Tuesday, April 21, 2009, 17:09
(2009.4.19 pm4:08受)
とりとめもなき よ ごと
ききしに まさる
なりわい びと
かん ならずとも
ともに いき
いつ いつの ひか
あひ たまはん
むゐ(い)の ひの たま
うる わず うる わず
ものの べの
へのこ みち
まひ たちて まひ たちて
こち きたり こち きたり
とま どひ も
あし をと も
ものの うごく べく
きよ らかに
きよ らかに
さかさの よ
さかぐらを みたす ため
さかぶね は
ふみし たまはん
ふみし たまはん
さきもり の
とひし よ は
うべ もののふ を
かへしたまひ
たちどまる なかれ
うごき あしをとを
けがし する もの には
その とが なるを
おこなひ を
もやし つくさん
ちり ぬる を まで
ひとへ(え)に ひとのよのものと
なりぬる は
かへし かへする
けひやくの い ほ(を)
うけひ と ともに
のり たまひ
とらふるもの には
その とらはれのい と
その むへ(え)き さ ほ
しらせ
おのおの の もの たちが
その みづからの
やく ほ とひ
みづから の き づき
と ともに その
しんの い ほ くみ
まがなひの よの
ただする いみ ほ
しる
のりと なる もの
ほんらひ の い と なるは
い のり となふる こと
はだし の まま では なく
ただしき はき もの ほ
みに まと ひ
うけひ と ともに
うごき つかまつり
たまはん たまはん
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Tuesday, April 21, 2009, 16:52
(2009.4.11 pm6:47受)
おろがみて おろがみて
一族の たえぬ ちは
いくたびもの
あらそいとともに くぐりぬけた
ものふのよ とどまらぬ よ とともに
みかんのち を たりうるものに
ききしに まさらぬ
たえしのばれて またれた
このちの よに
すべからく うつしたまふは
その うつしみ たりなん(む)
みの もとなる
わけ み たま
みこころの まま に
と いのる そのすがた なるは
ひとのよにおいて
ただしき しめい ほ(を)
まっとう せんと せしめし
とらわれの みとなるものほ(を)
みづからの いしとともに
かいほう し
もとめられる
ただしき ひとのみ の ほんらい なる
つたへられたる けひやく と ともに
うごき つかまつり たまはん
きよの よに
おろがみて おろがみて
さだかなる あしおとと ともに
つたへ たまはん あしどり を
うゐ(い) の まつ よ
待つ 世 末 世
あらそひごと を このむもの には
その場に 閉ざされることの
意味を 伝へ
ただしき よの ありようを
つたふるべきときに
つたへ
そのやくはりを おへるまで
はたらくことほ
いとはぬ もの
みなの もと
うけひ の その いみと
けひやくの りこふ(う)
かくなる うへ は
その しめい を
まっとうせんと せしめし
からだ ある そのみの あひだに おいて
よふひされ たる
とき まち うごき
つかまつり たまはん
これ だけの
これ だけの
ために どれほどの とき ほ
まちわび
わびぬる を その しめひ
まっとふせんと せしめし
おろがみて
おろがみて
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Monday, April 13, 2009, 15:08
(2009.4.10 pm0:27受)
こわれかけの ドロ舟に
必死に しがみ付いてまで
守りたいもの とは
一体 何なのでしょうか
自らの利益でしょうか
それとも 名声と 呼ばれている
権利(威?)の主張をするものなのでしょうか
全体像を見ることが
出来ている「はず」の立場でも
欲と己(おのれ)の 名と 立場
すがり付いては いませんか
何が正しく 正統(当)で
何が おかしなこと なのでしょう
たにんに 利益をもたらして
仕事を分け与えているつもりでも
その結果の しわ寄せが
どこに 来ているのかを
うすうすと感じながらも
見えないフリをしているものは
誰のことだと 思われますか
人という 生き物は
自らの目線というものが
正しいもので あるに 違いない
と 思い続けていたい
生きものの ようですね
あいてが もし 自分であったなら
あなたが 相手の立場なら
それらと同じ おこないは
できるものですか
できないものですか
全体像がはっきりと 見えているつもりでいても
見ないでおきたい部分とは何なのかを
考えれば わかるはずの ことでは
ないのでしょうか
持つものが 持たないものに サハイ(サイハイ?)する
それらの行(おこな)いを 続けていることで
自分が 相手に 恩を売ってあげている
という 目には見えないラインを 関係を
つくりだし 主従関係というものを
無意識にか 意識的にかは 別にして
つくりだすことに 精を出して いるのです
なんども お伝えをしているように
羊飼いが必要な時代は 終わりました
う飼い、犬飼い、すべて おなじ ことなのです
あたらしき 時代に おいては
人は平等であり 水平の視点である
ということが基準となります
上下の支配 被支配の 関係を
保っておきたいと 願い続ける限り
あたらしき 世のために はたらくことは
出来ないのです
過去のあやまちを繰り返し続けたいと
願うものには その場に閉ざされることの
事実を お伝えしなければ なりません
いちど 方法を あやまると とり返しのつかない
状況になりかねないことも、
もう充分に理解をしたはずです
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Monday, April 6, 2009, 15:55
※ある番組で仁科神明宮の映像を観ていた際に、
通信が届きましたので掲出いたします
(2009.4.5 pm6:55受)
そのちのめぐりをするものは
伝達事項を受け取りて
おのおの 役目を果たすこと
人と人との間にも
その地とその地の間にも
脈々と受け継がれた
守るべき ちの伝達事項というものが
存在をし
ある責任を持つものたちによって
伝受され引き継がれる
確固たる ルールとしくみとは
その お役目の成すことの意味を知り
ヒト という 生命体を通して
伝受され 情報伝達は成されてゆく
閉じたままである限り
それらの 伝達に 気付くことはない
開(ひら)けて 受け入れることの 出来る
役割を知るものには
おのずと それらは知らされて
あるべき 正しき ときに 動き
お役目を果たするべきときに 導かれ
正しき ヒト としてのありかたを
体現すべく
自らの決定により 動き始めるときが来る
ちの あしおとを 汚(けが)さず
受け継ぎ 守り 引き渡すことの
本来の正しき意味と意図を知り
脈々と受け継がれてきた ちの
伝達事項を きよめ 引き継ぎ
見届けることの意味を知り
かの ち と呼ばれる
あしき情報を 正し
もとめられる 正しき役割として
みなのもとへと
とどけられんことを
凍りついた ひとのこころに
あたたかき ちしお を
引き渡し
うごくべきときに しかるべき用意とともに
さきの世のために
ちのみなもとより 発せらるる
伝達を 正しき あるべきものたちに
引き渡すことの 意義を知る
この ち の ありようの
正すべく役割 とともに
未(み)の 世のあり方の
みまごうことなき世のあり方の
さだめられたる
はたらきと
あたらしき ち の ありようと
もとのただすべく
よのあり方を 知り
うごきたまはん
ありとせに
しかるべき はたらきとは
おのずと知らされたりなん
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Tuesday, March 31, 2009, 18:02
(2008.3.31 pm5:03受)
羊飼いのもとへと
走り寄り
つじつま合わせの人生を
送りたいと 願い続けるもの
あなたがたに お伝えをし続けている
文書の意味を
自己の都合のよいように受け取り
解釈を し続けていたいと
願うもの
堂々巡りの 巡廻を
していたいと 思い願うものには
願い通りの 場
というものが 提供を
なされます
それらの居心地のよい 場に
安住することの意味を
自らにとって都合のよいように
とらえるのは ご自由なのですが
その 居心地の よさ とは
一体 何を 意味しているものだと
思われますか
行き着く先に 待っている
最後の砦の 向こうには
どのような 結末が
待ち構えて いるのでしょう
正しく歩みを進めても
それらの はたらきが 一体
何を目的としていたことなのか
その観点の すり替えが
なされているものでは
ないでしょうか
相手を助けてあげたいと
個々の人間が思うのは自由なのですが、
問題のすり替えがなされていては
ならない部分は、
今から お伝え すること です
自らの発した 何らかのエネルギーに
よって 相手の操作を
しようとすること
それは
ま的な 闇のエネルギーでしか
ありません
トラブルを抱えている人間を
どうにか 何とか
してあげたい という お気持ちは
察することは できますが
その 「どうにかしてあげたい」
という部分を よく考えてみて下さい
どうにか、する
ということは あなた自身が
相手に対して 何らかの影響力を
与えて 改変(編?)させたい
ということを 意味する ものです
自らが相手を変えよう
などと 思うことの 不毛さと
自らが発したエネルギーで
相手に影響を与えることの
意味を よく考えてみて下さい
よき影響を与える という
錯覚を お持ちのかたが
随分いらっしゃるように
思えます
黙って 相手の負荷を
受け取ってあげることのできるもの と
自らの発する 何らかによって
影響を及ぼすことの
非なることの 違いについて
いちど 考えてみて下さい
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