Sunday, November 23, 2008, 16:18
(2008.11.23 pm1:57受)
いと おかし
あな うまし
みこころの
てん(ゝ)なる を
はいだわけ
かんざ わけ
わけ つちて
つち おさめ
ものものよ
よこたへる
いと
をかしきは
くものいと
いと いと の
おさむるは
こうこうと
よじ のぼり
しかるべき
みこころの
いとをくみ
くみ ちがへ
いく いくは
よじのぼり
よこたへし
みの おきよう を
はるかなる
あしおとの
きこへ に
みみを すまし
かん ながら
いとの こを
すがし
あしかけ
よじのぼり
きかしめし
ひとのよに
とうとうと
ながるる
そのよの
さだめ
もつときを
さがしては
あしかけ
よにきく
さだめの
もとひ
くるすにて
おはりをつげる
そのよの
もの がたり
つる の なく
いっせいを
あげた
おはりし
さだめ
とうとうと
ながれ
とうとうと
おつる
みづのごとき
えにし
なるもの
よび あつめ
たまひ
その おはりと
はじまりを
つげ たまひ
きかしめし
つぎ(継?)のよの
ありかた
その みちの
あり かた
とおからず
みちびき
たまひ
ひとのよの
はるかなる
あしをとを
きかしめ
たまひ
みち みちなるを
みちなる を
いくたび もの
あら そひ
いくたび もの
おはり と はぢまり
いくたびもの
みのり と こかつ
いくたび もの
はんえい と
すいたい
いくたびもの
しるし と
おはり
いくたびもの
あしおと と
あしあと
いくたびもの
さだめなる
ゆふき
いくたびもの
とほとき
いのち
いくたびもの
よろこび と
かなしみ
いくたび もの
いかり と
にくしみ
ひと なるを
ひと なるを
ひ と なるを
ひ と なるを
ひとのいのちの
かえがたき
代償なるを
あらそひ も
にくしみ も
さだめなり
さだめ なり
おはらせる
ため
つかはされた
その
み と なりを
いかように
つかひ たまひて
その い(意?)を
なする
足どりと
あしあと
いかように
つかひ のこすもの と
なるのか を
みづからの
意志 と ともに
きめ たまひ
きめ たまひ
ものの じゅみょうは
数十年
あたへられたる
その み を
つかひ
のこする ものとは
何もの を
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Monday, November 17, 2008, 17:31
(2008.11.17 pm4:33受)
ご報告
とりまいた環境の悪さに加えて
みずからの 招いた
招かざる客
さっさと カタを つけないと
余計なもんを 引きつ(継?)ぐ と
誰かが 判断したのじゃろう
見ばえの 良さとは タテマエで
おのれの招いた 原因と
その 結果の 処理をして
おかないと
つぎ(継?次?)の代へと 持ち越すと
ハッキリ 気付いて いたからじゃ
引継ぎ 守るべきものは
それが 何かを 知ったから
片付け せきにん
うけおいた
気が気で ない
じぶんで まねいた こと
だと しても
気が 気で ない
うすら寒さを 抱えたままで
この世を去ること
できないからじゃ
持ったまま 抱えたままの
その ものたちの 処理方法
しかるべき ひと が
やるべき やるべき
よごれは きれいに ぬぐい去り
そのち を きれいに してから
去るのです
おそうじを するのは
しかるべき ひと
しかるべき にんげん
きれいに 片付け 済んだなら
その場の 浄化は
済んだ こと
よごれ まみれて いるばしょは
片付け おそうじ
あな うれし
うれし うれしの この世と なりに
感謝 感激 あな うれし
ろくでもないもの
拾(ひろ)てきて
まいた タネ は 刈り取りを
じぶんで じぶんの 責任を
負うのは 義務と いうもんじゃ
つけた 足あと
くろ か しろ
それが 判断 されるの じゃ
せめて じぶんの おそうじは
じぶんじしんで するものと
ようやく 気付いて くれたかの
それが できたら ひとのぶん
持てるだけしか
入ってこん
持てる ひとには しょわされて
持てない ひとには ちょっとだけ
ピラミッドの 上下の ぎゃくは
誰が せおうて おるのかの
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Tuesday, November 11, 2008, 13:53
(2008.11.10 pm0:50受)
ホサとは
ササエル 役わりです
しじされた 通りに
つきしたがって
従う のでは ありません
下で 支える ものでなければ
役割は まっとう
できない からです
ひとの うごきを 見ながら
何が 必要 な ことで
どう 判断を し
動くのかを
見定めて 行動を
起こす ことが
求められます
なんども 繰り返し
お伝え している ことなのですが
正しく 物事を 考え
判断をし
行動を する 為に
浄化と 上昇が
用意を なされて います
不安や おそれ
といったものが
頭を もたげて あらわれてくると
冷静な判断力というものが
ソガイされることに なります
慌てず 焦らず
すこしの時間においてでも
常に じぶんが
ひかりに つながっているもので
あることを
意識 し続けること
です
おそれや 恐怖 というものは、
倍へ倍へと 増幅し
あたかも
それが 全てであるかのような
意識の状態へと
変化をしてゆきます
お伝えをしているように
今の 世 では
ひとの出す
闇の エネルギー というものは
増幅を し続けて います
それらは
経済の 仕組と 結びつき
今までより より大きな
ひとの無意識下での
恐怖 というものを
あおり続けて いるのです
じぶんにとっての重要なものの
位置づけ というものが
明確に できて いないと
自らが この世で 生きてゆく上での
こころの より(拠)所
あるいは しじく(支軸?視軸?)
となるものが 何なのかが
わからなく なります
自らが めざすもの とは
何なのか
あるいは 向かおうとしている
方向性というものが
何なのかを
自ら自身が 把握しておく
必要が あるのです
見たことも なく
聞いた ことも ない
その 知識 というものは
受け入れることのできる人間と
できない人間 とに
ハッキリ わかれます
その中間 というものは
存在 していません
残念ながら その比率は
半々 では ないのです
何故なら ひとというものは
自ら 自身が 築いてきたと
信じたがっている ワク組みや
概念といったものから
はずれて 一歩前へ出る
ということを 望まない者が
多いから なのです
つまり 新しい ひとの かたちの
あり方を 選択しようとする人が
極端に少ない ということを
意味しているから なのです
居心地のよい 快適な世界が
好きなひとにとっては
受け入れ難い ことなのかも しれません
厳然とした ルールにおいて
用意が なされているのが
審判というシステム です
自らの行動や言動というものは
当然のこととして
こころの中の思い そのもの までもが
あらわにされるのです
その ルール というものは
すべての 人間に 適応されるのです
当然のことながら
言い逃れや 言い訳というものは
通用しない
事実は 事実として 正しく記録が
なされているからです
正しく ひととして
生き抜いた ものであるのなら
そのシステムとルールを
望み求めるものであるはずです
たにんと じぶんを
比べる必要など
どこにも存在していない
筈だとは 思いませんか
じぶん ひとりで その審判の場へと
立って 堂々と その
しんい を 問う 勇気が
有るのか 無いのか
その こたえは
あなた自身が 既に
知っている筈 だとは
思いませんか
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Wednesday, November 5, 2008, 17:13
(2008.11.5 pm1:37受)
みなしごの ゆくへ
(2008.11.5 pm2:06受)
サタンの ち
開き たもうた
ちの あなに
呼びかけは
なさざるな
もっとけよ
もっとけよ
カギ穴に
さす 鍵は
もっとけよ
さし込んだ
そのままじゃ
そのカギ 開(ひら)きは
せんの じゃ と
アトランティスの
そのちの ゆくへ
なにが そのちを
破壊した
ちのものと てんのもの
ふたつの はたらき
こうさ(交差?)をし
しるものに 伝わった
ゆくへ ゆくへ
そのちの ゆくへ
見るものと
聞くものと
それをつたえ
まもるもの
いのちの ち
けし たもう
それらの いし が
はたらいた
とらわれて
足止めを くらい
いくつかの 障害を 乗り越えて
きた み ち は
いくつかの 足おと を
残し 探し求める ものに
伝えられる その日と 手段を
ぎんみ しながら
まち のぞむ その日を
支え に しながら
遠き みちのりを 経た
その のち の よの
すがた ありかた
遠からず や
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Friday, October 31, 2008, 18:33
(2008.10.31 pm5:20受)
じちん さい
とは
土地 しづめ
なだめ すかして
みたとこで
あたまを おさえているだけで
そこから きえては
いないのざ
何かが 媒介となり
排出をしないことには
それらの エネルギーが
消失することは ない
鎮(ちん)座をさせて みたとこで、
存在したまま
そこに ある
ゆうはつ地震の ように
あるきっかけが もとで
触発を された ものが
おもて へ 浮き出てくる
ことに なる
だし方は簡単なようで
難しい
出る ときに 扱いを間違えると
周囲に 膨大なエネルギーが
拡散を する ことになる
排出 と その処理 の
仕方 の 伝達 は
しかるべき ところに 届けられる
取り扱い 要注意の
そのもの
もりつちを したうえに
避雷針のようなものを
たて、
一ヶ所に集約、集積をする
うえのぎゃく が
した
したから 吸い上げて
集約 と 集積
てん に まします
てん に まします
(点?ヽ?)
てん、とは
そのみの でぐち なり
いってんに
しゅうせき、しゅうやくを
なす、なり
なす、なり
なり とは その みの なり
はれた ひに やらないと
かくさんを する
周囲に とびちらないよう
くれぐれも
取り扱いに 注意を し
その おこないを
怠ることの 無きよう
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