
オノガ ヨクボフ ミタスタメ
イキテ イルトハ アサマシキ
ヂット カガミホ ミルガヨイ
ニゴリタ メホシテ オルデハ ナイカ
あな あさましき ことよのう
ナンノ タメニ カラダガアルノヂャ
ハタラク タメト モフシテオロフ
ワガノ ヨクブカ ミタスタメ
ハタラク イフノハ イミチガフ
カラダハ ナニタメ あるのざよ
オノレガ ココロニ トフテミヨ
ココロノ ナカホ ミラレテモ
ハヅカシナヒト モフスノカ
ココロニ テホアテ ミルガヨイ
ニゴリテ ヨドンデ
イルデハ ナヒカ
アラヘト モフシテ オロフガナ
メホ サマサネバ トヂタママ
シンデユクノモ ゴジユフニ
ハヤク キヅケト モフシテオロニ
オノレノ カミガ ナヒテイルゾヨ
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