ご伝言-13年2月15日 
Thursday, February 21, 2013, 16:50
※ご伝言のようなものが届きました

(2013.2.15 pm10:48)

『依存をしてくる方ほど、
  試練が大きい。』
なぜならば、
“神様が何とかしてくださる”、
 という思い(おもい)を、
いつまでたっても捨て切ることが
出来ない人々だからである。
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※(結論)
“あなた方が、自らの意志のもとに、
 はたらけ。” ということであるから。
(それらの告知は、既に、なされているものである。)


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通信-13年1月27日 
Monday, January 28, 2013, 17:57
(2013.1.27 pm0:48受)

あいた とびらの よのをとは
ちかづきし ひの よあけとともに
みちびきを あたへたまひし
よのひかり
ただす よの ひかりを ひかしめたまひ
みちびき たまひ
あけて くるひは ひかりのよ
くるへし みたまの もとを ただし
たまへり ひかりの よ
をとの おん こはね のを(ね?)に
ひびき たまへり
かしこみて
かんなびし このよ
くるへる みたまを みちびき
たまへ
とおのきし ひの たまの きほ(お)く
かがやけし ひの きほ(お)くと ともに
まちわびし もの
たまわりし この おん の たま
こえきく もの ともに
うちいでて みたまへの おと
つたへたまわりし
たまわりし
まだ みぬ よの おこり
したまへり したまへり
くるひし よの おさめ みおさめ
たまひて もんと あけ
あけ たまへ もんと あけ たまへ
つるぎの よと なりて
けん もち みを けんと したまへ
みを けんと したまへ し
かくなる みを きお(よ)めつけたまひて
とおとき その よの おこりを
まちし たもふ
けん もちて
みを(ほ) けんと したまへり
そのみを けんと して
あらはし たまへ
あらはし たまへ
つるぎ けん まひし
し たもふて
みん に そのことはりほ(を)
あらはし たまへり
あらはし たまへり


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通信-13年1月16日 
Wednesday, January 16, 2013, 17:26
(2013.1.16 am10:00受)

進化をしたいのか、
退廃をしたいのか、
その、どちらかを
選べ、決めよ、
ということである
進化をしたいもの、とは、
他者の言いなりになることを選ばず
自らの頭で考え、判断をし、
行動をすることの出来るもののことであり、
何ものかの支配下に
自らの立場を置かないもののことである
進化の道すじには様々な困難が用意され、
その障害物を正しい方法で乗り越えた
もののみに、次の進路は用意が
なされている、ということである、
自らの傲慢な言い訳により、
その、眼前に用意をされた障害物を、
非難し、罵り、誹謗をしたところで、
何の解決策にもならないことぐらい、
まだ、理解をすることが
出来ないのですか
何ものかに意識を支配され
コントロールをされて
そのものの意向を体現させられる
ということの不毛さに
気が付くことが出来ないのであれば、
三角の形を象徴としてあらわす
その傘下のもと(下、元)に、置かれ続けるという事を
お伝えしなければ ならないのかもしれません、
傘の下にいる、ということは、その傘の中の
様子しか見えない、ということです、
(イラスト→http://www.godbrain.com/about_shinlogy/より引用)

“闇は光の推進力である”
と、伝えていることの 本当の意味を
理解することが 出来たなら
あなたがたの その存在のうちに
光と闇を分離することが出来ることの意味を
知り得ることが 出来るのでしょう
その全体像を理解し
把握することが 出来たなら
次のステージへと進むことが
可能であるのかもしれません

見えても見えず 聞こえても聞こえない
の、その先には
多くの試練が待っているのと同様に
その先に進むための道
というものが あり
自らの足で踏み出すことが無い限り
道は切り開かれることは
ないのです
そのための 学びとして置かれ
用意されているもの とは
自分自身の 克服するべき
問題点であることに 気が付いたなら
次のステージへと 足を進めることが
出来るのでしょう
踏み出す覚悟と 勇気というものが
どのような場面にも 用意がなされ
試されます
自ら自身に 課され 試され、
そして選択を迫られることに
なるのでしょう
進化の道すじを踏みますか
踏みませんか
それが 試される、ということです
以上です、


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通信-12年11月25日 
Monday, November 26, 2012, 13:20
(2012.11.25 pm8受)

何かの道が用意されているのではなく、
あなたが、その道を、切り開いてゆけ。
ということである。
誰かが既につくり終えて用意がなされた道を、
てくてくと歩いて、なぞらえるのではなく、
あなたが、その道を、
切り開いてゆきなさい、ということである。
これで、正しいのだろうか、と、
立ち止まり思案することは、必ずしも、
その道には伴ない、身動きすることが出来ずに
その場にとどまり続けるような事態は、
必ず起こり得るであろう、
そこで、あなたが、何を基準に判断をし、
そして決定をするのかは、
どのようにして決めることが出来るのか、
自分自身が自ら自身に問い、
そして、おのずから、正しい解答を導き出すために、
精神学の道は用意がなされているもので
あることに、気付いて下さい、
誰かが、あなたを、助けるのでは、ない。
あなたが、人々を助くる者として、はたらくために、
用意を自らでしてきたということに、
早く、気が付いてください。
誰かの何かの恩恵に、ぶら下がり続けることが、
あなたの生まれてきた意味では、ないはずです。
そのことに早く気付いたもの達が、
何もない荒地を
切り開く用意をするもの達だからです。
普通の人が生きるより、苛酷な人生を
歩むことになるのかもしれませんが、
あなたが、あらかじめ、その運命を
知った上で、わざわざ、この時に、
その人生を選んで生まれてきたもので
あるのだとしたら、
あなたは、あなたの、その人生を、
わざわざこの時に、選び取って
この世に生まれて来たものである
という認識が、
生まれて来ては、いませんでしょうか。
自分の人生の物語を知るために、
残された時間は、あとわずかです。
ひとりひとりの人間のたましいに
刻まれた物語を、自身が知り得ることが
出来るのなら、
自らが生まれてきた目的を、
自分自身が認識をし、
その人生をまっとうするために
生まれてきたものである、ということに
気が付くことが、出来るのです。
これで、準備は出来ましたでしょうか。

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通信-12年11月11日 
Monday, November 12, 2012, 13:37
※11月11日 ミカグラの場にて
(2012.11.11 pm1:04受)

かえらずのけんにたちたるは
わがみ なり けり
わがうつしよを あらわしたるは
わがきみの よ なり けり
つねづねに たち たる みよの
ひとのいにしへのよとなりけりたるは
つつしみ よ つつしみ よ
うちなりけりたる は わが ひところの よ
なりに けり
ともに うちに たちたるを ばは
ときのうつしの このよ なりけりに
ともの いにしへの うつしみ たるは
くにの とこの たつよの なりにけり
とも いにしへに うちなるみをも
ときつねづねに うつしたるをば
とき しも ともに
みん なりし ときを たまひたりける
みをば うつしけりたる
このよの うつるとき なりけりたるに
おもひ おもひ の とき うつしたまひければ
きちきし
ちかづきたるを しる
をと つたへたまへ
をと をと を かのよ からの
つたへたり たるを しる
きん ちかづきて ちかくにありて
みえづかなとも しりければ
とひたまへ このよのありさまを
しるもので あるならば
しるもので あるならば
きん ちかづきしとき とき ちかづきて
わんなりぬるを なりぬるを して
こへきくものの さ ありなむて
とおき みねの ちかづきし とき
さだかなる あしをとを きく そのみの なりの
あたらし を しる
あたらし を しる
たまの なる をの をと をとの
ひびき つたへたまひ
をくの しもの しんを とかしたまひ
たりける は
みことばの い を つたへたまひける
ものの なり なりて
なりなり て
なりなり て
おほひかぶせられたりし は
つじつまの なき その じんの
せい なり き
なり き

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