Wednesday, September 17, 2008, 13:11
(2008.9.16 pm11:35受)
あなた方は、一体、
誰の身を売って
金もうけを したいもの達なのか
人民に知らしめるべき こと、とは
知識であり、
その御身を十字架にかけるという
ことでは、ないはずのことです、
一体、どういった行為を、
あなた方は、強いていると
お思いなのか、
まだ、お分かりには、なりませんか、
人々の前へ 連れ出して、
“ほら、このお方が、そうである”
という おこないをして、
おかねをかせいでいるもの達なのでは
ないのですか、
そのような、おこないが、どういった
影響を、お与えになっているのかを、
あなた方は、知ろうとは
しないもの達、
なのです。
イエスが、してきた
かずかずの おこないを、
人々に、見せ、知らしめて
おきながら、自らがそれにより
利益を得ようとしているもので
あることを、
何故、直視しようとは
しないのか、
どういった影響が
直接もたらされるのかを、
あなたがたは 見ようともしないから
それが 見えないのです
態度にも顕わさず
表情にも、口にも出されないから、
皆、それが、どのようなダメージを
お受けになられているのかを、知るよしも
ない
イエスを売り 金もうけをしようとする
もの とは 一体誰のこと
なのでしょうか
お伝えして 知らしめるべきもの
とは 知識であり
ひとの子を 殺す 手段
では ない
負荷をかけ そうとうな
ダメージを、与えているものが
一体何なのか、
それを冷静に判断をしてみて
下さい。
自らの正義が
悪魔の手先にさえ
なり得ることが できる ことぐらい
もう お気付きのことのはずです
賢いもの ほど
ワナに はまり易い
何故ならば
自らが 仕かけた ワナには
はまることは 無いと
信じ切って
いるから なのです、
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Tuesday, September 9, 2008, 12:55
※白山ヒメ神社における通信
(2008.9.7 pm4:35受)
このちとの
やゆ
けひやくの
みこと ふみ
(2008.9.7 pm4:40受)
そちの のぞむる もの
あ(な?)らば
なかば たましひ
うまれ かひ
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Tuesday, September 9, 2008, 12:54
(2008.9.6 am10:55受)
とらわれの みと なりぬるものに
いしきの めざめというものが
おとずれるひ などは
ありはせぬ
みみの いみする そのいみを
かいかぶりては はきちがい
うごめく まものに きくみみを
そばだて みみを すましても
あらしの まへの しづけさは
おのれの いみする
ゆくへのなかに
あらそひのなき
そのよの すがた
み まちがへたる さきよみの
つづく つなぐる そのみちは
たすけを よぶこへ そのものに
つなぐる いのちの さだめとは
つかひ むちうつ その
みの なりと
むろ と たいふう
さけぶる そのみ
いわく つきの そのみのなりに
きづく ものふの
そのなり は ころも
もろとも たへ(ふ?)ふる
そのみ とりもどし
たくば いのち ひきかへ
きれた ち ぎれた
ものふの その よ
くるしくも かな
かなしき も あり
うごめく ま もの
ものふ の よ
み まちがへたる
ものふ の よ
かくも あらじ
そのみ と なりは
かかえ つつある
まがひ(い) の もとひ(い)
くるしくも かな
さわがしくも あり
かき うつしたる は
さまわり の
その つながり に
まどはされたる
うつしみ と
かたづけを おえたき
その つながり は
もろみの たみの
うつし と たり は
はる ながく つづく
あき の おわりにて
もろ たみ の み をも
ざわざわと さわぎたつ
そのすいめんかの うごき とは
なにを もって
その みとなりを まっとうを
するものと なりうるのかの
みをたてて ゆく みちと
なりをもつ その
はざま と ゆくへ
とらわれのみ と
なりうるものに
その しらせと いみが
うち つらぬき たるを しり
み まかせ ゆだね うち
つらぬきたるを しる
もつ み と その ゆだねるを
しり うごかし みちびきたるを
しり とりとめの なき その
いきざまを しり
ものふの よ ともに
いき たまへ
はいた はいじょの せきむを
おう は
そのみ たり との
やくめ なり
たるし かるらん
あが いのち
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Monday, August 18, 2008, 17:03
(2008.8.18 pm3:35受)
せんさ ばんべつ(千差万別?)の
意味を、知れ
とざされた ものの
かいろの かぎを
あけるには
どりょくや ねついが
ひつような わけでは ない
うごかされた じくの
ほうこうの さし しめす
いとの い とは
あなたが たにんの
じんせいを かえる
ことでは ない
ひとの もつ
そのやみのデータの
かいせきが できない
かぎり
たしゃの やみのデータの
処理などは できない
なぜならば
自分が たにんのじんせいを
かえようとする ということは
おおがかりな、はからい(企?)を
された 暗黙者(あんもくしゃ)の
さしがね で しか
ないからである
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Tuesday, August 12, 2008, 11:54
※この通信は、
人間としてのわたくしを含めた
不特定多数のかた宛に届けられた
通信であると
認識しています
(2008.7.13 am10:10受)
正会員のプログラムは、
自らが、はたらく者となるために、
「自らの意志」で選択し、学ぶものです。
何かの勘違いを、されては、いませんでしょうか、
自分ばかりが助かりたい、人間
あるいは、
自分に何かの恩恵をさずけてくれるのだという
何らかの期待をされている人間、
そのような ひと達が、他者のために、
周りのために、正しくはたらけるものと
なれますか
自分が助かりたい人間、というものは、
他者に、ぶらさがり、すがりつこうと
いう行為をするものです。
重たい おもりとなっているのは
一体、誰のことなのでしょう
何かの不幸があるたびに
その責任を何ものかのせいにし、
なすり着(付)けているものが、
世の為、人の為にはたらくものと
なることなどが、出来ますか
出来ませんか
自らが学び、たとえ処理することが
できるようになるまで
時間がかかったとしても、
少なくとも、最低でも、
自らが その闇のエネルギーを
自らの外部に排出しない者と
なるために、精神学を学んで
いるのでは ないのか
学ぶ意志さえ存在しないものが、
他者の負荷となっていることぐらい
何故、理解を していただけないので
しょうか、
そうやって、自らが発した、釣針の
ようなものを、他人に引っ掛けて
毒を相手に排出していることが
一体、何故 お解りいただけ
ないのでしょうか
そうやって、先を歩く人に
自らの存在を、重りとして おおいかぶせて
いることに、何故気が付かないのでしょうか、
自らが他者を助けたいと思うなら、
その人間の闇を自分が背負えるものに
なるのが先なのでは ないのですか
自分がしたことの責任は
必ず、とらされます
自分で処理ができないものを、
あなたは 横流しにしているだけでは
ないか
それを放り込まれたものの身にも
なって下さい。
耐えがたい程の不愉快であることぐらい
おわかりのはずのことです。
同じことを何度も お伝えする気は
ありません
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