Wednesday, November 5, 2008, 17:13
(2008.11.5 pm1:37受)
みなしごの ゆくへ
(2008.11.5 pm2:06受)
サタンの ち
開き たもうた
ちの あなに
呼びかけは
なさざるな
もっとけよ
もっとけよ
カギ穴に
さす 鍵は
もっとけよ
さし込んだ
そのままじゃ
そのカギ 開(ひら)きは
せんの じゃ と
アトランティスの
そのちの ゆくへ
なにが そのちを
破壊した
ちのものと てんのもの
ふたつの はたらき
こうさ(交差?)をし
しるものに 伝わった
ゆくへ ゆくへ
そのちの ゆくへ
見るものと
聞くものと
それをつたえ
まもるもの
いのちの ち
けし たもう
それらの いし が
はたらいた
とらわれて
足止めを くらい
いくつかの 障害を 乗り越えて
きた み ち は
いくつかの 足おと を
残し 探し求める ものに
伝えられる その日と 手段を
ぎんみ しながら
まち のぞむ その日を
支え に しながら
遠き みちのりを 経た
その のち の よの
すがた ありかた
遠からず や
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Friday, October 31, 2008, 18:33
(2008.10.31 pm5:20受)
じちん さい
とは
土地 しづめ
なだめ すかして
みたとこで
あたまを おさえているだけで
そこから きえては
いないのざ
何かが 媒介となり
排出をしないことには
それらの エネルギーが
消失することは ない
鎮(ちん)座をさせて みたとこで、
存在したまま
そこに ある
ゆうはつ地震の ように
あるきっかけが もとで
触発を された ものが
おもて へ 浮き出てくる
ことに なる
だし方は簡単なようで
難しい
出る ときに 扱いを間違えると
周囲に 膨大なエネルギーが
拡散を する ことになる
排出 と その処理 の
仕方 の 伝達 は
しかるべき ところに 届けられる
取り扱い 要注意の
そのもの
もりつちを したうえに
避雷針のようなものを
たて、
一ヶ所に集約、集積をする
うえのぎゃく が
した
したから 吸い上げて
集約 と 集積
てん に まします
てん に まします
(点?ヽ?)
てん、とは
そのみの でぐち なり
いってんに
しゅうせき、しゅうやくを
なす、なり
なす、なり
なり とは その みの なり
はれた ひに やらないと
かくさんを する
周囲に とびちらないよう
くれぐれも
取り扱いに 注意を し
その おこないを
怠ることの 無きよう
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Friday, October 31, 2008, 18:32
(2008.10.31 pm4:受)
オハライ
オハライ
土地バライ
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Friday, October 31, 2008, 15:33
(2008.10.31 pm1:28受)
あいた 口
ふさがらぬ
見かけ倒しの えいへいは
何の役にも たたんぞよ
闊歩して
闊歩して
袋小路の そのなかに
入りて 居場所を 探すもの
盲目の きよの ちよ
探した 足場は
くろ と あか
あかつち の
つち ばらい
くろき ちは
くろき かげ
かげ ふみて
なきものを
じったいの なき
くろき かげ
きっても きっても
つぎつぎ と
あらわれ いぬるは
くろき かげ
はいたついんの おやくめは
だれが 担当
したのでしょう
つじとなる その場所に
あらわれ いぬるは
くろき かげ
きって しょうもう するまえに
かつようほうを かんがえよ
あたまと からだは つかいよう
つかわなければ
いみは なし
脳みそ つかえと
いうておる
おべんきょう
それらは すべて
おべんきょう
かいけつさくを 見つけるための
おべんきょうでしか
ないのです
ひとつ かしこくなるための
おべんきょう でしか
ないのです
ようやく 気付いて
くれたかの
許容量 と ポテンシャル
認識 知力 と 解決策を
学ぶ ため の
おべんきょう
ちっとは 賢く なっている
はずだと
じぶんで おもわんか
使って なんぼの
その アタマ
思いと 思考は
別モノ じゃ
ようやく たどり着いた なら
せっせと 活用せんかい の
意志と ミタマは 一対の
もので なければ 意味は 無い
それが どんな
意志なのか
さっさと 気付いて
くれんかの
シンプルで 単純なもの ほど
ひとは それに 気付かない
いくつもの 色眼鏡 というもので
とっかえ ひっかえ 見てみても
そのひとなりの脚色を
つけて 物事 見てるから
だから 子どもは 知っている
すなおな お目めで 見てるから
だから 子どもは 知っている
あかるき 正しきもの が
すき
子どものころに すきだった
それは 何と いうものか
それを 体現 することが
何かの よういと 思わんか
じゅんび期間と
おべんきょう
それらの よういは
何の ため
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Tuesday, October 28, 2008, 17:16
(2008.10.28 pm3:39受)
灰色のあくま
死んだほうがマシだとは
よもや 誰にも 言わせまい
一瞬、一時(いっとき)を、
正しく 生きることが出来ぬなら
存在そのものの意味さえを
かき消してしまおうとするものに
はやい話が
乗っ取られている、ということ
無駄骨を折る位なら
無かったことにしてしまおう
ということ
その自己解決そのものが
正統(当?)な理由であるとの解釈、
受け取るはずのない
正しい領域からの伝達
だれかさん との つながりさえ
持っておけば
何とか なるに 違いない
あたまの中が 混乱をしていても
誰に 何を どう 相談すれば
よいのやら
ふつふつと 沸(湧)きあがる
おもいの たけは
どこの 誰に 向けられて
いるのやら
たにんの あらを 見つけ出し
それを あげつらい ののしって
それが どういう 悪影響を
相手に向かって 与えているのかを
自らの中の ひととしての
良心というものが あるのなら
いちど 尋ねてみるということを
なされてみては どうですか
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