Monday, February 14, 2011, 17:40
(2011.2.11 am0:20受)
どれだけ過酷であったとしても、
どれだけ、限界まで苦しめられることに
なったとしても、あくまでも、それは
“お勉強のひとつ”、に、過ぎません
たとえそれが、あなたがたにとって
ムチ打たれるような、
あるいは針のむしろに座らされるような
ことであったとしても、です。
精神、人間精神そのものを、学びの対象と
するという、学問は、かつて、このちに置かれたことは、
ありませんでした。
人(ひと)の生き死と、その時間的経過のなかで、
自らが選んだその人生のテーマというものを
見つけ出し、自身がそのことに気付くために、
人は、その動機付けのようなものを与えられて、
生まれ、そして、生きています。
見つけ出すことの出来たひとと、死ぬまで
それを探し出すことの 出来なかったひと、
その短くも長い一生を生き抜くために
自らの動機付けというものが、有る者と
無い者、人生という、みじかい、そして、
長いものとも思われる期間に、
あなたがたは、どれだけのことを
学び、そして、その学びを生かして
生きるものと、なりますか。
ひとの一生というものの時間的
経緯を考えたときに、どう生き抜く、
存在のあり方が、自らにとってのテーマであると、
思われ、そして、考えますか。
当たり前のように生まれ、そして死にゆく人として、
自らの存在の 意味について考えることもなく、
一生を、終えますか。
ときは近付き、約束された、さばきの時が、
訪れようと、しています。
ひとりひとりの人間のうちで、それらの事は起き、
ひとりひとりのそのたましいに描かれた
物語のストーリーによって、すべての事柄は
明らかなものになるのです
“どう、生きるのですか。”それが、問われます。
そして、どう生きたのか、が、問われて
さばかれます
死んでその身の耐久力が終えられたときに、
その肉体を、何の為に、どのように使ったのかが
問われます。
身を粉にしてまでも、他人のためにはたらいたものは
その事実が確かに刻まれることになるのでしょう、
自らの快楽のために他人を潰してまで、
その身の快適さを確保しようとしたものには、
それ相応の対処が、なされることになるのでしょう。
人々が求め続けてきた、正しい世の中のあり方
というものが、
このちにこの世において実現されるために、
過去の正しき祈りというものは、データとして
存在をし続けてきました。
人のゆく末を決めるもの、それは、
ひとのはたらきに、かかっています。
ひとりの人間の投げた小石は 波紋を生み、
いくつもの波紋と波紋は それぞれに呼応をし合う
ことに、なるからです。
ひとが、誰かがそれを始めてくれることを
待つのではなく、自らが、はたらきかけて、みることです、
あなた方の行動力や言動力が、
世のなかの動きを変えてゆくものになるはずだからです
行動を起こしたことのあるものならば、それらのしくみが
理解できるはずです。ひとつの駒を、自らの手で
動かして、みることです。動かしてみなければ、
周囲の状況は変わりようがありません。
動かして、みなければ、その次の動きは
起こりようが、ないからです。
この世が大きく変わるときが来ているようです
自らの引く手綱を、見間違えずに
きちんと、見極める努力が 必要とされます。
自らの 生まれてきた目的を、きちんと認識をしておくことが
第一の前提、第一の、目標です。
それらの認識ができていないと、目標のゴールを
見定めることができないままに、人生という時間軸を
放浪することに、なるからです。
クニが変わります。クニのあり方そのものが、刷新されるべきときが
近づいて来ています。
今が、おそらく、そのトキ、なのでしょう。
短い間に見付け出すことの出来るもの、
あるいは、長期にわたって、さまよい続けることになるもの、
両者が混在しているのが、今の世、なのです。
まっとうするべき人生と、
他者の干渉を受けて、本来のものとは
違った人生を歩んでしまうもの、
人それぞれの持ち時間のなかに、
本来の正しき目的を見つけることの出来たものは、
さいわいなのでしょう。
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Friday, January 28, 2011, 11:39
(※以下のようなイメージ映像が見えた後)
(2011.1.27 pm1:30受)
罪 背負いたままに
去ることはできぬと 申すもの
いっしんきょうの よよ から
抜け出したいと もの 申すもの
はいりて きては その
小宇宙のなかに
座を 占めし
見つけ出してもらうことを
待っている
うつしみ うつしみ
認識をしてもらえない限り
それらが データとして
ひのもとに 浮上をしてくることはあらず
その 小宇宙のなかで
自らの座を持つことさえも 許されずに
閉じ込められて、いる
自らが かくまいた、その、
十字架を とき放ち、
解放(開放?)を、すること
ひのもとに さらされ
あかるき 場所に 出さない限り
縁(円?)を きることは
できるまい
うち側の やみは 外側にも
反映をされ、それらは あたかもそれは
合わせ鏡のように
小宇宙と 物質界とを反映をする
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Friday, January 21, 2011, 18:51
(2010.12.20 pm2:30受)
割れ目(われめ)、割れ目
割れ目が裂けて、吹き飛んだぞよ
じゃから あれほどまでに
早く用意をしておきなさい、と
いうておいたのに
聞こえる耳持つもんが
どれほどまでに すくないか
気いつけや 色んなもんが出てきよるよってに
とり憑かれて影響されてしまわんように
自ら自身をきちんと持っておくことと
浄化力 高めておかんと
入ってきたものの影響を
まともに 食(く)らうことになるのぞ
あちこちで アタマのおかしなニンゲン
あらわれるのぞ
知っていて 認識できて 排除ができること
意識をしておかぬと
とり憑かれたまま、その とり憑いたものの
イのままに 動かされ行動することになるのぞ
あちこちで うようよ
あらわれ 出(い)ずるのぞ
心しておかんと 巻き込まれることに
なるのぞ
そなた お勉強させてもろうた はずじゃ
通り魔、殺人、起こすようなニンゲンの
意識状態
あの手のニンゲン、これから、ますます増えるぞよ
異物が入って来た、と思うたら、さっさと処理を
することじゃ
放っておいたら お仲間を連れて来て
呼び寄せることに なるのぞ
そうやって自身の存在を、それらのものに
明け渡すことに なるのぞ
早(はよ)うに はたらいてくだされよ
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Friday, January 14, 2011, 23:51
(2011.1.14 pm11:30受)
137億年の
時間的経過、と、
人間の肉体の
数十年の時間の保持期間。
その両者の時間的経緯というものを
きちんと思考の片隅に置いて
おかなければ、全体像の
理解をすることは、
とても難しい。
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Friday, January 7, 2011, 22:07
(2011.1.7 pm8:35受)
人が人を殺すということ
直接に手を下さずに
罪の意識のかけらもなしに
自らの優位と、自己顕示欲
というものを満たしたいが、ために。
弱きもの、自らがその地位という
格付けのもとに、下位であると 判断する
ものに対しての
ゆるやかな、殺人
殺して、潰して、自らの力をさらに
強めるために
「無意識」という無責任領域であると
信じ続けておきたい、その領域において
たましいの火を潰し消し、
奪いつくして 殺すもの
罪ということばの その認識にさえ
かけらほどの 良心の かたちを
持つこともなく
自らの正当性を 誇示しようと
したがるもの
火にくべられて 燃やされる、こともなく
その人生の生を終えるまで
自らが何者なのかを
知ることはない
神よ 神よ、なぜ審判を
下されないのか
神よ、最良のたましいを 火にくべる
この星を
すでに 見捨て たもうたのか
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