通信-08年10月28日 
Tuesday, October 28, 2008, 17:16
(2008.10.28 pm3:39受)

灰色のあくま
死んだほうがマシだとは
よもや 誰にも 言わせまい
一瞬、一時(いっとき)を、
正しく 生きることが出来ぬなら
存在そのものの意味さえを
かき消してしまおうとするものに
はやい話が
乗っ取られている、ということ
無駄骨を折る位なら
無かったことにしてしまおう
ということ
その自己解決そのものが
正統(当?)な理由であるとの解釈、
受け取るはずのない
正しい領域からの伝達
だれかさん との つながりさえ
持っておけば
何とか なるに 違いない
あたまの中が 混乱をしていても
誰に 何を どう 相談すれば
よいのやら
ふつふつと 沸(湧)きあがる
おもいの たけは
どこの 誰に 向けられて
いるのやら
たにんの あらを 見つけ出し
それを あげつらい ののしって
それが どういう 悪影響を
相手に向かって 与えているのかを
自らの中の ひととしての
良心というものが あるのなら
いちど 尋ねてみるということを
なされてみては どうですか

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通信-08年10月26日 
Sunday, October 26, 2008, 11:17
(2008.10.26 am9:38受)

迅速、かつ的確な判断が求められている場合もあり、
その事柄について熟考しなければならない場合もある
誰かに相談をせざるを得ない場合においては
どういった解答を導き出すために
どこの誰に判断をゆだねるのかを
模索しなければ ならない
はやい時期に それらの事柄は 必ず 訪れることになる
相談をする相手と、依頼をする相手を間違えることのなきよう、
常に正しき道につながっておくという自意識を持ち続けていないと
誤った方向に足を向けていることに気付かない状態に
陥る可能性と、常に 隣合わせの状態であることを
意識しておかなければ ならない
問題提起となり得る物事は、すぐさま
あなたのもとへと届けられ、その解決策というものを
求められることになる、打診をしてみるという
ひとつの方法論は、そのことに頼り過ぎると 自らの
思考系の中での解決策を模索するという方法論を
打ち消してしまいかねないものになる
早足で焦り、足をすべらせてしまう位なら、多少速度が
落ちたとしても必ず足を前へ出すことの重要性を
意識しておきなさい、物語は、あくまでも、
あなた自身の物語なのであって、それを運営してゆくのは
自ら自身であるということの基本構造を意識しておかないと、
正体不明の、中心点不在の存在として、
肉体の生をまっとうするものになる
階段を降りて、自らの意志と、自意識で探しに行かない限り、
それを見つけ出すことは できない
その為の道先案内となる 地図が
最終知識という書であり
更に、その先に進むための学びが
会員のプログラムとして存在が なされている
まわりの人間の状況に気をとらわれている間に、
正しき方向性を見つけた人間から
自らのまっとうするべき人生の物語を読み解くものとして
生きてゆくものとなる
他人の芝生を青く見て、それを、うらやんでいる限り
自ら自身の芝生を手に入れることなどは出来ない
妬むという行為そのものが、対象となる人間に対して
どういった影響を与えているのか、
それらを意識下無意識下にかかわらず、
対象となるものに向けている限り、自らの進むべき道というものを
いつまでたっても見つけられないものとして、
存在することになる
聞く耳を持ちなさいと、あれほどまでに
くり返し 伝え続けているのは
自分にとっての都合の良い 聞こえのよいことばだけを
聞こうとする耳ではないことぐらい
何度も お伝え済みの話でしか ありません
自らの意志で自ら自身を変えてゆこうとしないものは
成長の意志を放棄したものと
見なされるのです
暗闇のなかで そういった他者を妬み呪う
エネルギーを放射している限り
本来あるはずの出口を見つけ出すことは難しくなります
自らの意志と判断で自らの状況を改善しようと
しない限り、解決策というものをいくら探しても
見つけることは出来ないでしょう
何故ならば、あなたが している
おこないは
意識しているしていないにかかわらず、
自らが変わろうとせずに 他者を変えようと
しているものだからです
それほどの傲慢というものは、ありません
他人を変えようと思う あなた とは
一体、何ものなのでしょう
何ものが、それを せよ と 指図をしているのかを
一度、考えてみる必要が あるのかも
しれません
くり返し おたずねします
あなたという人間は 一体、何を期待して
何を求め 生き存在をしている ものなのですか
それを自覚することすら出来ないのであれば
目を覚ます ということは 難しいことなのかもしれません


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通信-08年10月22日 
Wednesday, October 22, 2008, 16:47
(2008.10.22 pm3:45受)

たましいを どこかへ持ってゆかれたら
ひとは 生きる 屍(しかばね)じゃ
屍の むくろ と なりぬる
その みかけらの ひかりの つぶ
とり いで出したる
その 姿かたち
ともに 生き ともに死ぬる
あらわにされる その生き様(ざま)の
すべて
見まごうこと なかれ
あらしのち 生き たもう
見つけ出したる
たまの ひかりの ゆえん
みも こころも ひきちぎられて
売り渡しさへ できぬもの
きた かひつけの
諸々(もろもろ)の
くつわ あしかせ
ともにあり
狂ほしくとも
さすらふは
けふに 急ぎし
死にとびと
がんくつ(岩窟・巌窟)王の
よはねのね
きくみみ さへも
持たぬ もの
何を 見て
何を 見ず
九死に一生をえたとして
何を 得て
何を 得ず
いただきの 無(亡)き その姿から
学ぶもの とは
これ いかにして
風前の灯(ともしび)たる
その ありよう は
何ゆへに
何がため
とらわれの もとたる ものに
気をとられ
こころして向かふべき その道のりの
ゆくへを知らず
いまと なりては 遅過ぎし
きく耳 ありや
その なりや

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通信-08年10月16日 
Thursday, October 16, 2008, 14:16
(2008.10.16 pm1:06受)

“ご伝言を、お持ちしました”

ネパールか、ヒマラヤ(?)に
行って来て、
それらの施術を
受けたのは、
一体、誰のこと
でしょう、
解答は、既に
出ているはずの
ことです。
それらの情報は
知られたくは
ない、と思っていても
本人の意図せぬ
ところで
相手には
伝わります。
さっさと処理
をすることが
必要なことで、
それらの情報を
もとに、相手を統治
してきたものが
宗教というもの
なのです、

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ひつく文書-08年10月10日 
Saturday, October 11, 2008, 12:35
(2008.10.10 am11:07受)

きよ と
きよ と

(2008.10.10 pm0:10受)

まる を えがいた
おひめさま
あたまのなかに
はいりては
いろいろ おしゃべり
するじゃろう
とらわれるな と
いうてても
そのないようは
きに かかる
なに を いわんと
せしめして
いしきに はたらき
かけるのか
とおい きおくの そのなかに
はいりて じかんと くうかんを
つなげ あわせて
つむぐ もの
つむいだ いとで
おりものを おりて
あらわす カタチ とは
かんせい せねば
全体を あらわすことなど
できぬ もの
くう の き
ち の き
おりまぜて
(2008.10.11 am11:53受)
ついに あらわれ
なさった な
とうめん の あいだ の
きょういく がかり を
なさる ようじゃから
あわてず うろたえず
冷静で あり続けることの
重要性を さいど
かくにんして おいて
あげて ください
しん と み は
つねに いったいのもの
である 必要が あり
はいってくる 情報によっては
やみの存在の カタチで
あるものも ある
しんの いしを
みを もって、 あらわすこと
それが もとめられて
いる
処理 できる 範囲内のもの
しか はいっては こない
逆に 言うならば
ポテンシャルの 高い ものには
それ 相応のものが
課せられる ということ
それは もう お気づきのこと
であるはず です
正しく 処理を する
その 方法 を
学び なさい
成すべき ことが
何なのかを
既に 知っているはずの
ことです
(2008.10.11 pm12:53 上記受信より)





















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