ひつく文書-06年12月1日 
Sunday, April 22, 2007, 20:29
(2006.12.1 pm2:30受)

どうも困ったことになっておる
ようじゃの
何故 自分ばかりが不遇な目に
あわされなければ ならないのか
理由がわからなければ
ハラの虫が、おさまらんようじゃな
まわりに まいてしまっていると
うすうす気付きながらも
一度 着火して 内部で
燃えさかっている 炭火のように
すぐに消し止めることが
できない からじゃ
火を いこして
ますます 燃えさからせているのは
たにんのせい
という思い込みが いちど
なされてしまうと
冷や水を びしゃりと
かけられない限り
おさえることは できんじゃろな
きっかけや それだとじぶんが
気付くまで
おさまりようも ないじゃろな
ひとの あらには 気付いても
じぶんの あらには 気付かない
気付いた しりから なおしてゆけば
ひとは 変わって
ゆくのじゃが
いこした タネ火の 火の始末
じぶんで やるのが ルールじゃろ



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ひつく文書-06年7月12日 
Saturday, April 21, 2007, 15:44
(2006.7.12 pm9:40受)

適材適所の、その配置、
しぼんでしもたら、いかんのぞ。
乾いた大地のヒビの中、
時を待ってる 種(タネ)がある。
あらゆるかたちで横やりを
入れようとするものは存在する。
中心の揺らぐものを、かけらでも
持っていては、ならないのです。
確固たる意志、というものを
ちゃんと離さず握りしめていなさい。
あの書が、一体何のために
必要なのかを、考えなさい。
あなたがたは、まだ気付いていないのだ。
あの書が、どういった役割を
なされるものなのかを。
ひとつのところで、はじまったものは、
ある一定量を超えると、
全く離れた別の場所においてでも
同時に同じことが起こりうる。
はじめる前から、狭い範囲に区切って
物ごとを考えてはいけない。
その時点で、自分自身で制約を
かけてしまうことになりかねないからだ。
今日、これが出来なかったと、
うじうじ悩むより、明日は何を、どうしよう、
ということを考えるようにしなさい。
前を向いて生きてゆく、とは、
そういうことだ。


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夢話1-2006年1月4日 
Wednesday, April 18, 2007, 20:37
これから、時間的経過には沿っていないのですが、
(順不同ですのでご了承ください)
今まで受信した<ひつく文書>と、
実際に見た夢の話を掲載してゆきます。

夢話1は、2006年1月4日の早朝の夢です。


3,1,2,3(←※頭の中に届いた、具体的な数字のイメージ)
見渡す限りの平原地帯。地平線が遠くに見える。
周辺には、建物や車、人影などはまったく見あたらない。
その中のある一角に、ぽつんと何かの施設のような
2階建てぐらいの高さの建物がひとつ建っていて、
自分はその建物の中から、外の景色を見ている。
すると、左前方の遠くの地平線ほうから、
天まで届くほどの、細長く超巨大な白い竜巻のすじがいくつも現われて、
こちらに向かって近づいて来るのが目に入ってきた。
はるか遠くのほうに見えていた竜巻は、猛烈に勢いを増しながら、
かなり近距離にまで近づいている。
車や人が、まるでマッチ箱と蟻のように巻き上げられて、
粉々になっていっている。
今自分がいる場所は、孤立した基地のような所で、
(※あるいは隔離された基地?)
竜巻の騒ぎだけではなく、その隔離された基地自体が、
何かの「ウイルス」に汚染されているらしく、
自分以外に、成人の男性(皆、見知らぬ人)が数十人程度、
建物の中にいるのだが、皆パニック状態になって逃げまどっている。
誰もが我先に脱出しようとして、押し合いへし合いになり、半狂乱。
どの人も、会ったことも、見たこともない人ばかりなのだが、
その中にひとりだけ、見覚えのある顔の男性をみつけた。
その人も大慌てで逃げ出そうとしている。
その男性はホリエモンという名前で呼ばれている人だ。



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komyoshiは精神学協会godbrain.comとリンクすることを私が認めたサイトです。 
Tuesday, February 20, 2007, 19:18
このkomyoshiサイトで、知ることができると伝えているのは、
精神学協会のゴッドブレインというサイトにおいて、
<ヒツクノカミ>の言葉を受信されている人物です。
不思議なことですが、<ヒツクノカミ>という存在は、
カミでありながら、安倍晴明やら、白比丘尼やらという
中世の伝説的能力者と深いつながりを持っているようです。
<ヒツクノカミ>自身の解説によれば、<ヨセアツメ>という、ある意味での
その眷属集団があり、安倍晴明の使った「シキガミ」までを動員して、
このkomyoshiサイトに協力することになっています。
つまり、人間的な超能力で知るわけではなく、
カミまたは、その眷属の情報ネットワークで、
知られたことが伝えられることになるのです。
おわかりでしょうか。
これは、占いや霊能という人間的なものではありません。
ほとんど、中世的な人にあらざるものも含めたスピリチュアルな情報系を、
あなたは知ることになるのです。その証拠に、いくつかの通信が届いています。
ここに届いているやまと歌に、あなたが何を感じるかは自由ですが、
明確なパーソナリティを持った意識体が、参加していることは、明らかでしょう。
怪奇なこと、あるいは、「あやかし」は、非現実なものという常識は、
近現代のものです。それは、いま生きている人間の意識上では
圧殺されているように見えますが、
潜在意識といわれる領域には、いまも生きています。
それが人間の存在のあり方なのですから。
スピリチュアルというもののほんとうの姿を、
あなたも知ることになるのかもしれません。
               2007年2月20日 komyoshiへ 積哲夫のメッセージ


(2007.2.18 pm6:)
<通信その1>
けんとてん
たまとたま
アレキサンドリアの
ヘロドトス
アレキサンダー大王の
しんぱん
たすけてくださいと
呼びさます こえ
がんじがらめにされたまま
たすけを よぶ こえ

<通信その2>
ツッキンドラの
大魔神
時は満ちたり
かえされし
かんが くしつ たま
きしむ
みとら まわり ぐあ(が?)
たちならぶ
ヲコソ(をこそ)いで たまはん

<通信その3>
賜り たまひて
あすの みち
とらふ(う)るものなき
かんざしの
けふ(う) もののけの
みち あらば
ひきよせ たづなの
ゆるみを なおし
とう みちの ありかたを
えにしより

<通信その4>
こんよの さだめは
さしも がな
いりあんじゃやの(イリアンジャヤの?)
まちなみの
はう ざ の たもとに
もがきも せずに
わられし みたまの
とつても とつても
とりきれず

<通信その5>
とおき のきねの
きねづかに
まどは(わ)されたし
ふみちがひ(い)
おそれおおくも
こんじょうに(今生に?)
あらはれられしは
ゆくばくの たのみ
うけたまわらんとす

<通信その6>
ききいれ つかひ(い)の
ものたちに
よきし ことづて
たまは(わ)りて
こだね なくすも
うれい(憂い?)は なきて
ひよどり なくころ
おみまひに
あらた あらたな
あらたかな
ゆるやかな ながれを
めぐる ものは なき
かんなき みちを
あゆみし ものは
ほうしゃせんぶっしつの なかで
おせんを されて
いるのと おなじ



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ごあいさつ 
Monday, February 5, 2007, 10:59
わたしが「最終知識」という書に出会い、実際にこの世に存在するエネルギーを、知り、学ばなければならないという思いにかられ、精神学協会に入会の申込みをしたのは、2003年2月のことでした。

入会してから、毎月送られてくる会員プログラムの文書を読み進むうちに、目には見えないけれども、実在するそれらのエネルギーを、自分自身が他人に向けて、放射をし続けてきてしまっていたものであるということに気が付きました。

それとともに、他者から自分に向けて放射されたものを受けた時に、どのような意識状態になるのか、あるいは、肉体としての身体にどのような変化がもたらされるのか、ということも知ることになりました。「最終知識」の書の中に、「知るということは担うということです」という一節があり、それを実際に学ばせてもらうことになったのです。

わたしは、それまで、“目には見えないものなど、あるはずがない”と、判断し、その思い込みこそが正しいものである、と自分自身に言い聞かせ、納得しながら生きてきたものでした。

見えても見えず、聞こえても聞こえないもの、とは、わたし自身のことでした。

ひと通りの知識を学び終えた時点で、わたし自身の、事柄や他人に対する、ものの見方や考え方、判断のしかたというものが、かわりました。おそらく、はじめる前と今とでは、自分自身の意識の状態が変化したということなのだと思います。

現実の世界に存在し、相互に影響を与え続けているエネルギーについて、知りたいひとには、それを知ることが出来ます。学ぶことができます。誰にでも平等に機会は与えられ、生きて身体を持っている間に、そのチャンスがあります。

これから、更新は不定期ですが、日々の日記のようなかたちで、わたし自身がお伝えできることをご報告してまいります。


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